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家族禁止法  作者:
第一部:東京第一ゆりかごセンター
1/14

第一話

明日、第二部を出します。



※本作は架空の未来社会を描いたフィクションです。作中の制度・思想・差別的表現・価値判断は、現実の特定の団体、人物、思想、政策を支持・批判するものではありません。



2184年の東京第一ゆりかごセンターは、病院というより、巨大な複合都市に近かった。


東京の中心街に建ち並ぶ超高層ビルと比べれば、高さは六十階弱にすぎない。だが、一階ごとの面積は、旧東京ドーム換算でいえば六つ分、現在の東京ドームでも二つ分に及ぶ。二百年前には海だった東京湾岸再開発地区において、それは最大級の建築物だった。なお、東京ドーム自体も、拡張工事を何度も経験し、21世紀初頭から面積は3倍になっている。

空の遠くには、宇宙へと続く軌道エレベーターが、一本の細い光の筋となって見えていた。

それは、地球と宇宙をつなぐ巨大なへその緒のようだった。かつて地表というゆりかごの中で育った人類は、ようやくその外へ出ようとしている。だが、その白い糸の先にあるのは、旅の終着点ではない。人類はまだ、長い旅の始まりに立ったばかりだった。


東京第一ゆりかごセンターの白い外壁は朝の光を受けて淡く発光し、正面ゲートの上には、銀色の文字で


東京第一ゆりかごセンター


と刻まれていた。




玲はゲートを通った。顔データから体温、脈拍、睡眠状態、精神負荷、学籍認証、そのすべてがコンマ一秒未満で照合され、透明なゲートが音もなく開いた。


「東京大学次世代教育学部、研修班A。玲さんですね。本日の見学担当は、雄二所長です。21階にお越しください。エレベーター番号はFとなります。」


受付AIの声は、耳に残らないほど柔らかかった。


玲は、エレベーターFがどこにあるかを探すため少し周りを見る。すると視界レンズに、エレベーターFの付近にマークが出る。玲はそのマークが出たエレベーターの前に来て待つ。


もう一人、ゲートを通ってやってくる者がいた。

彼女の名は愛梨。同じ次世代教育学部に所属する学生であり、今日の研修班も同じだった。


「おはよう、玲」


愛梨は、こちらに気づくと軽く手を上げた。

愛梨は、淡いグレージュのノーカラージャケットに、白いブラウスを合わせていた。研修用としては十分きちんとしているのに、本人はそれを特別な装いとは思っていないらしく、手を上げる動作にもどこか気楽さがあった。

襟元は浅く開き、首筋と鎖骨が少しだけ見える。歩くたびに膝下のスカートの裾が揺れたが、愛梨はそれを気にする様子もなく、玲の隣に自然に並んだ。

何世紀もの時間を経ても、オフィスカジュアルは生き残っているらしい。少なくとも、玲から見ても、よく似合っていた。


「おはよう。愛梨も班Aだったのか」

「うん。昨日共有された資料、見た?」

「集合場所と時間はAIに確認させちゃったし。何も見てないな」

「そうなの?私は流石に集合時間は資料を開いて自分で確認したわよ」


そう言いながらも、愛梨の口元には笑みが残っていた。呆れてはいるが、本気で怒っているわけではない。玲もそれを分かっていたので、特に悪びれた様子は見せなかった。


「今日って、東京第一の全体研修だよね。何を見せられるんだろう」

「そうだな...出生登録区画と発達支援区分の判定フロアあたりじゃないか」

「資料を読んでないのに、よく知ってるわね」


少し驚いたように愛梨が言う。


「今、案内資料を見てるんだよ」


玲の視界の端では、共有資料が半透明の文字列となって流れていた。神経接続された通信網から、今まさにメールボックス内のドキュメントを開いているのだ。


「なによ、今見てるの?」


愛梨は呆れたように言ったが、声は軽かった。


「いいだろ?試験じゃないし」


悪びれもせず玲は答える。


「それはそうね」


エレベーターの到着表示は、まだ五階下を示している。東京第一ゆりかごセンターのエレベーターは数十基あるはずだが、それでも研修開始前の時間帯は少し混むらしい。


「そういえば、愛梨は第四でまだ人間教師をしてるんだったっけ?」

「時々ね。バイトみたいなものだけど。進路選択とか、大学生活とか、そういう話をするだけ」

「それ意味あるの?」

「失礼ね。一応、需要はあるのよ。AIの説明は正確だけど、空気感とかどう感じるかとかは、人の方が得意だしね」

「空気感に教育的価値があるというわけだ」

「そういう言い方をすると、かなり嫌だけど、まあ、だいたい合ってるわよ」


愛梨はそう言って、ゲートの向こう側を振り返った。

次々と学生たちが入ってくる。いずれも東京大学次世代教育学部の研修生だ。しかし、東京第一の正面ホールは広すぎて、人の流れがあっても混雑している感じがしなかった。ホールでは、どこからか僅かに快適な環境音が流れている。


「それにしても、東京第一は大きいね。第四とは全然違うわ」

「首都圏第一級施設だからな。登録数も研究区画も違うさ」


そのとき、エレベーターFの扉が音もなく開いた。

内部は小さな部屋というより、透明な移動ロビーに近かった。壁面の一部は外部映像と施設内案内を重ねて表示しており、二十一階で目的地にたどり着くための経路が淡い青色で示されている。


