第86話 キングアルマードベア
地下6階に降りると、空気が変わった。
「なんか……濃くなった気がする……」
虹子の言葉通り、ここからはダンジョン内に満ちるマナの濃度が高まっているのだ。
新装開店が気になっている零那は、はやる気持ちを押さえながら言った。
「そうね、ここからは妖怪も少しだけ強くなるわ。ちょっとスピード落とすわよ」
そうは言ってもついついペダルを踏む足に力が入ってしまう。
なにしろ虹子たちの命が懸かっているのだ。あと新装開店も。
零那たちは地下6階をグングンと進んでいく。
「おかしいな……モンスターが出ないぞ?」
トメが呟く通り、モンスターが全く出現しない。
〈どうなってるんだ?〉
〈ここ、地下6階なんだろ?〉
〈普通の探索者なら絶対に足を踏み入れない深層階なのに〉
「羽衣が法螺貝吹き続けているからね。そんじょそこらの妖怪じゃ逃げていくわよ」
「お姉さま、法螺貝ってそんなに効くの?」
「まあこのくらいの深さならねえ……地下10階レベルになると難しいと思うけど」
「地下10階って。難易度で言ったらK2無酸素単独登頂くらいあるんですけど」
〈たとえがわかりづらい〉
〈ちなK2無酸素単独登頂に成功したのは人類史で7人だけ〉
〈地下10階でそのレベルなのか……地下20階とか無理じゃね?〉
コメントに零那が反応する。
「大丈夫よ、洞窟って人にやさしいつくりをしているからね。空気があるし、人間が生存できないほど暑かったり寒かったりしないもの。ただ出てくる妖怪が強くなってくるだけ」
「だけってお姉さま……。まあ私も死にたくないから行くしかないけどね」
★
「人にやさしい、ねえ……」
地下20階、祭壇の間。
自らの娘が入った壺を抱いて撫でながら、彩華はタブレットを眺めていた。
わざわざ配信してくれるとは。
今どの位置にいるかがわかって便利ねえ、と彩華は思う。
「でもね、今はこのダンジョン、私が支配しているのよお。そんなやさしいつくりにしないから、楽しみにしててちょうだい……。セーコ、葉巻を」
「はい、奥様」
ピンク色の真新しいワンピースドレスに身を包んだセーコが返事をする。
カラカラに干からびた動く死体、コルポ・セコである彼女は、葉巻を両手で捧げ持って彩華に渡す。
「ふふ、ありがと」
彩華はそれを受け取って吸い口をシガーカッターで切り取る。
ターボライターの火で先をあぶり、火が付くと口に咥えて大きく吸い込んだ。
マクンバにおいて葉巻と葉巻の煙は特別な意味を持つ。
精霊を呼び出すときの必須アイテムなのである。
大量の煙を、胸に抱いている壺に向けて吐き出す。
「ふふふ、待っててね、私のかわいい赤ちゃん……もうすぐ身体が手に入るわよお……」
紫色の煙が壺にまとわりつく。
壺が少しあたたかくなった気がした。
我が子の魂が生きていることを感じて、彩華は満足げに笑みを浮かべる。
「奥様、あいつらを放っといていいのですか?」
しゃがれた声でセーコが聞いてきた。
「ふふふ……まずはもっとひきつけて、戻れないところまできたら本気出すわよ。今はまだ地下6階。無理そうと思ったらまだ引き返せるもの。あの山伏と妹は絶対に殺す。そのためにはもっともっと深くまで潜ってくれないとね」
「なるほど……」
「そうね、でも、多少はモンスターをけしかけて消耗させるのもいいかもしれないわね。山伏といえど闘い続けたらいつか疲労するわあ。そこを叩くの。ふふふ、じゃあ手始めにこんなのはどうかしらあ?」
彩華はいったん壺をスライムの中に戻す。
大平深夜の死体が綺麗に保たれているのを確認すると、少し口角を上げた。
きっと、元気な娘になるわ……。
そしてタブレットに向き直ると、ペンバと呼ばれるチョークを取り出し、空中に魔法陣を描き始めた。
★
零那の走る自転車の前方で、突然壁が崩れた。
石の破片が床に落ち、通路に響き渡るほどの大きな音が鳴った。
「なにか来るわ! 戦闘するわよ!」
地下6階のモンスター相手となると、ゴブリンのようにひき殺そうとするのは多少のリスクがあった。
あまり強い衝撃が加わると、零那や羽衣はともかく、虹子やトメがケガをするかもしれないからだ。
自転車を止める零那。
「羽衣!」
零那が叫ぶと羽衣が、
「はい、お姉ちゃん!」
と言ってトレーラーの荷台に置いていた錫杖を軽々と零那に投げて渡した。
虹子とトメもいったん床に降り、それぞれ魔導銃と掃除機を構える。
荷台の上のヤミは怖がって身を伏せている。
「さあ、なんでも来なさい!」
崩れた壁の向こうから現れたのは、アルマードベアの群れだった。
〈うお、5頭もいるぞ〉
〈でもこいつならこないだ法螺貝だけで逃げて行ったよな?〉
「いえ、違うわ。こないだの化け熊ちゃんじゃない……。もっと大きい……」
体長は6メートル。
通常のアルマードベアより二回りも大きい。
頭には角が4本生え、牙は青く不気味に輝き、巨大な爪も同じくギラギラと光を反射している。
〈なんだこれ〉
〈キングアルマードベアだ!〉
〈伝説上のモンスターだろ〉
〈危険レベルは?〉
〈そんなもんない。とにかくやばい〉
零那は錫杖を大きく上に掲げ、叫んだ。
「ソワタヤ ウンタラタ カンマン!! 南無倶利伽羅龍王!」
とたんに、零那の錫杖から黒煙を上げる激しい炎が噴き出した。
零那たちの前方がすべて炎で埋まる。
反動で灼熱の風が零那たちに吹いた。
「熱っ!」
思わず腕で顔をかばう虹子。
その熱だけで火傷しそうだった。
「むん!」
トメが掃除機を作動させると、そのノズルが熱を吸い込み始める。
ほんの一分間ほどの火炎放射が終わると、そこには5体分の真っ黒こげになった死体だけが残されていた。
「え……? お姉さま、すごい……」
「…………悔しいが、レベルが私とは違うな……」
虹子とトメが呟いた。
「ふー。じゃ、先に行くわよ!」
★
キングアルマードベア5頭を瞬殺するのを、彩華は見ていた。
ゆうゆうと地下7階への階段を降りていく零那たちを見ながら、 彩華は不敵な笑みを浮かべる。
「なーるほどね。真正面からだと難しそうね……。じゃあ、別の手で行こうかしらあ……」
そして再びチョークで宙に魔法陣を描き始めた。




