第三章 第三話(2)『実力差』
「ザケんなよ。何でオレが、こんなチンチクリンどもに、獣騎術を教えなきゃなんねーんだ」
マクデブルク城塞の中庭。
中央に簡易な噴水があり、下は兵隊が訓練出来るよう、草地が敷き詰められたその場所で、リッキーは憤然と申し出に異議を唱えた。元々の依頼主はレレケになるのだが、これをリッキーに頼んだのは、この部隊における彼と同格の人物、メルヒオールである。
中央の噴水の縁に腰を下ろし、リッキーは頬杖をついて不貞腐れていた。メルヒオールはそれを呆れた顔つきで見ている。
彼らの周りには、リッキーの供であるマテューと、「面白そう」という理由でついてきたイェルクがいた。そこから数歩下がった場所に、イーリオら四人もいる。
時刻は十時のオヤツの少し前という所。まだ太陽が中天に差し掛かるには早い頃合いだ。
ちなみに、メルヒオールが振る舞うという殺人料理は、レレケがどう言って説得したのか、何とか食べずに済んでいる。メルヒオールも気を悪くした様子はない。ある意味天才的な弁舌の巧みさと言えるだろう。
また、イーリオも体を動かせるまでには回復し、ドグに至っては、包帯で巻かれた見た目以外、何の支障もないようだった。本人は「もう治ってる」と言い張るほどだ。
そのイーリオ達は、昨夜の謎の鎧獣騎士の襲撃の事も聞かされ、砦内はさぞかし緊張しているかと思っていたが、さにあらず。城の中は、いたって平穏な空気を醸し出していた。平穏と言ってもそこは騎士団。それなりに襟を正した雰囲気ではあるが、それでも、この参号獣隊 という隊は、どこかおおらかな空気を持っていた。騎士達全員、すれ違うと穏やかな顔で目礼を送り、張りつめた雰囲気はない。それはおそらく、主席官であるイェルクの存在によるものが大きいのだろう。その雰囲気だけで、全く初対面の、この覇獣騎士団の人間たちを、イーリオは信頼出来るような心持ちになっていた。
――ただ一人の態度を除いて。
「確認をしなかったのは、そりゃ、ワリィと思ってっけどよ……。だからって、何でオレがその罪滅ぼしに、稽古をつけてやる必要があんだ? 謝りゃそれで充分だろ?」
「リッキー……。君のその態度や行動で、どれだけ隊に迷惑をかけているかわからないのかい? 仮にも無実の旅行者を、何の根拠もなく牢に入れたんだよ。議会の耳に入りでもしたら、どうなると思ってるんだ。ここは素直に贖罪をして、お互いわだかまりを解消するのが一番だろう。それには、君が彼らを指導してあげるのが一番じゃないか」
傍らのマテューが、大きくうんうんと頷いている。それを恨みがましい目で睨むリッキー。
「だからぁ、何でそーなんだよ。教えるっつーんなら、オメェがやりゃあいいだろう。そもそもオメェがご指名なんだし、武器は違っても、オメェならそれくらい出来っだろ」
「僕が教えるのは特殊すぎる。ヘンなクセがついてしまうかもしれない」
「べっつにイイんじゃね? タダで教えるっつーんだから、クセぐらいついたって」
「君の弐号獣隊 は、〝教導部隊〟じゃないか。だったら、そこの次席官の君なら、人に教えるには一番適任だ。それに、そもそもこれは、君が蒔いた種だぞ。君がやんないでどうする」
「うっせぇなぁ。とにかくオレはヤだね。大体、覇獣騎士団でもないヤツに、レーヴェン流、教えたって何もなんねーだろーが。それによぉ、コイツらみてーなガキが、武術を覚えれるワケねーだろ。ムリムリ。ムリに決まってるって」
リッキーの無礼な発言と態度に、マテューはいつものように溜め息をつく。
だが、呆れられないのはイーリオ達だ。無礼な態度に無礼な行い。しかも相手を侮辱する下品な発言。思わず、こっちから断ってやろうと言いかけたイーリオだが、一歩早く、ドグがそれに先んじた。彼も腹が立ったのだろう。
「けっ! んな奴に教わるなんて、こっちから願い下げだぜ。そもそも人を見る目がないこんな野郎が、まともに教えれるわけねぇじゃねぇか。格好を見りゃわかるぜ。んなダッセぇ頭をしてるぐらいだ。大方教え方も、すげえ雑なんじゃねえの?」
嫌味を効かして、嘲笑ってやったつもりのドグだったが、彼の発言に、何故かマテューが顔を蒼くする。リッキーに言ってはいけないのだ。彼の服装、特に髪型をなじるような言説は。
