第三章 第三話(終)『師事』
「分かったか。これがおめーらの限界ってやつだ。鎧獣騎士なのに、人間サマに一撃すら入れらんねー。獣騎術なんて、百億万年はえーよ。分かったら、おウチに帰ってママのオッパイでもしゃぶってな」
リッキーはそう言って、木剣をマテューに投げ渡した。慌てて受け取るマテュー。そのまま、くるりと踵を返し、その場から立ち去ろうとする。
「おい、リッキー」
メルヒオールが呼び止めようとするも、リッキーは手の平をひらひらさせて、無言で断る。
そこへ、彼の前に回り込んだ者がいた。
いつの間にやら出来ていた、城中の人垣も、ざわ、となる。
イーリオだ。
イーリオはリッキーの前に立つと、真剣な眼差しで彼の目をまっすぐに見つめ返した。
「ンだ……? 敵討ちでもするってか?」
だが、彼の言葉に反して、イーリオはいきなり、勢い良く頭を下げた。
これにはリッキーも驚く。
「何のマネだ?」
頭を下げたまま、イーリオは言った。
「お願いします! どうか僕らに、貴方の武術を教えてください!」
呆気にとられるリッキー。イーリオはそのまま続けた。
「先ほどまでの、ドグの無礼は謝ります! だから僕らに――僕に――貴方の武術を教えて下さい!」
イーリオの姿を見ていたレレケは、彼の心情を何となく推し量る事が出来た。思わず、
「イーリオ君……」
と呟いてしまう。
言葉を無くしたリッキーへ、メルヒオールがゆっくりとした歩調で歩み寄っていった。その肩に手を置く。
「リッキー。彼、お願いします、って、頭を下げてるじゃないか」
メルヒオールの台詞は、先ほどリッキー自身が、ドグに言ったものだ。
「……何でそこまで、強くなりてーんだ?」
「黒騎士です」
イーリオの言った名前に、その場の全員がざわめく。
「僕は黒騎士と勝負して、勝たなきゃいけないんです。そのためには、もっともっと強くならないといけない……! だから……!」
「黒騎士――だって……?」
リッキーは目を丸くして驚き、次いでくつくつと笑い出した。やがて笑い声は、腹を抱えた哄笑に変わる。それは周囲の騎士団の人間達も同様だ。全員がイーリオの言葉にどっと吹き出した。
分かっていた。
頭を上げずとも、彼らが何故笑うのかぐらい、どんな間抜けにだって想像がつく。
自分らのような素人が、最強の鎧獣騎士と名高い黒騎士に勝負して勝つだなどと、生身で鎧獣騎士に勝つよりもお笑いぐさでしかないだろう。
だがそれでも、自分はその不可能をやらなくちゃいけない。
奪われたペンダント。
亡き母との唯一の繋がり。
どだい不可能な目標。諦めても何ら恥じる事はないのだが、何故かそれは出来なかった。そこまで母に恋い焦がれているのかと言うと、それは違うように思う。勿論、母への憧れは強くある。だが、それだけではない。あのペンダントは、自分という人間にとって、なくてはならない大切な〝一部〟なんだと、強く感じていた。あれを諦めるという事は、己の生きる目標を失うのと同じ事。
それは今まで、父・ムスタの元で、特に疑うでもなく錬獣術師になるのだろうと漫然と日々を送っていたイーリオに出来た、初めての生きる目標、人生の道標に思えた。ただ、母の形見というだけではない。あれを取り戻し、シャルロッタとザイロウの出自を解き明かすという事は、自分が成し遂げねばならない使命のように感じていた。それを己自身の手で奪い返さねば、これから先、如何様な困難があっても、その度に自分は「仕方ない」と諦めてしまう人間になるだろう。だからこそ、あのペンダントは、何が何でも自分自身で、黒騎士の手から取り戻さなくてはいけなかった。そう思うと、途端にイーリオの体は、梃子でも動かない、巌の如き意思のようなモノに変わっていくのを実感していた。
ふと、思い出す――。
父の言っていた一言――。
――そういう頑固なところ、まるで母さんそっくりだなぁ。
瞳に懐かしさと意思が宿る。諦めない意思が。それはオオツノヒツジの鎧獣騎士と対峙した時に表れた思い。ティンガル・ザ・コーネと戦った時、死を間際に彼から吹き出した怒り。それらと同質のものであった。
「てめーみてーなガキが、あの黒騎士と勝負するだって――? そいつは、ひ、うひひ、何ともおもしれージョーダンだ」
腹を抱えて笑うリッキーに向けて、イーリオは下げていた頭を上げる。その目に宿るのは、狼の不屈。
――へっ。一丁前の眼かよ。
堅物そのものと言った顔のイーリオ。呆れるくらいに真面目なその顔に、笑っていたリッキーは、思わず笑いを止める。
「冗談じゃありません。僕は本気です」
交差する視線と視線。
――こいつ、ガキかと思ってたら、〝男〟の眼をしてやがる。
リッキーは射殺すような鋭い目つきに変え、声音も低く、イーリオに問い質した。
「おめー……マジで言ってんのか?」
そこらの破落戸程度なら、縮み上がって逃げ出してしまいそうなほどの迫力。まさに一流騎士団の騎士ならではの、底知れぬ凄み。だが、イーリオはそれを微動だにせず受け止めた。
