違和感・下
『心配かけてごめんね。うん、今日は日曜だし店は休み。けど、引っ越しをした方がいいと真田先生に言われたし、店はしばらく休むよ。オーナーにも、一週間は休んで良いって言われたから』
櫻子は席を外して、自動販売機で冷たい水を買うとそれを片手に、流星に電話をしていた。電話越しの彼の声は明るく、櫻子はほっとしていた。
『りゅうくん、飯出来ましたよ』
電話の向こうで、どこかで聞いたような男の声が聞こえた。
『有難う! ――あ、ごめん。同じ店のキャストが、引っ越しとかストーカー警戒で、しばらく俺の部屋で生活してくれてるんだ。櫻子さんが店に来てた時、ヘルプで一緒に飲んだ事ある筈だけど――景光って覚えてない?』
そう言われて、櫻子は思い出すように自動販売機の光を見つめた――櫻子達より少し年上らしい、あまり派手ではない男をぼんやりと思いだした。確か、『みっちゃん』と若いホスト達からも呼ばれていた気がする。ホストの世界では年功序列は関係ない。売上金額、指名数で敬意を払われるのだ。その点、オーナーもしている香田自らが毎月最高売り上げを出して、流星は二番をキープしている。香田の指名客はキタの新地のママが多い為、太客が多いから仕方がない。
「ええ、覚えているわ。いいわね、料理もしてくれてるのね」
『そうなんだ。それにさ、俺の好きなカレーを教えたら、結構作ってくれててさ。美味しいんだ。勿論、今日もカレー!』
『ほめ過ぎですよ、サラダも食べて下さいね』
流星の声の奥から、かすかに笑っている景光の声も聞こえた。
「ふふ、まあカレーなら野菜も入ってるし。でも、食べ過ぎると太るわよ――じゃあ、ゆっくり夕飯食べてね。おやすみなさい」
『ちゃんと、筋トレもしてるよ。あはは、おやすみ!』
爽やかな笑い声を耳に残して、櫻子は電話を切った。もう、19時を回っている。赤井から、あれからアヤナを任意で引って来れたという連絡はない。彼女も水商売だし、日曜でもホストに行くお金欲しさに、仕事に行っている可能性は高い。
「しばらく疲れる事が多かったし、そろそろ今日はキリ上げようかしら……」
キャップを外して冷たい水を飲むと、色々考えて混乱気味だった頭がスッキリした。
「あ、ここにいらしたんですね」
書類を手にした篠原が、休憩スペースのベンチに座っている櫻子を見つけて、ほっとした顔になった。
「探してたの? 電話してくれたらよかったのに」
「いえ、捜査課から受け取った書類を持って帰る途中だったんです。あ、俺も飲み物買っていいですか?」
櫻子が頷くと、篠原はポケットから小銭を出してスポーツドリンクを買った。
「何の書類?」
櫻子が座る昔は喫煙スペースだったベンチに、篠原は少し間を開けて横に座った。そして、手にしていた書類を渡す。
「大阪府以外の被害者、兵庫の筧真美、遠藤五月、佐藤絵里奈。京都の乾和香子についての聞き込みの結果です。こちらからも行ってますが、向こうの刑事にも聞き込みを頼んでいたそうですね」
「ええ、刑事局長に頼んだの。やっぱり、そのエリアに詳しい人に任せた方が効率が良いから」
その言葉に、母のやよいがよく好きで見ている二時間ドラマを、篠原は思い出しだ。好き勝手にドラマの刑事は越県捜査を当たり前のように行っているが、現実的にはあり得ない、と。しかし、目の前ではそれが日常生活になりつつあった。
「乾さんは、優等生ね。遅くまで梅田まで来て大手の塾通い。筧さんと遠藤さんは主婦で――筧さんは子供なしのキャリアウーマンで、子供を欲しがっている夫とは離婚調停中。遠藤さんは二人の子持ちで、夫のギャンブルによる負債をパートに出て返済中。佐藤さんは特別素行に関しては悪くないけれど――大学生の彼氏がいる、との友人からの聞き込み結果……ね」
「佐藤絵里奈さんは、十四歳ですよね。普通に、彼氏の大学生は淫行罪じゃないですか?」
篠原も、随分勉強してきた。児童福祉法34条1項6号によると、18歳未満の児童に性的な事、またはみだらな行為をさせる事を処罰させる『児童に淫行をさせる行為の禁止』と言うものがある。地方によって、処罰内容は違うが佐藤の彼氏がもし彼女とみだらな行為を行っていたなら、何らかの処罰を受ける事になるだろう。
「その証拠がなければ、『清い関係でした』と言われれば何も出来ないわ」
「妊娠でもしたら、どうするんでしょうね」
篠原は、呆れたように呟くともう一枚の紙を手に冷たいスポーツ飲料をごくごくと半分近くまで飲んだ。
「――篠原君。もう一枚の紙は?」
ふと、櫻子は何かが引っかかった。篠原が手にしている書類を、腕を伸ばして取った。
「府内の被害者の聞き取り報告の簡略したものです」
篠原の言葉を聞きながら、櫻子はざっと紙に書かれている文字を目で追った。
「池野洋子、社内不倫発覚で処罰を受けて、大阪本店から和歌山支社へ九月から異動通知予定中、離婚予定。神原絵美、ミナミの風俗店勤務。不動産会社で働いていたが、買い物依存でカード破産。去年の夏から夜の仕事を始めた。足立理沙ホスト通いの為援助交際。親に黙って、ミナミのホストクラブに出入り……」
『美容ドリンク』、『血を飲んだかのようなグラス』、『子宮を抜かれた遺体』
「カリバリズム……胎盤食……これは、『血の伯爵夫人』エリザベート・バートリよ……」
櫻子は、ようやく犯人の目的が分かった。犯人が被害者の女性を暴行しなかったと思われる痕跡、顔を切り刻んだのは、犯行に対する罪悪感を消す為――これは、チンパンジーの子猿殺しに似ているような気がする。顔がなければ、食べる時に罪悪感が薄れるのだ。
『女』というより『妊婦』を、犯人は捜していたのだ。『胎盤』と『子供』が欲しかったのだ。ある程度の妊婦なら母乳も出ていたに違いない。それも、欲しかったのだろう。
「篠原君――今度は、遺体から被害者たちが妊娠していたかを調べる様に連絡して頂戴……」
苦し気な櫻子の言葉に、篠原は捜査課に向かい走り出した。




