悪魔の子1
「あれ、始まってる。時間通りなのに」
「……時間通りだからじゃない?」
実験棟。
『槍』内部に設置されたドーム状の演習室に一歩踏み入れると、先程までの病院臭さは一変する。禿げ上がった草地の所々から大地が顔を覗かせ、密度は低いものの、木立が林を作っている。丘陵地帯は見通しが悪く、その合間にはひと跳びで超えられる程度の小川が流れていた。
その小さな小川を挟んで、二つの集団がまるで一個の生き物のように、ぶつかり合っては散り散りになって離れていく。どうやら十人ずつの小隊が二つ編成されているらしい。自前の装備で参加しているものも多いが、軍服の者も散見する。
「あれは何をしているの?」
「なにって、フラッグの防衛戦だよ。ぼろを纏ったフードの子、見える? うん、そうそう。手のひらがやばそうな子。あっち側が防衛局の兵だね」
ソフィが指さすのに釣られてそちらを視る。ひと際小柄で、殊更魔力の巨大な兵士が、文字通り宙を舞いながら、相対する兵士を薙ぎ払っているのが見える。ぼろのポンチョのせいで、顔はよく見えない。だが、そのフードの端から束ねられた銀の髪が舞い踊っている。手足は遠目にも生傷が多いようで、包帯がバンテージ気味に巻かれている。それでいて、見え隠れするその四肢は、ソフィと同じかそれよりも華奢だ。
轟音と共に土ぼこりが辺りに散乱する。大地に大穴が開き、そのクレーターの中心にそいつはちょこんと座っていた。小さな悪魔と言って差し支えない。
「そんなこと言ってる場合じゃないよ。きみはあの子の敵だからね」
「敵って……」
とん、と背中を押される。
とてつもなく、嫌な予感が背筋を駆け抜けていく。
「ストース! なんで勝手に始めちゃうかな。トキそっちに入れて!」
「あ、魔王様! すみません、こうでもしないとシヴが寝ちゃうんですよ!」
ストースと呼ばれた男が、二十メートルほどの距離から応える。エルフの男性と見えるが、それゆえ年齢までは定かではない。だが、これまで出会ってきたエルフの魔力の波長は記憶している。たぶん、100歳くらいだろう。だとしたら、人生の大先輩だ。
「ちょっ!」
そんなことを考えていたら、いつぞやと同じように視界がぐにゃりと曲がった。ソフィめ、ことあるごとに転移させられる僕が、毎回酔っているのを彼女は知らない。背中から砂地にひっくり返り、目を開けた先に彼が苦笑を浮かべて立っていた。
「ストースだ、よろしくトキ君。早速だけど、きみ……」
「ストースさん! 矢ッ! 矢が無いっ! 保たないぞ!!」
「ぁすまん!」
彼は短く受け応えると、ため息をついて僕を覗き込んだ。
僕の眼を見つつも、その両腕はひっきりなしに動き回り、時折視線をぐるりと動かしては、魔力を込めた鏑が五本も十本も一度に放たれている。
「フラッグ戦だ。やることは分かるかい?」
分かるだろう? と言わんばかりのしたり顔で問われれば、分からないのが僕の常だ。常だが、これは僕でも知っている。帝国軍における小隊行動訓練の基礎。攻城軍と防衛軍に分かれて、一方は目標物の奪取あるいは破壊を目指し、片一方はそれを妨害する。シンプルな分、個々の能力値はもちろんのこと、戦略性と連携が問われる訓練でもある。
盛大に心にせり上がった後ろ向きな気持ちをぐいとつかみ取り、投げ捨てる。
だって魔王なのだから。
「飛び入りですけど、迷惑じゃないですか」
「恥ずかしながら、攻城局は半分以上が戦闘不能だからね。大歓迎だよ。とはいえ君の心配も分かる。だから、シンプルに行こうか」
フラッグ戦って、攻める側が蹂躙されて逃げるものだったか? そんな疑問を喉元に押し殺して、僕は黙って彼の言葉に耳を傾けた。
「突っ込んで、あれに触れて欲しい」
「へ?」
思わず間抜けな声が出る。
彼が指さした先には、川べりの石碑を挟んで、あの小柄な兵士が居座っていた。
あんな魔力おばけに触れてこいというのか。僕なんか、触れ合った瞬間にばらばらになっちゃったりしないか?
