羽化の樹1
「こるこる」
小さな右拳が、打ち寄せる波のように静かに握られる。拳の中に炎熱が燃え滾り、拡がり、肩口までを包み込む。
「かりちゃ」
包帯の巻かれた左拳が、指揮振るように伸ばされる。指先から雷光が迸り、霞の掛かった薬園の空気に背筋の凍るような閃きを輝かせる。
彼女が足を踏み出すたび、まるで巨象が大地を踏み均すような威圧感がマクトベラシュカを包み込む。燎原の炎が、眼を覆う稲妻が、バチバチと棘刺すようながなりを上げて、彼女自身を追い立てる。
「かくご」
言い終わるや否や、シヴの身体がマリアの視界から消える。だが、その猛烈な魔力の気配が消えるわけがない。目を見開いて、マリアは自分の足元を見やる。そこには身をかがめて拳を振りかぶるシヴの姿があった。
轟音に全身が震える。疑いようのない、手加減なし、シヴの最大火力がマリアの四肢を爆散させる。弾け飛んだ手足が三々五々に千切れ去る。真っ白な肌と花弁に似つかわぬ鮮血が飛び散り、ホロウメラデュラの花弁を真っ赤に染め上げる。
だが、シヴが左腕の剛撃を振りかざした瞬間、マリアの目つきが変わる。彼女の四肢は恐ろしい速度で再生し、エイゾラに食いちぎられた翼すらも再形成する。それにとどまらず、両腕を花弁の鱗が覆い隠し、薬園を覆い尽くすホロウメラデュラの花弁全てをその身に纏う。その防壁には、血の一滴が染み込むほどの間隙もない。
「ゆぬ」
無為だった。かき集められた純白の花弁を貫き、アリスの両腕に施された鱗を砕き、その雷光が、怪異の腹部を貫通する。その衝撃と凄まじい魔力風にあおられて、マリアの華奢な身体が百メートル近く吹っ飛ばされる。
転がった彼女はしかし、千切れ飛んだ四肢の欠損を意に介する素振りも無い。先の一撃の余波で、頭部の一部まで切り飛ばされているにも関わらず。瞬く間に彼女をホロウメラデュラの花弁が包み込み、欠損した身体を補完していく。
「んぬ、やっかい」
シヴの魔力は衰えない。だが、予想に反するマリアの再生能力に、風向きが変わり始める。その風の流れを感じ取ってか、彼女は魔力の花弁を両腕に集め始める。ホロウメラデュラが純白の花弁を集合させ、収縮し、その強度を高め。マリアの手中に、息を吞むほど空恐ろしい銀の長刀が現れる。彼女の掌がなぞるのに合わせて、刀身は神々しいまでの閃光に包まれていく。光輝走るすらりとした一刀を構え、マリアが反撃に出る。振りかざされた長刀が、膝下から肩口へと巻き込むような軌跡を描く。
「シヴ、距離を……!」
僕の声が先に届くはずがない。純白の刀身は花びらを吹き荒らしながら、シヴの脇腹へと迫る。柔肌が切り裂かれるその寸前、シヴが前のめりに土を蹴る。
「――ッ!」
飛沫を散らしたのは、シヴの血液ではなかった。彼女の雷光閃く魔力と、マリアの生成したホロウメラデュラの刀身が正面から激突し、互いに斥力に押し出されたように弾き合う。
その一瞬の空隙をも逃すまいと、マリアとシヴを取り巻く花弁が無数の氷柱へと収斂していく。シヴの瞳が目まぐるしく走り回った。
「放つもの」
呟くように彼女の口から漏れ出た詠唱の直後、反射的にマリアが飛び退く。しかし間に合わない。シヴの小さな体躯から炎神の魔力が吹き上がる。彼女を台風の目にしながら、巻き上がる炎はさながら蜷局を巻く蛇のようだった。
炎の大蛇はのたうち回りながら、掃射された花弁の氷柱を燃やし尽くす。吹き荒れる炎熱は、咄嗟に後ずさったマリアをも包み込み、その全てを燃やし尽くさんと咆哮を上げる。
「鬱陶しい、です」
白刃が四度煌めき、取り巻く炎を打ち払う。
「うそ、だろ?」
いくら魔力密度の高いホロウメラデュラの刀剣とはいえ、相手はシヴだ。僕の魔眼ですら、その違和感を訴えている。魔力の量、術式の爆発力、どちらをとってもシヴに分がある。
「みず……」
はっとして周囲を見渡す。霧の掛かっていた情景が、まるで冬の月下の如く、数百メートル先まで澄み切って見えていた。業火の中から姿を現したマリアの周囲を、半透明の液体が取り囲む。空気中に飽和していた水分を、自らの盾に利用しているのか。
「……なるほど、君は」
繋がる。瞳に映る事象が、この眼に視える魔力が。
思考が、巡り始める。




