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王のインケラーシャ  作者: Lopeye
勿忘草の胎動

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悪魔の子2

 迫る拳を受け流す。

 一撃、二撃。勢いのまま風切る回し蹴りを今度は確実に凌いでみせる。当たっていないのに、魔力と風圧にのけ反る。体勢がままならない。

 叩きつけられた華奢な拳が、地面をえぐり取って亀裂を走らせる。冷や汗をかきながら彼女の左半身側にステップインする。即座に手を伸ばしてぼろ布をはぎ取ろうとするが、瞬時に転身したシヴがするりと腕の先を掻い潜る。

「ゆぬぅ……」

 僕の懐に潜り込んだ彼女は、しかし不服そうに二、三歩身を引く。一呼吸のうちに、完全に僕の射程から、いや、ストースの射程から外れてみせた。瞬きの間に僕の周囲は茨にまみれた植物のツタに覆われる。這いまわる緑は、先程までそこにいたはずの悪魔を取り逃がし蠢いた。

「もう一度だ、アラニエ」

 呼びかけるように、僕は彼女に声をかける。言うまでもなく、魔術に人格も無ければ、性別もない。ただのイメージ。だが、想像こそ魔術の根源だ。

 再び象られたアラニエは、その形状を異にしている。これまでの先細った槍の形ではなく、魔獣の尻尾のように太く、しなやかな流線型。一点を刺し穿つのではなく、面を滑らせて受け流す。

「ぁあ!!」

「はぁ!!」

 互いに気勢を上げて、互いの武器をぶつけ合う。シヴは僕を捻り潰さんばかりの両拳を。僕は彼女の隙を伺うだけの八本の尻尾を。

「ぐっ……」

 叩き伏せるたびに、アラニエの尾が一本、また一本と霧散する。何が起こっているんだ。アラニエはただの誘導装置で、魔力のぶつけ合いではない。確かに避雷針だって雷を受ければ摩耗する。だが、たった一度の落雷で、それも毎度毎度、壊されてたまるか。

 潰されたアラニエを再構築する。あくまで誘導灯だ。構造的な複雑さから、精神力は磨り減る。だが、構築するのに大きな魔力消費を必要とするわけではない。

 それでも、僕にとっては大した魔力消費なのだ。寝て起きて、たまに歩くだけの引きこもりに、ちょっとジョギングしてこいと言うのも酷な話だろうに。

「くそっ」

 息が切れる。魔力で運動能力を底上げしているが、それこそシヴには及ぶべくもない。今の僕が彼女の動きに食い下がっていられるのは、一重に僕の魔眼のおかげでしかない。

キツネ(ヴーティオ)、ゆぬ」

 ぼろ布を翻し、中空を回転しながらシヴが豪拳豪脚をしならせる。

 霧散した艶やかな魔力線が、僕のものだと気づくのに一秒足らずのラグがあった。

 風の吹く一瞬の間に、実に四本のアラニエの尾が吹き飛ばされる。駆け巡る絶望的な焦燥を噛み殺し、何度でもアラニエを呼び起こす。

 だが、間に合わない。

 両腕に魔力を籠め、残った四本の尻尾をその前に。シヴは右の拳をぎゅっと引き絞ると、緩衝材にした四本の尾を悉く打ち砕いた。

「ぐぅっ!」

 魔力と膂力の余波で、僕の身体が後方に吹き飛ばされる。

 転がる身体の周囲をアラニエの糸が包み、衝撃を緩和する。大地の上をめちゃくちゃにバウンドしても、その糸に大きな綻びはない。むしろ、普段よりも魔力の出力は高いのに。

 肩で息をして膝をつく。何かがおかしい。いや決まっている、シヴの術式だ。

 眼を凝らしてその両掌を捉える。

 没入。

 自らの身体が魔力の繊維になったように、彼女の掌に意識が吸い込まれていく。

 視界が一瞬暗転する。

 その暗がりに烈火のように燃え上がる、彼女の紋線。

 浮かび上がる魔術の陣。

 それは燃え盛る龍骨。

 それは絡みつく大蛇。

 それは堕ちていく三日月。

「イーシュ・ターレ、ゆぬ」

「っ!!?」

「まずい……トキ君、受けちゃだめだっ!!」

 遠くからストースの怒声が聞こえる。

 瞬間、周囲の地面に数十本の矢が突き刺さる。

 茨の蔓が洪水のように這いまわった。数本の矢が多角形の頂点を形作り、シヴを取り囲むように結界が出来上がる。突然の熱波に顔を顰めて眇め見ると、上昇気流で僕は宙を舞って離脱していた。

 そのはずだった。

「来る」

 そう告げたのは、僕の眼であり、僕の目ではなかったように思う。大脳にフラッシュを焚かれたみたいに、君の一撃が炸裂することを予感した。

 正面にいる。

 結界を破り、蔓を焼き尽くし。

 空へと飛びあがった君と、僕はここで相対する。

「イーシュ・ターレ(破壊の女神)、ゆぬ」

「……あぁ、そんな気がしたよ、ゆぬ」

 手を伸ばす。

 シヴに? そんなわけない。僕の武器に、王から授かったインケラーシャに。

「っ!!」

「シッ!!」

 初めて、彼女と僕が正面から『撃ち合った』。

 アラニエとの衝突ではついぞ聞いたことのない、金属を切り刻むような轟音が響き渡る。シヴが愕然としてそれを見つめる。当然のこと。漆黒の小剣は、シヴの拳と相対してなお、刃毀れの一つすら許しはしない。

 そして、あろうことか。

 無名の剣は彼女の魔術式を貫いて見せた。

「んぬぅ……」

 砕かれた魔術式が、閃光を放ちながら魔力の渦に還る。

 シヴの魔力は莫大だ。魔術など、その気になればいくらでも組み直せる。

 だが理解を超えた光景に、シヴは勢いを失って。ただ茫然と僕を見つめていた。頭から落下していく彼女を咄嗟に空中で抱きかかえると、僕は一気にそのぼろ布をはぎ取った。

「トキっ!!」

 ソフィの声が遠くに聞こえる。

 シヴを抱いたまま、僕は土の上を転がった。

「いてて」

「トキ、どうした、ゆぬ?」

「いや、それはまぁ一応……え?」

 僕が覆いかぶさった下に横たわるシヴ。

 真紅のくりっとした瞳が僕を見つめている。宝石を覗き込んだみたいに、透き通った瞳。

 手首には銀の腕輪と、艶やかな鎖。天使のようなきめ細かい肌に、華奢な手足。小さな胸当てと、その下には小さなへそが覗いて、いて……。

「トキ」

 後ろから肩を掴まれる。

 小さな手。細い指。

 しかしその魔力は振り返るのをためらう程に猛烈で、シヴすら可愛らしく見えてくる。

「シヴ、かわいい、ない?」

「いや、可愛いよ。とっても可愛い」

「ゆぬー」

 他意はないのだろうが、彼女はちょっと照れた様子で満足そうに笑う。

 僕もなんだか幸せだ。

 このまま気絶してもいいくらいには。

「なんのつもりかな」

 魔王の圧力で、僕はぺしゃんこになりそうな自我を保って振り返る。

 ぼろ布をはぎ取られたシヴは、ほとんど全裸だった。

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