「被っているのを取れれば、ウチの勝ちなんだ」
「はぁ……いや、でも、そんなこと」
「大丈夫だよ。戦わなくていい。取るだけでいいんだ。出来るだろう?」
ストースはにやりと笑うと、弓に矢をつがえながら僕を顎でしゃくった。
その様子は横柄に見えて、しかし信頼の相貌だった。
「どうなっても知りませんよ」
「なに、援護は任せて」
暗く蒼い長髪を靡かせて、彼は自信ありげに魔力を籠める。その術式はとりどりの色彩に溢れていて、まるで一本の筆から虹色を塗り上げるようで。
「っ! トキ君!」
見惚れている僕をよそに、そいつがやってくる。
音もなく、いや、音より速く、そいつは僕の眼の前に舞っていた。重力を失った布切れみたいに、風に吹かれて舞っていた。その悪魔の力を、魔力だけが伝えてくれる。
「おまえ、トキ、ゆぬ?」
「え……ゆぬ?」
降り立った彼女は。
僕の胸までしかないその女の子は、瞬く間に僕の間合いに飛び込んで、上目遣いに僕を見上げた。朱く澄んだ、大きな瞳。どう見たって十歳そこそこの少女だ。呆気に取られて、おかしな語尾を繰り返してやることしかできなかった。
「~~~~!! ゆぬ!!」
彼女は僕に抱きつくと、二、三度頬ずりをしてから、満面の笑みを作った。
「えっと……」
「待て! 待ちなさいシヴ!」
戸惑う僕をよそに、ストースがその小さな悪魔に怒声を上げる。先程までの落ち着きようとは打って変わっていた。その瞳には差し迫った焦燥と、わずかな恐怖の色が浮かんでいる。
シヴは意に介せずといった表情で飛びのき、片手を地面に付いて笑う。両腕に嵌められた銀の腕輪と、繋がれた美しい鎖。彼女の魔力上昇に呼応するように、金属が耳鳴りのような悲鳴を上げて輝きを増す。
砂塵は彼女を爆心に打ち広がり、思わず顔を背けた先に視えたシヴの魔力に鳥肌が立つ。真紅に染まったその紋線は、脈動する血液から炎が猛るようだ。
ラカンで見た幾つもの魔力の紋線を思い出す。
あの修羅の中にあっても、これほど『壮絶』な魔力を目にすることはなかった。少なくとも魔力の量と密度において、彼女はあの超人ヘルメスをも凌駕している。
「……」
無言で、ソフィの様子を垣間見る。
だが、別段変わった様子はない。そうだと思ったけど。僕はそれをこそ信頼すると決めた。
腰に携えた小剣を確認する。
無銘の剣。祓魔のインケラーシャとソフィは呼んだが、果たしてあの怪物に太刀打ちできるかどうか。
「アラニエ」
呼びかけに応え、蜘蛛の糸が僕の周囲に覆いかぶさる。象られた八本の槍が。街を滅ぼす隕石でさえ、『魔力である』限り飛散させたこの槍が、小さな悪魔と対峙する。
「まてまて! 正面からやり合うつもりかい!?」
ストースが気を逸らしにかかる。やり合うつもりもなにも、彼女のぼろをはぎ取ろうと言うなら、どこかのタイミングで彼女と直接対峙する必要がある。どうにかして、出来る限り、注意を散らした彼女と。
周囲で隊列を組み直していたはずの防衛軍も、いつの間にか散り散りに離れて、彼女を静観する構えだ。彼らに気を回さなくて済むのは、不幸中の幸い。焼け石に水とも言えるが。
「壊れない。ゆぬ」
一言呟くと、再びシヴの身体は視界から消えた。
否、その速度は、とても僕の目が追える域を逸していたのだ。
刹那、背後にそれが来る。
気づいた時には手遅れだ。
彼女の包帯に巻かれた指先。その先端に、先程まで迸っていた暴走とも呼べる魔力の全てが集中していた。まともに受ければ龍種でさえ一撃で絶命しかねないその密度。
だが、それが視えていることだけが、僕にとって唯一の救いだった。
「っ!!」
声にならない驚愕の息遣いがシヴの口から漏れ出る。
絹を引き裂いたような悲鳴を上げて、彼女の拳と蜘蛛の槍が衝突した。
槍はその魔力を明後日の方向へ受け流し、流出した魔力は制御を失って辺り一面に土煙を巻き上げる。
だが、瞠目したのは僕も同じだった。
彼女の手のひらに直接触れた槍、その数にして六本。それが、一息のうちに消失した。ラカンに衝突した隕石さえ凌ぎ切ったアラニエが、まさに溶け落ち、霧散して消えたのだ。
「シッ!!」
一息のうちに迫る第二撃。
宙を舞う彼女の回し蹴りが、あやまたず上段に一閃する。
直撃すれば即ち死に至るべきその一撃は、しかし僕に届く前に不自然に軌道を変えた。
すんでのところで眼を抉られかけたが、僕の頬に引っ搔いた跡を残すと、シヴはそのままの勢いでさらに一回転して着地した。
「矢尻……?」
気づくと、幾本もの鏑が僕らの周囲に散乱、いや打ち付けられていた。
見間違えようのない、虹色の紋線。
「すとーす、じゃま、ゆぬ」
「まったく光栄です。私にも役回りというのがある」
「役回りって……」
何度か聞いた言葉だ。
特危管の『フェンダー』、ヘルメスという男の口から。
ストースは指の間に鏑を生み出すと、僕の隣に立った。
「改めまして『ロードアイ』。私は『インタラプター』の席を与かるストース。そして彼女は『ブレイカー』のシヴ。挨拶もかねて親睦会でもしたいところですが……」
言いかけて、彼は携えた弓の弦に指を掛ける。
その弦の輝きは、深淵に落とされた光のように儚く、そして眩しい。ひどく歪な魔力。
「まずは、あの悪魔っ娘に落ち着いてもらいましょう」
狙い定めたその先で、小さな悪魔が愉しげに笑った。