「このクソガキ……、てめぇ、今なんつった? おお?」
「はっ! 頭に雷でも落ちて、耳まで悪くなったか? その剃り込みみてぇによ。もっかい言ってやるよ、てめぇにだけは教わりたくないね。この赤トサカ」
流石に言い過ぎと思ったイーリオは、ドグの袖を引っ張って、「もうその辺で止めとけ」と注意をするも、頭に血が昇ったドグは、怒りを抑えようとしない。ナーストレンドの時もそうだったが、どうもドグは、怒り易く、しかも喧嘩っぱやい性格らしい。
「てんめぇ、言うに事欠いて、オレの髪型をダサいだとぉ?! 大概にしとけよ、このクソチビ」
さっきとは反対に、マテューとメルヒオールが、リッキーを宥める。「その辺にしとけ」と、二人の間に割って入った。だが、リッキーの言葉は、ドグの禁忌に触れてしまっていた。
――〝チビ〟と。
今度は、ドグの低い沸点が、案の定、頭から湯気をたててしまった。止めようとするイーリオの手を巧みにすり抜け、風のようにリッキーに飛びかかる。
渾身の右蹴り。
だが、ドグの足は宙を蹴る。空振りをし、勢い、思わずその場に倒れ込むドグ。
躱された事がショックで、動けなくなるかと思いきや、昨日の事もあって、よっぽど腹に据えかねていたのだろう。ドグはすぐさま立ち上がると、二度、三度と立て続けにリッキーに食って掛かる。
それを見ているイェルクは、
「おお。オモロい状況になってきたなぁ」
などと、暢気な声をあげている。だが、これを焦っているのはマテューのみで、何故かメルヒオールは、やれやれと言った表情ではあるものの、狼狽えている素振りはない。
ドグは、何度も飛びかかって、リッキーに一撃を加えようとするが、どれもこれも空を斬るばかり。リッキーは、まるでドグの攻撃がわかるかのように、余裕をもってその全てを躱していた。
ドグはこの状況に、何故か身に覚えがあるかのような錯覚を感じていた。
いや、錯覚などではない。
これはつい最近、自分の身の上に起こった状況だ。そう、〝神速の荒鷲〟ギオル・シュマイケルと戦った時と、酷似していたのだ。
最初は虚をついて、互角にやり合っているかのように感じたが、それこそ錯覚以外の何者でもなく、こちらの攻撃はまるでかすりもせず、敵はやりたいように、斬りたいように、攻撃を重ねていく。気付けば自分の五体には、無数の刀傷が刻まれ、レレケに与えられた翼は、見るも無惨な姿に成り果てていたのだった……。
今、対峙しているこの男の動きも、それにどことなく似ている。適当に己の身体能力に任せているのではない。自然でありながら、計算されているような――そんな優美な身のこなし。まるで、雲か霞に向かっているようである。
同時に、これを見ていたイーリオも、つい先日の〝氷の皇太子〟ハーラルとの戦いを思い出していた。こちらは全速で動いているのにも関わらず、まるで全てが操られているかのような、白虎騎士の動き。リッキーの動きは、イーリオにとって、まさにそれと同じもののように感じられていた。
やがて、肩で息を切らせながら、体力の尽きたドグは、その場に両手をついてしまう。
それを見下ろすリッキーは、息を切らせてないどころか、汗一つかいていない。
「そうやってよォ、てめぇが『どうかお願いします』って頭を下げるんなら、考えてやってもいいぜ? うん?」
少し嗜虐的な響きをもって、リッキーが言い放つ。
「だ……誰が……、あ、頭を、下げる……かよ」
息も絶え絶えにはねつけるドグ。これを見て、リッキーは「フフン」と鼻で笑って答えた。
「威勢だけは一人前だな、チビ。よォし、そーだな。こーなったら、どれだけおめーらが、武術っつーモンに向いてねーかを、オレが分かり易く教えてやろう」
「……?」
ニヤニヤと笑うリッキー。
「おめー、一応、騎士なんだろ。だったら今から、自分の鎧獣をここに連れて、鎧獣騎士になって、オレと戦え。オレはこのまんまで戦ってやる」
驚き、次に怒りが再燃するドグ。
「……! ……ってめぇ! ふざけんじゃねぇぞ! な、生身で……人間のまんまで、鎧獣騎士と戦うってのかよ?!」
「ああ、そうだ。オレはそうだな……、マテュー、練習用の木剣を一本借りてこい。――オレはその木剣で、てめーと、てめーの鎧獣を叩き伏せてやる」
――生身で鎧獣騎士と戦うだって?!
