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「失礼します」


掛けられた声に応えを返すと、ドアが微かな音をたてて開く。


アシスタントの女の子に案内されて入ってきた青年の、その美貌に仁はまず驚いた。

遠目で見ても凄いと思っていたが、近くで見るとこれほどとは…

案内をしてきた子がぽーっと見とれて、そのままドアが閉まらない事に苦笑する。


「君、コーヒーを二つ頼む」

「は、はい!」


慌てた様に閉められたドアの前で、静かに向き直り、こちらを真っ直ぐに見詰めてくるその眼の力強さに瞠目どうもくする。


「ようこそ… と言っていいのかな?」

「お忙しい所、お時間を取っていただいてありがとうございます」


きちんとした挨拶と共に頭を下げられる。


――――― いい眼をしてる…


強い、信念の有る目だ。


顔立ちの綺麗さに誤魔化されてはいけないと気を引き締め直す。


春日井 翔―――― この青年が、きちんとアポイントを取ってまで、仁を訪ねてきた理由は一つしかない。


「とりあえず、掛けてくれるかな? 立って話せるほど短い話じゃないだろうし」


取り急ぎの仮の事務所だが、最低限、人をもてなせるだけのものは置いてある。

頷いて彼が腰を下ろすのを待って、ことさらにゆっくりと向かい側に陣を取る。

まだ、若い子供にイニシアチブを取らせるつもりはない。


「失礼します」


声が掛り、先ほどのアシスタントが二人分のコーヒーを運んでくる。


「ありがとう。―――― しばらく、此処に誰も近付けない様に」


コーヒーをテーブルに置くのを待って、仁はそう告げる。

無言でうなずいたアシスタントが名残惜しそうにドアを閉じるのを見届けて、改めて仁は翔に向き直る。

その間、翔が身じろぎもせずに食い入る様に仁を見ていた事に苦笑する。


「初めまして…ではないね」

「前に一度… 駅でお会いしています」


蓮と一緒に。


「一度、じゃないだろ?」

「…」


微かな驚きを目の色だけで押さえたか…

雨の夜の邂逅。こちらも気付いていたとは知らなかった、か?

なかなか、性根が座っているようだ。

そうでなくては困る。


「君とは一度、じっくり話して見たいと思ってたんだ。まさか、君の方から来てくれるとは思わなかったが」

「…俺も、一度お会いしたいと思ってました」


お互いに切り込んで、沈黙が落ちる。

相手の出方を見ているとわかる、ピンと張った空気が流れる。

緩やかな空調の風に、コーヒーの湯気だけがゆらりと躍る。


「俺は、蓮が欲しい」


口火を切ったのは仁の方。


「ざっくばらんに行こう。君相手ではその方が良さそうだ」


気持ちを引き締め直して告げる。


「俺は蓮が欲しい。パートナーとして。…伴侶として」


小さく呑み込まれた息の音を仁は無視したまま、言葉を続ける。


「いろんな意味で、あれほどの女はそういない。理性的で、その癖情が深くて。仇っぽく見えるのに有能で、懐が深い」


俺が言わなくても、この青年にはわかっているだろうが。


「俺は今、どうしても蓮が欲しい。その為に日本に帰ってきた」

「…」


無言か…


どうでる? どう動く。

諦めるつもりは俺には無い。


「君の事は良く蓮から聞かされたよ。良い子だと。自慢の弟だと良く蓮は言っていた。…最初は、本当の弟では無いとは思わなかったがね」


くくっ…と思わず出た笑いに、気分を害したのだろう。一瞬だけその形の良い眉が顰められる。

遠慮はしない。

君がどう思おうと、俺は自分の意志を通す事を躊躇わない。

仁は形を改め、乗り出す様にして翔と向き合う。


「そろそろいいと思わないか?」

「…え?」

「もう、蓮を自由にしていいと思わないか?」

「――――!」


耐えきれなくなった様に、唇を噛む翔に畳みかける。


「七年前、俺は蓮に付いてきてくれるように言った。あれは、あの時のニューヨーク行きは、俺にとって最大の、そして最高のチャンスだった。

だから、賭けた。逃す訳にはいかなかった。

そして、だからこそ蓮が欲しかった。俺の傍で支えて欲しかった」


蓮にすら曝した事のない本音。そうだ、俺は俺の為に蓮と言う存在が欲しかった。だが――――


「蓮にとってもチャンスだった筈だ」


それは決して嘘でも方便でもない。

あの気性、あの性根。


「決して、ニューヨークで潰れてしまうタマじゃない」


もっともっと、伸びていけるだけの確かなものを、その時から蓮は持っていた。


「―――― しかし、蓮は君を選んだ」


少しだけ、言葉に非難が混じるのを止められない。


「選んだと言うより、見捨てられなかったと言うべきかな? ―――― 当然と言えば当然だろう。君はまだ小学生…いや、中学に入ったばかりだったか? まだまだ、庇護のいる本当の意味での未成年だ。蓮に見捨てられる訳が無い」


