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王のインケラーシャ  作者: Lopeye
勿忘草の胎動

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その少女の追憶3

「うん、握力が足りないと思った。私、筋トレしないとかも」

「……なんの話かなぁ」

 レナちゃんの話は、いつも唐突に始まる。彼女の中では起承転結がちゃんとあって、私に伝わるころには少なくとも前の二つが終わっているだけ。そう、レナちゃんの論理構造は別におかしくない。コミュニケーションが致命的に難しいだけ。

「握力の話。手を握るときの、ぎゅん力」

「ぎゅん力……? いやあの、そういうことじゃなくて」

「そうだね! もっとこう、う゛ぁん! って感じ。う゛ぁん力だよ」

「腕力?」

「そう。いやちがうよ。そうじゃない。ちがう。握力だって」

「うん、だから、レナちゃんは何の話をしてるの?」

「なにって? 握る力の話!」

 たまに論理構造もおかしいことがある。けれど、レナちゃんは頭の回転は速いし、難しい本も読めるし、私の知らないこともたくさん知っている。好奇心の獣のような子だから、たまに肉食動物みたいな視野の狭さというか、頭の固さというか、脳が凝り固まって倒錯してしまうこともある。天才と天災はトレードオフって、むかし王様が言っていた。

 レナちゃんを天然と呼ぶ人たちがいるけれど。人間の知識欲をこれでもかと、さながら泥団子みたいに片端から寄せ集めて、ぺたぺた叩いて成型したみたいな思考の持ち主が彼女だ。これを天然と呼ぶのは皮肉なのだろうか。どうせなら人工と呼んであげた方がまだ似つかわしい。

師匠(せんせい)に腕相撲で負けたの!」

「待って。ゼルさんが腕相撲をしたの?」

 レナちゃんの言う師匠が私の知っているダークエルフなのであれば、想像を絶する光景に違いない。レナちゃんとゼルさんがちゃぶ台の端を抱え込むように握りしめて、それぞれの利き手を握り込み、さてどちらが開戦の掛け声を合図しようかと、ジャンケンの真っ最中……。

「ふふっ」

「どしたの?」

「想像したら面白いなって。ゼルさん、腕相撲なんて付き合ってくれるんだ」

「それが強いんだよ! 師匠が朝刊のページめくるのを全力で阻止してたんだけど、」

「ゼルさん……」

 なんて嘆かわしい。

「全然止められなくて! それでそれで、今度は飲もうとしてたコーヒーカップを全力で阻止してみたんだけど」

「ゼルさん……」

 なんて迷惑な。

「こぼれて怒られて、しまいには私でコーヒーを淹れるとか言い出した」

「ゼルさん……。ゼルさん? 何かいま怖いこと言ってた?」

「言ったよ! 私に素手で豆を砕かせる気だよきっと!」

 ほっと胸をなでおろす。

「なんだ、そういうこと」

「なんで?」

「レナちゃんが豆になるんじゃないの?」

「ハナちゃんのそういうとこ怖い!! なに!? なに言ってんの!?」

 やいのやいの喚きながら、レナちゃんはごつん、と音を立ててテーブルに肘を付けた。

「ハナちゃん、腕相撲、する?」

「いや、腕相撲はいいかなぁ」

「そっか」

 私の言葉に、彼女はがっかりした様子など一欠片も見せずに、ぐるんぐるんと回した肩の袖を直した。

「でも」

 口をついて、小さく言葉が零れ落ちる。ふとした拍子に、重ねた荷物のてっぺんにひとひらの枯れ葉が舞い散るように。

「誰かと遊ぶのって、久しぶり」

 感慨ではあったが、悲嘆ではなかった。ずっとずっと、永い間忘れていた気がする。そんな懐かしい感覚。言語化できないこの感触は、一体どう表せばいいのだろう。

 レナちゃんはいつもより柔らかな表情で、いつもより大きく胸を張った。

「戸隠にいこう」

「とが……なに?」

「コルクでも、ゼプキル全部見回しても、今はきっとわたししか知らない場所。薄氷(うすらい)の戸隠。私の、秘密の花畑」

 レナちゃんは微笑んでいる。微笑んだままだ。けれども、彼女の瞳が湛える光は、薄曇りの春の星空みたいに瞬き揺らぎ、震えていた。

「私が知ってもいいの?」

「うん。たぶんね、きっと、ハナちゃんと一緒に行くために、私はあの場所を知ったんだと思うから。えっとね、明後日。明後日の夜、濡れてもいい服装で出発だよ!」

「……なんでもいいってことだよね」

「ハナちゃんはもっとおしゃれすべきなんだよ! 絶対かわいいのに」

 いやいや、と首を振って応える。肌は擦り傷だらけ、スタイルだってよくないし。なんて思いながら肩を竦めると、レナちゃんは大いに不満そうに頬を膨らませた。うん、レナちゃんの方がずっとかわいい。

 またね、と一言告げて、彼女は部屋を後にした。残された私はやっぱり一人ぼっちで、道に迷った幼子のような頼りなさが込み上げて来た。我ながら情けないと思いながら、凪いだ薄暗い部屋を眺めた。レナが出て行った後の扉は、彼女の慌ただしさを物語るように、ドア枠から浮いている。

 もう鍵は掛かっていない。彼女が開けていった扉が、私を横目に見ていた。


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