「はい」
目は逸らさない。まばたきすらしない、強固な意志が鎧となった瞳の奥の光。
再び問いかける必要はなかった。
「ふん……咬み殺しそうな目だな」
肩の力を抜いたリッキーの物言いだが、イーリオはまだ睨み続けている。その目に、思わずリッキーは自分の幼い日を思い出していた。故郷のアクティウム王国を出て、覇獣騎士団への入団を志した、遠い日の記憶を。
――俺が主席官のトコへ行った時も、こんな感じだったんだろーな。
あの時は今のイーリオよりもずっと幼く、まさにガキ以外の何者でもなかった。そんなリッキーを、既に騎士になっていたマテューが応対し、わざわざ主席官の所に連れて行ってくれたのだ。どこの馬の骨ともわからぬ薄汚れたガキが、何を偉そうに騎士団に入団させてくれだ、と、撥ね付けて当然だったのを、あの主席官は「気に入った」と言って、迎え入れてくれたのだ。
「ふう……」
ほんの少しの感傷的な気分に浸ったリッキーは、真っ直ぐなイーリオの瞳から目を逸らし、後ろを振り返った。
メルヒオールは笑顔で一度頷く。
その向こうのマテューは、何度もうんうんと頷いている。
イェルクは何を考えてるのかわからない狐目で、肩をすくませて見せた。
さらにその向こう。眼鏡の女性と銀髪の少女がこちらを見ている。
少女の表情は読めないが、レレケは、まるで彼女らしからぬ、ハラハラとした感情を浮かべている。
更に周囲の人だかり。参号獣隊 の団員達も、いつの間にやら笑うのを止め、じっと、リッキーとイーリオを見つめていた。いや、イーリオの真摯な態度が、彼らをして、そうさせたのだろう。
「これじゃあ、オレがワルモノみてーじゃねーかよ……」
リッキーは小さくそう呟くと、改めてイーリオに向き直り、一言――、
「わーったよ」
と答えた。
思わず笑顔になるイーリオ。
後ろのレレケは、シャルロッタの手を取り、喜んでいる。
「ありがとうございます! リッキーさん!」
「しゃーなしだぞ。しゃーなし。――でもな、言っとくが、オレが言うのはガン、と来るぜ。チビるようなアレしてんだったら、やめンのも今の内だぜ」
何となく言いたいことはわかるリッキーの言葉に、思わず苦笑するメルヒオールとマテュー。
「鍛錬は厳しいって事ですね。大丈夫です。覚悟は出来てます。それに、そんな中途半端な思いは持ってません」
すらすらと返答したイーリオの言葉に、苦笑していたメルヒオールとマテューは、思わず目を合わせる。そして、マテューはこちらに近寄りながら、イーリオに尋ねた。
「君……今の次席官の言葉、わかったの?」
「てめーマテュー、その言い方は、ンだぁ?」
「……? ええ。わかりました、けど……?」
再び目を合わせるメルヒオールとマテュー。偶然だろうか。それともこの少年、次席官の理解し難い言葉遣いを、一瞬で理解出来たというのだろうか。だとしたら――。
「リッキー、なかなかの逸材だよ、彼は」
再び肩に手を置き、笑顔を強くしてメルヒオールは言った。マテューも、さらにうんうんと大きく頷いている。
「……てめーら……どーゆー意味だっつーの」
頬を引き攣らせて、睨みつけるリッキー。
よくわからないが、とにかく自分は受け入れられたのだと、イーリオは胸を撫で下ろした。そこへリッキーが改めて問う。
「んでよ、あのチビガキはどーすんだ?」
親指で後ろを指して、まだ鎧化を解いていないドグの事を尋ねた。思わず「ああ!」と声を出し、イーリオは駆け寄る。
「ドグ、ドグ! もういいんだ、鎧化を解いて」
ショックのドグは、ゆっくりと首を動かしてイーリオを認めると、その後、ゆるゆるとした動きで蒸解を唱える。呆然としながら、「俺、生身の人間に負けちまった……」とぶつぶつと呟いている、それはそうだろう。鎧獣騎士で人間に負けるなど、腕相撲で赤ん坊に負けるのと同じくらい、あり得ない事なのだ。
「わかってる。でも、僕が戦っていたとしても、きっと一緒の結果だったと思う。だから一緒に教わって強くなろう。ね、ドグ?」
諭すようにイーリオは声をかける。そこへ、リッキーの赤毛頭が近付いて来た。
「チビスケ、おめーも教わりてーっつのか? その覚悟はあんのかよ?」
身長をなじったリッキーの台詞に、思わず萎えていた気分が再燃する。
「だ、誰がてめぇみてえなトサカ馬鹿に教わるかよ! 馬鹿野郎!」
「何だとぅ! このチビガキ!!」
再び再戦しそうな勢いの両者を、イーリオやメルヒオール達は、羽交い締めにして押しとどめる羽目になっていた。
相変わらず、イェルクはニヤニヤと笑っているだけだ。
「ほんま、おもろい事になってんなぁ」
彼は一人、この状況を楽しんでいるかのようであった。
「面白い!」
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