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アナグラム  作者: 七海美桜
キルケゴールの挫折

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池波・上

「良かったわね、その男前の顔に傷が残らないみたいで」

「はは、一条警視に褒められるなんて光栄ですね」


 病院の清潔感漂うシーツが敷かれたベッドの上で、顔のあちこちに血の滲んだガーゼをテーピングで留められた竜崎が、横になったまま困った様に笑った。

 櫻子は、見舞いとして持ってきた淡いピンクのカンパニュラやシャクやクスグリの花束を、看護師に借りた花瓶に生けていた。篠原は、自動販売機までお茶を買いに行っている。


 病室は、花で溢れていた。どうやら、曽根崎警察や交番勤務の婦警まで時間を作り見舞いに来ていたようだった。可愛らしい花で病室は賑やかだった。櫻子は曽根崎警察が誇る伊達男の姿を、垣間見た気分になる。


 昨日曽根崎警察署を襲った爆弾の被害者は、竜崎と郵便物を運んでいた婦警である有田巡査だけだったのが幸いだった。二人はすぐに呼ばれた救急車で、桜橋渡辺(さくらばしわたなべ)病院に救急搬送された。有田巡査は竜崎より軽症で、軽度の火傷だけで入院はしていない。竜崎は顔を18カ所釘や画鋲で裂かれた上、倒れた時に近くにあったデスクに肋骨を打ち付けてしまったので肋骨二本にヒビが入った。


「まだ捜査中だけど、中に仕込まれていた画鋲(がびょう)や釘が破裂で飛ばされたみたいね。釘爆弾ってやつなのかしら? 貴方は目を閉じたんでしょ? 咄嗟(とっさ)懸命(けんめい)な判断したわね」

 釘爆弾は、殺傷能力を上げる爆弾だ。万が一竜崎が目を開けたままでその針が眼球を刺していたら、失明も免れなかっただろう。

 現在、この爆弾を作った人物は爆弾作りに不慣れで加減が分からないまま作った、と考えられている。だから対象に傷跡も残らないような、浅い爆発しか起こせなかった。一階で起きた爆破は、男子トイレに三つ設置してある全ての個室に、不自然に置かれていた段ボール箱が爆発して燃えていた。これは、有田巡査の持っていた郵便物と同じだ。


「宮城さん個人宛の郵便は釘爆弾で、他はそれに連鎖する爆発だけ……」

 宮城宛の郵便物の箱に極細(ごくぼそ)のワイヤーがあり、開けると爆発してタイマーを起動する仕掛けだった。有田巡査の持っていた郵便物とトイレの爆弾は、そのタイマーに連鎖して爆発したのだ。それらの威力はほとんどないが、トイレの爆発に関しては近くに予備のトイレットペーパーがまとめて置かれていた事から、小さな火事が起こって火災報知機が鳴ったのだ。特別作りが難しい爆弾ではない。


「有田巡査が運んでいて爆発したのは、生活安全課宛。特に指名はなし。トイレに関しても、無差別よね……つまりこれは、宮城さんを狙ったもので間違いないわよね?」

 ベッド脇に置かれた椅子に腰を落として、櫻子は痛々しい顔の竜崎を見つめた。丁度その時自動販売機から帰って来た篠原が、冷たいペットボトルのお茶を全員に渡す。

「はい。間違いなく、宮城課長を狙ったんやと思います――差出人も、池波隼人でしたから」

「池波隼人って、つい最近拘置所で自殺した子なの?」

 櫻子の問いに、竜崎はペットボトルの冷たさを感じながら、再び困った顔を見せた。この表情は、彼の癖なのかもしれない。

「はい。ホームレス五人に対しての暴力、内二人を死亡させた容疑で取り調べ中でした。まさか、取り調べの初日で死亡するとは思ってなくて……」

「ホームレスがバラック小屋を作って住んでいたのは、2011年の扇町公園が最後よね? キタは行政代執行でホームレスの居住区を一掃させたんじゃなかったかしら? 池波容疑者の件は、宮城班が担当したのよね?」

「炊き出しが変わらず、扇町公園や近くで必ずあります。大々的な居住区はなくなっても、彼らはどこでも寝泊まりできますから……はい、宮城課長が担当されて僕たちが連行しました。彼が犯人やと、匿名の通報があったんで」


 櫻子は暫く黙って竜崎を見つめていたが、ペットボトルのお茶を自慢のブランドバックにしまって立ち上がった。

「負傷中に、失礼したわね。有難う、お大事にね」


「あの……!」


 篠原も立ち上がり部屋を出ようとした櫻子に、竜崎が声をかけた。

「この件は……宮城課長や僕たちは外されるんでしょうか?」

「そうね。関係者が事件を担当する訳にはいかないわ。代わりの人が担当になるでしょうね、まだ誰がなるか聞いてないけど。今回は宮城さん宛だったけど、宮城班全員を恨んでいるかもしれないわ」

 櫻子の静かな言葉に、竜崎は溜息を零して首を垂れた。

「そうですよね……分かりました。一条警視、どうぞよろしくお願いします」

 櫻子は頷いて、部屋を出た。それまで黙っていた篠原だったが、竜崎に近寄ると励ますようにその肩を軽く叩いて笑みを浮かべた。

「大丈夫です、竜崎さん。一条課長なら、きっと犯人を見つけるんで!」

 暫くその篠原の顔を見ていた竜崎は、そっと自分のスマホを取り出した。

「何か協力できるかもしれないから――連絡先、教えて欲しい」

 篠原は慌てて竜崎を連絡先を交換すると、櫻子のすらりとしたハイヒールの似合う後ろ姿を追った。

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