大人げないと言われても構わない。

言いたかった全てを、もうぶつけるのに躊躇いなどいらないだろう、君には。


「…ちょうど、蓮のおじいさんが亡くなったのもその時期だろう?」


蓮は君を見捨てなかった。

見捨てられはしなかった。


「もう、いいだろう。―――― 君も成人した。二十歳も超えたはずだな」


十分、大人として一人でも生きていける。だからこそ。


「もう、自由にしてやってくれ」


今度こそ、蓮を手放して欲しい。



「―――― それで、自由になった蓮を貴方が取る気ですか?」


初めての反撃に一瞬虚を突かれる。


「…人聞きが悪いね…」


大人のずるさを、見抜いているか…

どちらを選ぶか、それは、


「…どうするかは、蓮、本人が決める事だ」


その自由を蓮に与えて欲しい―――――

言いきった台詞に、それまで伏せていた翔の目線が上がる。


「渡しません」

「……!」

「蓮は、誰にも渡しません」


真っ直ぐに射抜かれて、言葉に詰まる。

迷いが無い。その事に心からの驚きが隠せない。


「七年前のあの時、俺が子供だったから蓮を引きとめられたのだとしたら。

あの時、子供でしかなかった事を俺は心から何かに感謝する。蓮をあなたに渡さなくて済んだんだから」

「……」

「俺が子供だった事が蓮のかせになったのだとしたら、俺には、その時子供である必要があったって事です」


そうなのだとしたら迷わない。

俺は何度でもこの人生を受け止める。


「渡しません」


「蓮は、俺がもらいます」



「…それは蓮が決める事だろう…」

「決めさせます」

「選ぶのは蓮だ」

「選ばせます」


今更貴方には渡しません。


「蓮には、俺を選ばせます」

「…随分と、自信があるね…」

「そんなものはありません」


俺はまだまだ半人前で、自分で稼いでも居ません。


「けれど、もう、決めたんです」


俺は蓮の傍に一生居るって。


ふっと、その端正な顔に笑みがよぎる。

翔の纏う空気が変わる。


「知ってますか? 蓮は炊事、掃除、料理、一切駄目のダメ人間ですよ」


それこそ、三日で家がごみ屋敷になりかけるほど。


「十五年かけて、俺がそうしました。家事も、雑事も全て俺がやってます」


それこそ、役所関係の届けから電灯の取り換えまで―――― 


「蓮は俺がいないと、日常生活も覚束おぼつかない。蓮を嫁に貰うんなら、もれなく俺が付いてきます。それで、いいですか?」


付いて行きますよ、蓮の行く所なら。


「はっきり言って、もう修正不可能です。なにしろ、年季が入ってますから。―――― それとも、一から仕込みますか?」


十五年かけますか?


「貴方は一度蓮を手放した。二度目はありません」


言いきられるその言葉の力強さに、仁の方が圧倒される。


子供に…

こんな坊やに。


「もう、渡しません。誰にも」


一人前の男の顔をされて、この俺が、仙崎仁が押されている。


「俺のものです」


能天気でお調子者で、家事能力皆無で、寂しがりやで、意地っ張りで、泣き虫で、強がりの…


「誰にも、渡しません」


たとえ、それを蓮が望まなくても。






「―――― 情が強いな…」


予想外だ。そんな、冷たそうな外見をして。

なんて激しく、なんて、熱い…


「……俺は、蓮の初めての男だ。」


翔の眉がピクッと動く。


「蓮はきっと俺の事を忘れない。それでも、いいのか?」

「かまいません」


間髪をいれず応えが返る。


「それも全部ひっくるめて、蓮です」


どんなこともどんな過去も、


「どんな蓮も、俺のものです」


全て、俺がもらう。


「俺は、俺が蓮にとって最後の男になれればそれでいい」








静寂が落ちる。


冷めかけたまま手のつけられていないコーヒーが、微かに揺れて波紋を描いた。








年齢ミスがありました。訂正を入れました。

…どうか、スルーしてやってください。

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