帝国の自治領2
「あほか。大概にせぇよ。どんだけ飲め飲め言うワシでもな、そんなちびっ子連れてきよったら人間疑うわ。人として考えることあるわな」
だめだった。
酒場の喧噪に紛れて席に着いた途端、隣に腰かけていた陽気そうな男に肩を小突かれた。しかも意外なことに、かなりまともな文脈で注意を喰らった。
「なんだ? 帝国じゃ子どもが酒場に入り浸ってんのか? ワシの思ったような夢の国じゃあねぇようだ」
「いやそんなこと……ええと、あの」
「バルトロだ。アンタらのことは知ってる、魔王の犬だって?」
言葉のわりに、嫌味さはなかった。淡々と、事実として、確認を込めて。
だから、食って掛かって否定するような気にもならなかった。
「まぁ、そんなところですね。バルトロさんは、薬園の労働者の方ですか」
「そう見えるか? ワシは管理者だ」
バルトロはかぶりを振った。ほろ酔いに色づいた頬。だが、その目は真っ直ぐだった。
「いや、そういうわけではなくて……」
なんとなく、言葉を選んだ。
「ただ、管理者より労働者の方が多いから」
途端、バルトロは愉快そうに声を上げて笑った。やはり酔っていたのかもしれない。
「そりゃあそうだ。違いない。ワシは薬園でも珍しい管理者ってわけだ」
ひとしきり笑ったあと、彼は盃を呷ってこちらを見やった。
「下手な言い訳、間違いの謝罪、そういう馬鹿をしなかったのは正解だぞ」
「……そうでしょうか。間違えたことは、失礼だったかもしれません」
「間違えたことはな。だが間違いなんて誰にでもあるし、『労働者と間違えたこと』をアンタは気にしなかった。それが随分と快い。よそから来た連中は、こぞってそれを履き違える。ここにいるのは資本に狂った管理者と、哀れな馬車馬になった奴隷だと」
下唇が乾いた。そういう思いは、僕の中に確かにあった。出さなかっただけだ。偶然、気が回っただけ。
「フン。偶然だって構わんのさ。酒に酔ったジジイが、妙な勘繰りなんか入れやしねぇ」
バルトロはロータスのマスターに追加のジョッキを注文すると、手持無沙汰な様子で指を鳴らした。
「勘繰りとは違うが、魔王ってのはどんな奴なんだ?」
「どんな、というと……見た目、ですか?」
「見た目か。まぁ、そういう言い方もできるだろうが。人となり、という方が正しいだろうかな。何と言ったら伝わるだろうか。魔王ってのが、どういう……現象なのか。それが、気になってな」
「現象、ですか」
その言葉の意図が、分からないわけではなかった。
バルトロにとっては、魔王というのが一人の人間、血潮の通った同じ生き物、という認識が薄いのだろう。どちらかといえばもっと形而上的な、おとぎ話じみた、常世と幽世のまにまに揺蕩う者が脳裏によぎるのかもしれない。
イギリス人が考えるアーサー王みたいなものだろうか。神話のようで神話ではない、かつて在り、そしていつか再び来るべき真の王。なんだかな。そういうどうでもいいことばかり、僕の海馬には残っている。
「バルトロさんが思うより、普通の人間だと思います」
「そうなのか? 言われても信じられんというか、想像がつかん」
「まおう、にんげん?」
「いやそういう意味では人間じゃないけど」
「それ見たことか。やっぱりおかしなモノに違いないんだろう」
「いや、うーん」
シヴの何の気ない茶々入れで話がややこしくなる。ソフィって人間なんだっけ? なんか悪魔がどうだとかこうだとか、そんな血統の話を聞いた気がするけれど。
「楽しければ笑うし、怒れば拗ねるし、お腹が空いたら食べるし……別に」
「まぁ、そうか。魔王っつっても、生きてりゃあ、そんなもんか?」
「お待ちください。バルトロさん、確かに貴方が思うほど、魔王様は雲をつかむようなお方ではありません。しかしながら、トキ君の感覚もまたズレています。魔王様がトキ君ほどに心を許している相手は、私はついぞ知りませんから」
「ほぉ? 側近というわけか。まさか、あんた帝国の宰相ってことか? 悪いがそういう風体には見えんが」
「あ、ただの側付きですね」
思わず首をかしげてしまう。ストースにはそう見えているのだ。ソフィがいつも通り、やりたい放題しているのは僕の前だけ? それは信頼と思っていいのだろうか。舐められているだけと言い換えてもいい気がする。
「アレスさんといる時も楽しそうじゃないですか?」
「……魔王様とアレス局長が一緒にいるところに居合わせたことなんてありませんから」
「そうですか? アレスさん結構来ますよ。たぶん気に入ってるんだと思います」
「ほう、あの魔王様が、トキ君以外に?」
「いやアレスさんが。というか何ですかそれ。僕意外と好かれてます?」
ゴトン、と音を立てて、なみなみとビールの注がれたジョッキが運ばれてくる。来るや否や、バルトロはそれをごきゅっと喉を鳴らして半分も飲み干した。
