第十一話 【メリ】
翌朝。カンボワーズ家から手紙の返事をもらい、馬車を走らせる。向かうは勿論カンボワーズ家だ。
馬車が止まると、女主人であるサリサ嬢が出迎えてくれた。
「カルデラ・クロム様ようこそいらっしゃいました、今日は私に御用だそうですが、どうなさいましたか?」
女主人だけあって堂々とした振る舞いである。しかし、その表情は伺うように、眉が下げられていた。
「急なご連絡失礼しました、警戒なさらないでください、今日はサリサ嬢の妹君、メリの事について教えて頂けたらと」
「メリのことですか!」
先程までの不安な顔はどこへやら、メリの名前が出た瞬間、食い気味になる。お、落ち着いてください。
「はい、お話頂けますでしょうか?」
「えぇ! えぇ! あの子の役に立つなら、いくらでも!」
予想していない反応に少々面食らう。そうと決まれば客室へ! と案内されたのだが、このサリサという女性、自分が思うより恐ろしい人だ。
ようやく落ち着いたサリサ嬢と客室で向かい合う。コホンと咳払い一つ、本題を切り出した。
「メリの魔力をコントロールする方法を探しています、そこで彼女の過去を調べようと思いました」
「過去をですか?」
「はい、魔法は感情によって左右される部分があります、メリ本人が気付かぬとこで破壊に繋がるような出来事があったのではないかと思いまして」
破壊が意味するのは拒絶。メリが何を思って、何を拒絶したいのか。それが知れればコントロールに繋がるかもしれない。
サリサ嬢は、しばらく目を瞑ると、意を決したように、口を開いた。
「つまり、メリが何を拒絶しているのか、カルデラ様は知りたいということですね」
「……心当たりがあるんですね?」
できるだけ感情を押えたつもりだが、冷たい声が出る。あまり脅すことはしたくないが、良い話ではないだろうという確信が、怒りを覚える。
「えぇ、そうですね、お話しましょう、メリが最初に力を発揮した、五歳のときです」
震える声で語り出す彼女に、私はただ黙って耳を傾けた。
カンボワーズは炎の魔術師の家系。魔力の強さは中の上くらい。しかし、その繊細な炎魔法は、賛美されてきた。強すぎず弱すぎない、けれど両親はもっと強い力を欲していた、全ては権力のために。そんな時に生まれたのがメリ。生まれながらに強い魔力を持ったその子供に両親はとても喜び、大切に育てなければと気合いを入れた。そう、あの子は大切に育てられた、過保護すぎるほどに。
メリは年相応の、好奇心がある可愛らしい女の子で、外に対する興味だって人並みにあったし、何より知らないことを知るのが好きだった。これは何? アレは何? と喋れるようになった途端様々なものを質問してきた。私は姉として教えれるだけの事を彼女に教えた。そうすると、笑って頷いてくれた。
けれど、両親はそうではなかった。メリが外に出るのを異常に怖がった。理由は明白だ、魔法以外の知識など要らないと、そして何より繁栄の象徴となる彼女が傷つくのを恐れていた。あれはダメ、これはダメだと、メリを縛っていく。メリは、いい子でいようとその内両親に何かを聞くことはなくなった。そんな生活をしていた、五歳の時。メリは雪を眺めていた。
「ねぇ、姉様、雪は冷たいと言うけど本当かしら?」
「それは本当よ、雪はね氷と一緒だもの」
「そうなの?」
「えぇ、雨が凍ったものが雪よ、細かい氷が降っているの」
へぇと、窓を眺めていたメリは、ふいに触ってみたいわと呟く。両親の許可が下りない以上、彼女が外に出ることは許されてなかった。そんなメリに、私は励ますしかできなかった。
「大人になれば、外にも出れるわ」
「そうかしら……」
不安げに外を眺める彼女になんと言ったらいいのか……。
困っていると、メリが窓に触れる。少しでも触っている気分を味わいたかったのだろう。しかし、その窓は急に大きな音を立て割れた。
「メリ!」
「姉様、窓が」
すぐにメリを離す。外は風もなくただ雪が静かに降り積もっているだけ。割れるような前触れはなかった。
音を聞いて両親もすぐに駆けつけた、両親は私を見る。なんで? と疑問に思っていたら、父は怒ったような顔をした。
「サリサ! 窓に何をしたんだ、明らかに部屋からの力で割れているぞ!」
「え、私は何もしてないわ」
