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アナグラム  作者: 七海美桜
キルケゴールの挫折

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池波・下

 篠原がケーキを食べ終えると、二人は曽根崎警察署に帰って来た。一階の焦げ臭い香りは次の日である今日も未だ残っていて、更にトイレへの通路は『立ち入り禁止』の黄色いテープで封鎖されていた。爆発騒ぎがあった刑事課も今は立ち入り禁止になっているので、彼らは空いている会議室を仮に使っていた。


「お帰り」

 特別心理犯罪課の部屋に入ると、留守番をしていた笹部が自分の椅子に腰を落として、ひらひらと手を振って二人を迎えた。そんな彼に、ぺこりと篠原は頭を下げる。笹部は、薄いお菓子のようなものをかじっていた。

「ねぇ、篠原君。やよいさんが、それ持って来たよ。あと、これも」

 笹部が指差す先には、珈琲豆らしい袋。多分、宝塚緩急百貨店内にあるロイヤルフレーバーの、京都工場の記念ブレンドだ。昨日帰りに買っておいて、今朝持ってくるのを忘れていたらしい。慌ててスマホを取り出すと、数回の着信とメールが母親から届いていた。


「炭酸せんべいって、美味しいね」

 多分やよいが、気を(つか)って買ってきたのだろう。宝塚の名産である炭酸せんべいが入った赤い丸缶を、笹部が抱えて食べていた。

「すみません、受け取って下さり有難うございます。すぐ珈琲淹れますね」

 篠原は湯沸かしに水を入れに、急いで給湯室に向かった。

「一課の人……元気そうでした? 爆弾での威力の怪我より転んだ時の怪我の方が大きいなんて、犯人は何考えて爆弾作ったんでしょうね」

 炭酸せんべいは、兵庫県の名湯有馬温泉(ありまおんせん)のお湯に含まれる炭酸が練り込まれた、薄焼きのせんべいだ。チョコレートなどのクリーム入りも販売されているが、地元では軽く食べられるクリームなしの方が好まれている。


「元気だけど、捜査から外されることに落ち込んでいたわ――懐かしいわね」

 櫻子は笹部の机に歩み寄ると、彼が抱える丸缶から白く綺麗な指先でせんべいを一枚取り出した。青味がかかった口紅が付かぬよう、気を付けてパリッと小気味よい音を立ててかじる。

 ほんのりと甘い、『昔ながら』の味に櫻子は小さく笑みを浮かべた。そこへ給湯室から戻って来た篠原が、慌てて袋から豆を取り出した。そうして今度は、手動ミルで熱がこもらない様に、ゆっくり豆を挽き始めた。朝の分の豆が残っていて、助かったとほっとしていた。


「池波隼人について、人物像を再確認しましょ」

 せんべいをかじりながら、櫻子は自分の机に向かい椅子に腰を落とした。笹部は抱えていた丸缶をパソコンの横に置くと、パソコンのキーボードを打ち始めた。

「了解しました――池波隼人、二十一歳。平成十一年、西暦だと1999年生まれです。学歴は、高校中退。自己都合となっていますが、素行の悪さが原因の様です。十六歳からしばらく素行の悪い仲間と万引きや引ったくりを繰り返して、堺市(さかいし)にある大阪少年鑑別所に二回収容されています。両親と兄、姉の五人家族の末っ子です」


 笹部の言葉と共に、彼の後ろにある壁が突然光ったように感じた。驚いた篠原が顔を上げると、笹部の後ろの壁にいつの間にか大きなモニターがつけられていた。そこに、池波の運転免許証が映し出されていた。

「え!? いつの間にこんなモニター付けたんですか?」

 篠原が驚いた声を上げると、笹部は大げさに肩を竦めた。

「今気が付いたの? 席に座ったら、君の正面になるじゃないか。君もボスもほとんどパソコン開けないから、説明する時面倒なんだよ」

「……申し訳ない、としか言えないわね」

 櫻子が申し訳なさそうに笑みを浮かべながら、艶やかな自分の髪を指に絡めて呟いた。篠原の休みの日に、笹部が櫻子に要望して取り付けたらしい。


 画面には、短く剃った髪の強面だがどことなくまだ幼さが残る青年が映っている。

「二度目の少年鑑別所を出てから、青少年の更生協力をしている三浦板金で住み込みで働き始めました」


「――快楽殺人、が妥当ね」


 彼の生い立ちから、ホームレスを暴行した事や殺した事は『快感』を得る為だと想像できる。池波は、『暴力性』を抱えている。もし彼が本当に犯人であるなら、金が欲しい訳ではない。ホームレスを狙う辺り、金品を狙ったとは考えられない。二件目で、暴力で人を殺す喜びを感じたに違いない。

「あの……」

 篠原が、小さく声を漏らした。櫻子と笹部は、良い香りが漂う珈琲カップを手にする篠原を振り返った。

「『サイコパス』とか『シリアルキラー』とか……俺、あんまりまだよく分からないです」

 篠原の言葉に、櫻子は大きな瞳で一度(まばた)きをした。

「そうね、最初に基礎的な話をしないまま色々な事件に付き合わせてきてしまったわね。簡単に、『異常犯罪』の種類を教えるわ」

 櫻子は机に肘をつき、手の甲に自分の顎を置いた。篠原は全員の珈琲を配り終えると、席に戻って櫻子の言葉を待った。

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