「アレスってのは、攻城局のアレスか?」
「知ってるんですか」
「バカ野郎、自治領でアレスを知らねぇ奴なんかいねぇよ。帝国で魔王の次に怖えのはアレスだ。自治領に軍を進めるなら、先頭に立つのは間違いなくアレスだろうよ」
「なるほど」
言われてみれば当然のこと。防衛局は無論のこと、諜報局も性質上、自治領をに武力を背景にした圧力をかけることは考えにくい。軍政三極のうち、外に向けてあからさまな影響力を持つのは間違いなく攻城局だろう。ソフィがそんなことをするとは思えないけれど。
「そういえば、ゼプキルが自治領に編成されたのはソフィが魔王になってからなんですよね」
「そうですね。実際には幻王の時代にこの世界のほとんどが事実上、帝国の支配下に置かれました。しかしその後、幻王崩御の混乱に伴って曖昧になった帝国周縁に、線を引き直したのが魔王様です。いや、線を取り払ったと言う方が正しいのでしょうけれど」
世界がすべて帝国の配下に入ったなら、なるほど国境線は消えるだろう。得心する。ソフィは支配地域を広げたかったのではない。もともと落ち着いていた周縁が騒ぎ出したのを、煩がって叩き潰しただけだ。彼女は多分、吠えない犬には優しい。けれど噛みつく獅子は千尋の谷に落としてしまうだろう。面倒だから。
「バルトロさんは、帝国が嫌いですか?」
「何言ってんだ。好きなわけないだろう」
そうだろうか。そうなんだろうな。どうしてだか、分からないけれど。
いや、本当に分からないだろうか。もしかして僕は、分からない振りをしているだろうか。
バルトロは僕の方を見て、おかしそうに笑った。大声で、酒場中に鳴るような大声で。あまりに愉快そうに笑うものだから、酒場にいた彼の仲間たちが集まってきた。
まずい、と思うには遅すぎた。
ナショナリズムは、民族主義は、人類の対立を煽ってきた最大の要因の一つだ。あまりに無神経に、あまりに無防備に、あまりに無鉄砲に、僕は踏み入りすぎた?
バルトロの大笑いを聞きつけた酒場中の労働者が僕らの席に集うのに、一分もかからなかった。あまりの人数、状況の激変に、ストースとシヴの魔力の気配が揺れ始める。正直に言って、彼らがこんな酒場で後れを取ることは万に一つもない。だが、そういう話ではないのだ。僕らは帝国の使者として、魔王の使者としてこのゼプキルに遣われた身だ。この身が引き起こすことは、この自治区では魔王の意志に等しく映るだろう。まかり間違ってもこの場で、酒場の人間を武力に任せて屈服させたり、あまつさえ死傷者を出したり、そんなことは許されない。
バルトロはひとしきりおかしそうに笑った。
「帝国は嫌いかってさ」
その一言に、酒場の男たちは一瞬にして黙りこくった。それまでの喧噪に、水滴を垂らしたように一瞬の静寂が広がっていく。背筋が凍り付くようだった。鳥肌が立つのが分かる。
そうして男たちは誰しもが同じような表情で、異口同音に声を揃えた。
「「「はぁ?」」」
糾弾の声だと思った。
押し殺された怒号が、喉奥から零れた疑問符に凝縮されたのだと思った。
だが、それにしては様子がおかしい。ストースの魔力が、シヴの魔力が、弛緩していくのが分かる。彼らも、それを感じ取っていた。
「んなこと言われてもなぁ?」
「知らねえや!」
「そら行ったことねぇもんなぁ帝国」
「俺ァ好きだぜ。たぶん。どんだけ酷くたって西地区よか幾分マシだろ」
「そりゃお前、便所と比べてんのとおんなじだ」
「んだとテメェ」
「便所に謝りな」
「んだとテメェ!」
「うははっはは」
「がっはははは」
労働者たちは思い思いに悪態を吐いて、汚い罵声を浴びせ合って。
そして、笑っていた。
「ふん、変だと思うか?」
呆気に取られた僕に、バルトロは問いかけた。
「ワシらが殺気立って、お前らを糾弾すると思ったんだろう? でもな、それこそおかしなことだ。どうしてワシらがお前らに恨み言を言うと思った?」
「それは……」
「帝国に支配される自治領。武力に屈したゼプキル市。帝国との格差。構造的暴力。小難しい単語が、アンタの頭の中に洪水みたいに流れたんだろう。は、全くの馬鹿だな」
再び、巨大なジョッキを持ち上げてクックッと笑った。
「そんなもん、ワシらは知らん! 思ったことも感じたこともない! 分からないなら教えてやろう。帝国の勝手な加害者意識だ、思い込みだ、自意識過剰だ!」
バルトロは残りのビールを飲み干すと、酒場に響く気持ちのいい音を立ててジョッキをテーブルに振り下ろした。
「知らねぇもんを、顔も知らんやつを、好きにも嫌いにもならねぇさ」
管理者は目の前の労働者たちと肩を組んで、がはは、と笑った。
「寂しいこと言うんじゃねぇよ。たった一回きりだって、卓を囲んで飲んだ仲じゃねぇか。帝国のことなんか知らねぇが、お前らのことは好きだぜ」