割れたガラスは確かに外にちらばっている。外からの力なら、部屋の中に散らばるはずだ。しかし、部屋にはガラスの一欠片もない。
「父様、姉様を怒らないで、私が触ったら割れてしまったの」
「メリが触ったら……?」
訝しげな顔をしていたが、メリが何度も頷くと渋々だが納得した。
その日から、メリが触った物が割れたり、壊れたりすることがあった。特に窓や扉といった、外に繋がるものが壊れやすく、両親はそれらを触ることを禁じた。
「そして、七歳の時です」
メリは一向に魔法が使えなかった。何度父や私が魔法を見せても、メリは扱えなかった。これだけの魔力があるのに、魔法にできないなんてと、父は次第にイライラし始めた。それを感じ取った彼女は、必死に魔法を使おうと、何度も何度も呪文を唱える。声が枯れるまで唱えていたこともあった。
泣きもせず、弱音も吐かず、たまに寂しそうな笑顔をするだけで、ひたすらに魔法の練習に打ち込んだ。喉から血が出ることもあったが、それでも大丈夫だと言い張った。
「私が、私が頑張らなきゃいけないから、母様や父様の期待に応えないと」
それはもう呪いのようだった。両親が決めた婚約者であるクレイと会う時だって、彼女は魔法のことばかり考えており、クレイもそんな彼女を励ましていた。自分はこうやって使っていると、指南したこともあったが、それも効果をなさなかった。
そして、練習の最中に事件は起こる。いつものように、私と父が魔法を見せ、メリが同じようにやってみせる。しかし、その言葉は空気に飲まれていく。
「なんでできないんだ!」
「ご、ごめんなさい父様」
「お前はいつになったら使えるんだ」
涙を瞳にため、メリは必死に呪文を唱える。それが可哀想で、私はメリの手を取る。もう唱えなくていいと言おうとした時に、手に痛みが走り私はその手を離した。手には無数の傷ができ、メリの手に血が付いていた。
「サリサ! 大丈夫か!」
「父様、大丈夫です、でもメリが」
メリはただ、自身の手を眺めていた。無言でその拳を握ると、ぱっと練習場を飛び出した。
「メリ! 待て!」
父がそれを追いかけ、使用人が私の手当をする。手当が終わると、父が私の所へ来た。
「メリは自室から出てこない、あいつ強すぎる魔力をコントロールできてないんだ」
頭を抱える父を見て、私はなぜコントロールできないのかわかる気がした。父が母が、あの子をあの子として見れば、その努力を認めればコントロールできるのではないかと。
ただの勘である以上、その言葉を両親に言うことなく、私はメリの自室へ向かった。コンコンとノックしても返事はない。ダメかもと思いつつ、その扉を開けると、水が流れる音がして、急いで備え付けの洗面台へ向かう。そこには、へたり込むメリの姿があった。横には手を洗うのに使ったのだろう、空の液体石鹸の瓶が落ちている。何度も擦ったのか、手は真っ赤に腫れていた。
「メリ……?」
「姉様……」
メリは力なく私を見る。そして私の手に巻かれた包帯を見て、ため息を吐く。
「姉様、私に近づかないで」
「どうしたのよ」
「もう、もう嫌よ、本当はわかってたの、私の力は、姉様や父様とは違うわ、だから魔法が使えないのよ、私の力はいとも簡単に人を傷つける、ううん、傷つけるだけならまだマシ、いつか私は人を殺すかもしれない」
それは、メリが初めて吐いた弱音だった。自分がいくら痛い目にあっても、笑っていた彼女が、人が傷つくのを見て、それをやったのが自分だと知って、誰よりもその事実を怖がっていた。
その日からメリは人に近付かなくなった、魔法の練習はかかさなかったが、どこか諦めたような顔をしていた。それからだ、メリが触ったものが大抵壊れ、少しでも触れた者は怪我をした。両親はそんなメリを危険人物扱いするようになり、地下に閉じ込めなければと言うようになった。私はそれが、メリに聞こえないようにするのが精一杯だった。
そして、十二歳のあの日、確か、小等部六年が半分を過ぎた頃。満月の夜に、彼女は急に地下に入ると言った。
「やっと入ってくれるのか」
「はい、ご迷惑をおかけしました、私は地下に入ります」
父とそんな会話をしているのを、私は聞いてしまい、すぐに割って入った。
「父様! メリを地下に入れるってどういうことよ!」