これには、イーリオも二の句が継げない。いくら騎士団の騎士が強いからといって、それはあまりにも無謀すぎた。あり得ない。いや、生身で戦うなど不可能だ。鎧獣騎士とは、一体で千人、万人の兵に勝ると言われている、最強の武装である。そんな武装をまとった者を相手に、どれだけ鍛えてようとも、人間が勝てる見込みなど、万に一つもあり得ない。いや、そもそも勝てるかどうかなどと言う話ではない。蟷螂の斧でさえ足りぬほどの戦力差だ。
リッキーの無謀な提案に、驚愕を通り越して、あまりにも馬鹿にしすぎた驕慢さえ感じる。ドグも同様で、口角に泡を飛ばして、彼を激しく非難した。
「馬鹿にすんのも大概にしろよ……!」
だが、リッキーの発言に驚いているのは、イーリオ達だけのようだ。その場にいる覇獣騎士団の誰もが、イーリオ達に好意的でさえあるメルヒオールですらも、同僚の無謀すぎる言動を戒める素振りさえ起こさなかった。それどころか、マテューにいたっては、近くから練習用の木剣を既に借り出している。
「どいつもこいつも舐めやがって……! よぉし、いいだろう。それじゃあ鎧獣騎士になって、相手してやんよ。けどなぁ、それがどういう事か分かってんだろうな。腕の一本や二本で済まねえぜ」
「ドグ!」
「うっせえ! ここまで虚仮にされて黙ってられっかよ!」
イーリオの制止も聞かず、ドグは大股で、自身の鎧獣、大山猫の〝カプルス〟がいる厩舎に足を運ぶ。
その後すぐ、カプルスを連れたドグが、血走った目をしながら姿を表した。
いくらこのリッキーって人が凄腕だろうが、鎧獣騎士を生身で相手取るなんて、暴挙としか言いようがない。待ち受ける無惨な結末を目に浮かべ、思わずイーリオは、メルヒオールに中止を求めた。
「これ、いくら何でも無茶すぎます。止めなくていいんですか?」
イーリオの言葉に、メルヒオールは微笑みで返した。
「心配しなくても大丈夫。リッキーはああ見えて、きちんと加減を知っているからね」
「そっちじゃないです! リッキーって人がヤバいでしょう?! 生身で鎧獣騎士の相手をするだなんて――」
イーリオの必死な姿に、だが、メルヒオールはクスリと笑った。
――笑う? この人、何がおかしいんだ?
むしろ苛立ちさえ覚えるイーリオ。
「そうですね。普通なら無謀に見えるでしょう。でも安心して。君達は、あまりにも素人だから、万に一つもリッキーが怪我をするなんてあり得ませんよ」
「僕……達……?」
「ええ。あのドグって彼。彼が君でも一緒です」
常識はずれの事を言っているようにしか聞こえない。だが、異を唱えようとするよりも先に、ドグがカプルスをその身にまとった。
背の低いドグでも、カプルスをまとえば身長は六・五フィート(約二メートル)を優に超える。
その手には、すでに鉤爪の授器が展開されていた。
――やばい! ドグの奴、本気でリッキーって人とやるつもりだ……!
躊躇っている暇などなかった。
すぐにザイロウを鎧化して、ドグを止めなければ。けど、鎧化出来るのだろうか? 今はシャルロッタに危機が訪れてるわけじゃない。ただの私闘だ。そんなものに、シャルロッタが鎧化の許可を与えてくれるだろうか?
そんなイーリオの僅かな逡巡の隙に、ドグはリッキーへと躍りかかった。
高速の動き。
人間では実現不可能な速さに、回避の術はない――はずだった。
だが、先ほど、生身でリッキーに一撃を入れようとした時同様、カプルスの爪は何もない空間を切り裂いた。
――なっ……!
驚愕するドグとイーリオ。大山猫の騎士の背に、リッキーの声が飛ぶ。
「どうした。こっちだぜ、オレは」
振返ると、そこにリッキー。体捌きがまるで見えなかった。
体のバネを活かして、反転。ドグは再びリッキーに襲いかかる。
――今度こそ!
そう思った必中の一撃。
だがそれも、かすりもしない。次に感じたのは、背中への衝撃。脊髄への木剣の一振りだった。
重い一撃を食らい、その場に叩き伏せられるドグ=カプルス。
「スマねーな、ガキんちょ。鎧獣なんつー、カテぇモンを着ちまってっからよ。急所にでもアテねーと、出来ねーんだわ。叩き伏せるっつーことが」
痛みは大した事がない。
リッキーの言う通り、鎧獣をその身にまとっているが故、普通なら木剣であっても、致命傷になりかねない一撃が、軽い衝撃にしか感じられなかった。だが、問題はそこではない。
最強の兵装たる鎧獣をその身にまとい、それでも、かすりもしないなんて事があるなど……!
屈辱と現実に打ちのめされ、ドグは地を見つめたまま、呆然自失となった。




