第二章 第二話(1)『細剣』
太陽神がその身を休め、夜の女神に刻を譲る頃――、星々の輝きも届かぬ幽けき暗闇の中で、なお昏い黒をその身にまとった女が、路地裏より姿を表した。
全身が黒ずくめの中で、幽鬼の如く白い肌と、紅い唇だけが、まるで闇夜が色付くように、そこだけくっきりと浮かび上がる。
「こちらの手筈は整ったわ。殿下にもそうお伝えして」
〝黒衣の魔女〟エッダが、路地の壁に背を預ける男に、声をかけた。
「手数は如何様だ?」
男は、目を閉じ、俯いたままの格好で、その声に応じた。少し長めの金髪を後ろに撫で付け、鑿で削りとったように削げ落ちた頬は、闇夜の中で凄惨さを増しているようだった。
「山賊の生き残りが三人。内二人が鎧獣持ちの騎士よ。例の子が襲った時、砦にはいなかった奴らね」
「それでは話にならんではないか」
「しょうがないじゃないの、いくら何でも急ごしらえだもの」
「……仕方あるまい。連れて来た俺の部下を一人つける」
金髪の男は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「ありがとう、ギオル。さすが四大騎士団の団長様ね」
「貴様に礼を言われるなど、薄ら寒いわ。……しかし、殿下らしくない。何故にこうも迂遠なやり方をなさるのか……」
ギオルの独白に、エッダが勝手に応じる。
「〝戴冠の序〟ね。原因は」
「噂は本当なのか? 宮廷スズメどもがあれこれ好き勝手噂話をしていると聞くが?」
「少なくとも、あの銀狼の鎧獣と、銀髪の少女が関わっているのは事実よ。でも、詳しくは私も知らないわ。帝国宮廷内でも秘中の秘だもの。知っているのは国家最高錬獣術師のインゲボーと、皇后様、それに皇帝陛下のみ」
本当は、自身も詳しく知る当事者の一人であったが、今はこの男に、事実をつまびらかにする時ではないとエッダは考えた。しばらくは情報を小出しにして泳がせておこう。見た目と役目に反し、案外、謹厳なところがある男だ。どう転ぶか、まだわからない。
「だが、それにしたところで解せん話だ。どうもこの一件、何やらきな臭いな……。エッダ、貴様、まだ何か隠してるのではないだろうな?」
落ち窪んだ目は、闇夜にあって、いつも以上の迫力を伴っている。だが、エッダは帝国屈指の騎士の脅しにも、まるで動じる素振りもなかった。
「知らないわ。本当よ。仮に知ってたとして、それを我々が知ったところで何も変わらないわ。そうでしょう?」
エッダの人を食ったような物言いに、何か反論しかけたギオルであったが、そこへ、道に迷ったか、ガヤガヤとした四人の男達が、ギオル達のいる路地へと迷い込んで来た。
四人は、暗がりに佇むエッダとギオルの二人を見て、逢い引きか何かと思ったのだろう。下卑た言葉で、なじりながら、こちらに近寄ってくる。その四人の内、一人は顎に傷を負っていた。――昼間、ドグに一撃を見舞われた男であった。そう、四人は、イーリオ達に絡んで来た男達である。
「ようよう、ご両人さん、こんな暗がりで楽しんでるのかい? 俺たちも混ぜてくれよ」
酒が入っているのだろう。若干呂律が回っていない。
ギオルは忌々しげに「チッ」と舌打ちをすると、ユラリ、と、壁にもたれた背を起こした。彫りの深い顔なので、視線がどこを向いているかはわからないが、それでも四人に向き合ったのは確かだ。四人の内の一人が、「何だぁ? やろうってのか?」と、ギオルが誰とも知らずに気炎を吐く。
近付くと、アルコールの匂いが漂ってくる。昼間手にした金貨で、気分良く飲んでいたのだろう。酒精の匂いに、ギオルは更に顔をしかめると、吐き捨てるように言い放った。
「塵屑どもめ」
言うが早いか、ギオルの右手が消えたように閃いた。音は後からついてくる。
鞘鳴りの金属音がなると共に、ギオルは男達に背を向けた。
「いつ見ても見事なものね。〝神速の荒鷲〟」
エッダの追従が終わるか否かのうちに、四人の男達は、まとめてその場に崩れ落ちた。四人とも、頸動脈が綺麗に断ち斬られ、それでいて尚、血も吹き上げず、己の血に溺れるようにもがきながら、その場に血だまりを作っていく。
四人は何が起こったのか、まるで理解出来なかっただろう。
その剣技は、意識すら刈り取る速さ。
まさに神業とも呼べる彼の技量をして、人は彼を〝神速の荒鷲〟と呼んだ。
「これで、今晩の処理も終わった。……しかし、この塵屑どもが、よくここを通ると分かったな」
背を向けたギオルに反し、エッダは早々に死体へと変じつつある男達に近寄り、その懐をまさぐる。男らは手を掻きむしるように伸ばすが、エッダには届かない。
「ちょっとした心理的誘導よ。大した事はしてないわ」
「ふん……。貴様こそ、さすがは〝魔女〟と呼ばれるだけはある……」
「ありがとう。素直にお礼を言わしてもらうわ」
言いつつ、死体から金貨の残りが入った革袋を見つけ出す。
「おい」
それを見たギオルが問い質す。
「まさか追いはぎ紛いをやろうというのではないだろうな?」
「いけない?」
「それぐらいは残してやれ。こいつらとて死に金は必要だろう」
「あら、案外信心深いのね。でも残念。これは回収させてもらうわ。懐からお金がなくなっていれば、強盗か、追い剥ぎの仕業に出来るでしょう? それにどのみち、死に金なんて必要ないわ」
「何故だ?」
エッダは革袋を懐に仕舞うと、肩をすくめて答える。
「死んだって、天国も地獄もあるわけないもの。あるのはただの〝無〟だけ」
その言葉に、ギオルは思わず鼻白む。
「〝魔女〟が不信心を語るか。とことんいけ好かん女だな。お前は」
「あら、変な事言うわね。〝魔女〟だから不信心なのよ」
エッダはそう言って、路地裏の暗闇に、艶笑を残して消えていった。まるで闇夜に溶け込むかのように。
その不気味な振る舞いに、ギオルは再び舌打ちをする。
「全く……、どいつもこいつも……」
外套を翻し、ギオルもエッダの消えた方とは違う道に消えていった。
翌日、四人の死骸は追い剥ぎの仕業という事で、片がついたのは、言うまでもない。




