第41話 人間ファンヒーターと、逆転の発想
地下研究室の作業台の上で、煮えたぎるフラスコから白い湯気が勢いよく吹き上がっていた。
大通りの店舗の地下倉庫。夜会での大成功で得た銀貨六百枚から惜しみなく予算を回し、リョウは次なるサイズ回復実験に没頭していた。
前回の失敗原因はすでに分析済みだ。細胞活性と組織増殖に頼った結果、皮膚のキメだけが異常に整ってモチモチの美肌になってしまった。ならば、別のアプローチだ。前世の滋養強壮剤――マカ、亜鉛、アルギニンといった成分が謳っていた「局所への血流集中と熱量増幅による強制覚醒」の理論である。
素材商から買い集めたのは、火竜の肝油、灼熱樹の樹液、それに高濃度の滋養薬草エキス。どれも血行を極限まで高め、体内に莫大な熱エネルギーを生み出す劇薬に近い素材ばかりだ。慎重に抽出と減圧蒸留を重ね、フラスコの底に完成したのは、ルビーのように深紅に淀み、それ自体が微かな熱気を放つドロリとした薬液だった。
「……よし。試作第二号だ」
リョウは唾を飲み込み、服の紐を解いた。スポイトで吸い上げた深紅の液体を、下腹部へと慎重に塗り広げる。
塗布した瞬間、猛烈なカッカとした熱気が立ち上った。皮膚の奥の血管がドクドクと拍動し、恐ろしいほどの血流が下腹部に集中してくる。
(来た……! 熱い! これはいけるんじゃないか……!?)
リョウは期待に胸を高鳴らせ、引き出しから使い古した麻紐を引っ張り出した。息を止め、震える手で目盛りを当てる。
……だが。
紐につけられた「あの日」の黒い結び目と、ミリ単位の狂いもなく完全に一致していた。サイズは、一ミリも動いていない。
「……嘘だろ、相棒」
愕然としたリョウの呟きをかき消すように、異変は次の瞬間に起きた。局所に留まるはずだった猛烈な熱気が、一気に全身の血流に乗って駆け巡り始めたのだ。心臓が早鐘を打ち、全身の代謝機能が爆発的に暴走を始める。
体温が急上昇した。皮膚がみるみるうちに赤く染まり、毛穴という毛穴から吹き出した汗が、体熱によってシュウシュウと白い蒸気へ変わっていく。
「あっつ!? あつっ、なんだこれ!? 燃える、体が燃える!!」
慌てて井戸水の桶を頭からかぶったが、冷水は肌に触れた瞬間に湯気となって蒸発した。氷水を抱え込み、床を転がり回りながら、リョウは絶叫した。
「相棒……! 温まりすぎだ……!!」
翌朝。東の空が白む頃、リョウはふらふらとした足取りで一階の店舗カウンターへと上がってきた。
熱暴走のピークは過ぎたものの、狂ってしまった体温調節機能は元に戻っていなかった。リョウの身体の周囲には、真夏のアスファルトのようにゆらゆらと陽炎が揺らめき、半径二メートルほどの空間にぽかぽかと猛烈な熱気を放射し続けていた。まさに、歩く人間ファンヒーターである。
「……おはようございます、リョウさ……きゃっ!?」
奥の居住区から仕込みを終えて出てきたフェルが、カウンターに近づいた瞬間、短い悲鳴を上げて飛び退いた。
「な、なんですかこの暖かさ!? 春の陽気どころか、日向ぼっこどころじゃない熱気です……! リョウさん、陽炎が立ってますよ!?」
「気にするな。ちょっと代謝が良すぎるだけだ……」
カウンターに突っ伏すリョウだったが、その背中にモゾモゾと小さな重みが張り付いてきた。屋根裏から降りてきたセリアだ。
だぼだぼのローブを着たセリアは、朝の寒さに敏感な鼻をヒクヒクさせると、吸い寄せられるようにリョウの腰へと両腕を回した。そのままリョウのお腹に顔を埋め、すりすりと頬を擦り寄せる。
「……ん……あったかい……。ここ、暖炉……。セリア、もう動かない……」
ご機嫌そうに黄金色の尻尾をパタパタと揺らし、セリアはリョウを抱き枕にして完全に二度寝の体勢に入った。そこへ、裏口の重い鉄扉が開き、肩に金槌を担いだカーナが入ってきた。
「おい、リョウ、頼まれてた棚の補強金具――って、なんだこりゃ!? 部屋の中が妙にぬくぬくしてやがる! おい、リョウ、お前歩く薪ストーブにでもなったのかい!?」