「サリサ、やっとメリが入ると言ってくれたんだよ」
嬉しそうに笑う父に、私は嫌悪感を出す。自分の娘がこれから死ぬまで、暗い地下にはいるんだぞ、何が嬉しいというのか。私は諦めてメリに目線を向ける。
「メリは怪我をさせたいわけじゃないわ! ねぇ、メリ、考え直さない? 貴女をわかってくれる人は絶対いるわよ」
「姉様……、私はもう決めたの、私は危険人物よ、だから、地下に入るの、姉様今までありがとう、感謝してもしきれないわ」
それは、いつも見せてくれる、可愛らしい笑顔だった。確信はなかったが、メリは認めてもらえる人の元にいれば、きっとその本来の力が使えるような気がしていた。今は使えずとも、いつか必ずメリを拒絶せず、受け入れてくれる人がいれば使えるはずなのだ。
「メリ……」
「そんな顔しないで、姉様は私の事なんて気にしなくていいの、私なんて忘れてくれていいのよ」
そう言って、メリはその日地下に入った。彼女の言動から察するに死ぬ気だったのだろう。地下には一応住めるだけの物が置かれ、外から呼ばれた魔術師により、脱出できないよう魔力を弾く結界が張られ、脱出不可能な完全な暗闇にメリは入れられた。
「まだ、十二歳でした、そして、その歳まで彼女の世界はこの屋敷と魔術学園だけでした、色々見たいものも、知りたいこともあったと思います」
サリサ嬢は目を伏せる。
予想通り、いや、それ以上に酷い話に、顔を顰めるしかない。ただ、話してもらったお陰で、力の元は理解できた。やはり、メリは遠ざけていたのだ、全てのものを。
「私がこの屋敷を仕切っているのは、両親がメリがいるこの屋敷に寄り付かないのもありますが、カルデラ様、貴方を待っていたんですよ」
「はい?」
顰めていた顔を上げると、ふふと、嬉しそうに彼女は笑う。自分を待っていた? どういうことだろうか。
「危険人物は、普通外に出られません、でもメリは傷つけたいわけじゃない、あの子は優しい子です、決して危険人物なんかじゃありません。でも私では助けれない、だからこの屋敷を仕切ることで、貴方のような方を待っていたんです。無理矢理にでも、あの子に外を見せてくれる無茶苦茶な方を」
ニヤリと悪戯っぽく笑われた。どうやら、この人物は侮れないようだ。恐らく初日から、品定めがされていたのだろう、そしてそのお眼鏡にかなったから、メリの部屋へ案内した……ということか。
「策士ですね」
「ふふ、これでもこの屋敷の主人ですから」
きっと、マーベスがアポを取った時点でこちらのことを隅々まで調べたことだろう。そして、どうして会いたいかも理解した上で、許可を出したわけだ。
全ては、妹を助けるため。危険人物じゃないと証明するために。
「ならば、私は貴女の期待に応えねばなりませんね」
「妹をよろしくお願いしますよ、カルデラ様、貴方なら大丈夫そうですけど」
何か、心を全て見透かされたみたいで、ゾワッとする。
サリサ嬢との会話が終わり、自分は帰路についた。クロム家に到着すると何やら騒がしい。
「兄さん! 帰ってきたね!」
「マーベス、何事ですか」
馬車から降りつつ、使用人達が中庭やら、屋敷の塀やらで、何かを探しているようだ。何があったのか。
「実はメリさんが、帰ってこないんだ」
「……は?」
マーベスは、バツが悪そうな顔をして俯く。帰ってこない? メリが外に出るのも珍しいが、帰って来ないとはどういうことか。
「僕が学校に行ったあとね、母さんがメリさんは街を見た事がないってのを聞いて、ならお使いついでに見てきなさいって、お金渡して街に行くように言ったんだよ」
「そして、夕刻になっても戻らないから大捜索ってわけですね?」
「うん……」
やれやれ、母のことは怒れないな。メリは確かに自分の婚約者ではあるが、十年もその姿を見せなかった以上、知る者は少ない。そのため護衛なども付けなかっただろう。
「最後に見かけられたのは、どこですか?」
「わからない、街までは馬車で行ったけど、そこからの足取りは掴めてないよ」
「とりあえず。街まで行きますか」
起きてしまったことは仕方ない。今は彼女を探すことが優先だ。
マーベスと共に馬車に乗る。握った手に力が篭もる。焦る気持ちを外を見ることでなんとか落ち着けていた。