玲と愛梨が先に乗り、他の研修生も続いた。扉が閉じる直前、受付AIの声が再びホールに響いた。


「東京大学次世代教育学部、研修班Aの皆さまは、これから二十一階会議室へ向かいます。」


エレベーターは、ほとんど揺れずに上昇を始めた。壁面表示の数字だけが、静かに階を刻んでいった。


「そういえば昨日、古典映像論の課題で二十一世紀の映画を見たの」


愛梨が、思い出したように小声で言った。この時代になってもエレベーターでの会話は小声であるのがマナーだった。


「あ、あの課題?来週までだよね。どうだった?」

「不思議だったわ。みんな、何かしら困っているのよね」

「映画だからじゃないのか?」

「それは分かるんだけど。でも、困り方が変なの。生活が破綻していたり、誰にも相談できなかったり、制度から漏れていたり、家の中で、傷ついていたりするのに、それがすぐ補足されないの」


玲は少し考えた。


「旧時代は、個人がいろんな責任を背負う必要があったんじゃないか?」

「えーと、確か...主人公?、っていう概念よね」


愛梨はその言葉を、少し珍しい古語のように発音した。


「授業では習ったけど、実感としてはよく分からないわ。どうして一人の人間が、あんなにたくさんの問題を抱えたまま放置されるのかしら」

「社会の応答精度が低かったんだよ。問題が発生しても、それが検出されるまでに時間がかかった。検出されても、支援に接続されるとは限らなかった」

「だから、主人公が必要だった?」

「たぶんな。困っている誰かがいて、誰も助けられないから、その人自身が動く。あるいは、誰か特別な人間が現れて助ける」


愛梨は少し笑った。


「不便な社会ね」

「でも、旧時代の人間は、そこに感動していたらしいじゃん?」

「変なの。主人公が助けるよりも、困っている人がそもそもいない方が、ずっと良いのにね」



愛梨は本当に不思議そうに言った。



エレベーターは二十一階で止まった。


扉の向こうには、白い廊下が伸びていた。視界レンズの案内に従って進むと、すぐに研修用の会議室が見えてくる。扉は半透明で、中にはすでに十数人の学生が集まっていた。

会議室は広かったが、装飾は少なかった。

壁も机も椅子も、ほとんど白に近い淡い灰色で統一されている。前方の壁面には、今日の研修行程だけが簡潔に表示されていた。


東京第一ゆりかごセンター 研修班A

担当:雄二所長

第一行程:出生登録区画


玲と愛梨が席につくと、まもなく扉が開いた。


入ってきたのは、四十代後半ほどの男だった。

濃紺のジャケットに、明るい灰色のシャツ。肌はよく整えられており、目元にも薄く補正が入っている。髪も爪も、必要な範囲で手入れされ清潔である。ゆりかごセンターの責任者として、過不足のない外見だった。


「皆さん、本日は東京第一ゆりかごセンターへようこそ」


男は、前方に立つと、穏やかに頭を下げた。


「所長の雄二です。短い時間ですが、当センターの基本機能を順に見ていただきます」


声は柔らかかったが、よく通った。発声補助を使っているのか、部屋の奥にいても距離を感じないし、近くにいる人にとっても適切な音量となっている。

雄二所長は、壁面の行程表を一度だけ見た。


「本来であれば、まず制度史からお話しするべきなのかもしれません。ただ、皆さんは優秀なA区分である次世代教育学部の学生です。出生児社会養育移行法および次世代権利保障基本法 ―― 俗に言う家族禁止法については、すでに十分学んでいるでしょう」


何人かの学生が、小さく笑い、「当たり前のことすぎる!」ということを暗に伝えていた。


愛梨のAIは自動的に旧時代の単語を検知し、視界レンズに旧時代語の自動注釈が現れる。


~~


家族禁止法。

正式名称ではない。2084年に制定された出生児社会養育移行法および次世代権利保障基本法の俗称で、制定当時の政府も専門家も、その呼称をかなり嫌っていた。しかし、保守的な旧家庭制度が解体された時代を指すには、今でもその俗称がいちばん通りがよく、定着している。


~~


愛梨はちょっとAIの故障を疑った。

なんでこんな当たり前のことが注釈として出てくるのかしら?

私だってA区分になるための基準テストで、こんな初歩的なこと、とっくの昔に知っているのに。

困惑はしたが、表情に出すほどのことでもなかった。愛梨は注釈を閉じる。隣の玲は気づいていないのか、気づいていても気にしていないのか、前方の雄二所長を見ていた。

愛梨の困惑をよそに、雄二所長は話し続ける。


「ですので、本日は現場から始めます。まずは三階、出生登録区画へ向かいましょう。ちょうど、登録手続きが5件予定されています」


出生登録。

人が生まれた時、最初に行われる行政手続きである。住民登録、遺伝情報登録、健康基礎情報、発達潜在指数の初期測定。そうしたものが、出生直後から順に処理される。


一行は再びエレベーターに乗り、三階へ降りた。





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