カーナが大股で詰め寄り、リョウの二の腕を素手で掴んだ。
「うわっ、本当に熱い! パン生地置いたらそのまま発酵して焼き上がりそうだぞ!」
「触るな、余計に暑苦しい! パン生地を置くな!」
騒ぎを聞きつけたルイーナが、朝の巡回から戻ってきた。銀の胸当てを着けたルイーナが、カウンター周りの異様な光景を見て眉をひそめる。
「朝から何を騒いでいる……ん? リョウ、顔が真っ赤だぞ。熱でもあるのか?」
心配そうに歩み寄ったルイーナが、革手袋を脱いでリョウの額に手を当てた。
「あつっ!?」
電撃を浴びたように手を引っ込めたルイーナが、目を丸くして息を呑む。
「な、なんだこの熱さは!? 四十度どころの騒ぎではないぞ! 今すぐ寝台で安静に――」
「違う、病気じゃない! ちょっと内臓が元気になりすぎているだけだ!」
ひとしきり揉みくちゃにされ、腰にしがみつくセリアを抱っこしたまま、リョウはカウンターの椅子へ深く腰を下ろした。ようやく落ち着きを取り戻したフェルが、手元の仕入れ伝票を開き、昨夜の課題を切り出した。
「リョウさん、あの……昨夜お話しした、美容液の原料の件ですが」
「ああ。竜血草と、巨木の細胞活性樹液の在庫枯渇だな」
「はい。王都近郊の採取分は完全にゼロです。仕入れ先によると、北方の極寒未開地――竜の渓谷と呼ばれる山岳地帯には手付かずの群生地があるそうですが、馬車で片道一週間以上かかります。採取したての生の薬草を運ぼうにも、既存の幌馬車の荷台では蒸れるか、揺れと乾燥で完全に枯れて腐ってしまいます。王都に着く頃には、ただのゴミになってしまうんです」
「熱と、鮮度か……」
リョウは腕を組み、唸った。その間も、リョウの身体からはぽかぽかと暖かい熱気が放射され、抱っこされているセリアが気持ちよさそうに喉を鳴らしている。
熱を放射する自分の身体。ゆらゆらと揺らぐ陽炎を見つめるうちに、リョウの頭の片隅で、前世の物理知識と技術者としての思考が猛スピードで噛み合い始めた。
(俺の体は、体内のエネルギーを熱に変えて、外へ一方的に放熱している……)
(……待てよ。熱を出す仕組みがあるなら、その逆はどうだ?)
リョウの瞳に、鋭い光が宿った。
「フェル。熱っていうのはな、ただ消えてなくなるものじゃない。どこかから『熱を吸い上げて』、別の場所へ『吐き出す』ことで、元の場所を冷やすんだ」
「えっ……? 熱を吸い上げる……?」
フェルがぽかんと首を傾げる。リョウはカウンターの上に羊皮紙を引き寄せ、羽ペンを走らせた。前世の冷蔵庫やエアコンの基本原理――ヒートポンプと熱交換サイクルだ。
「箱を作るんだ。分厚い二重構造の密閉金属箱を作り、中の熱を魔導で急速に吸い上げて、箱の外側へ放熱し続ける。箱の内部から熱を奪い去れば、真夏だろうが荷台の上だろうが、箱の中だけは雪山の洞窟と同じ極低温を維持できるはずだ」
胸元で聞いていたセリアが、ぱちりと目を瞬かせた。
「……できる……。熱を吸い上げる吸熱魔晶石と、外側へ熱を逃がす放熱陣……。循環回路を組めば、箱の中、ずっと氷点下にできる……」
カーナも身を乗り出し、羊皮紙の図面を食い入るように覗き込んだ。
「なるほどな! 熱伝導率の違う金属板を重ねて、継ぎ目を耐熱気密パッキンで塞げば、外の熱気を遮断して冷気を逃がさねえ頑丈なコンテナが作れるぞ!」
フェルも両手を打ち合わせた。
「それなら……! 温度変化を緩やかにする『吸熱保冷ゲル』を底に敷き詰めれば、北方の渓谷で摘んだばかりのみずみずしい生の薬草を、朝露がついたままの状態で王都まで運べます!」
単なる薬草の仕入れではない。遠距離輸送において、世界で初めて「温度」を支配するインフラの誕生だ。食品、生薬、治療薬。すべての物流の常識を覆す巨大ビジネスの輪郭が、リョウの脳裏に鮮明に描き出されていた。
「よし。名前は【保冷魔導コンテナ】だ。カーナ、セリア、フェル。早速、試作にかかるぞ」
リョウはセリアの温まった頭を撫でながら、手元の羊皮紙に二重断熱壁の断面図を力強く描き殴った。




