7話 紅い髪
「キサマァァア!! 殺ス!!」
激昂した魔族が金切り声を上げながら後方へ跳ぶ。
同時に、暗邪迷域で黒く塗り潰された空間へと溶け込むように姿を隠した。
これをキッカケに、この場の様子が変わっていく。
さっきまではただ黒く絵の具で塗りつぶされただけの空間だったはずなのに、唐突に滲み出てきた沢山のナニか。闇よりも黒く実体のない霧のようにも見えるナニかが生き物のように空中を蠢き始めた。
「うわっ、気持ち悪い……」
つい正体を直視してしまい、あまりの嫌悪感からのの子を抱えたまま後退してしまう。
次の瞬間。
――ギチギチギチギチ。
目の前を漂っていたナニかが集まり、黒い腕の塊へと変貌する。そしてそのまま、のの子へ向け突き出された。
逃れるように横へ飛ぶも無数の黒腕が、まるで溺死者の怨嗟のように全方位から絶え間なく襲い掛かってくる。
背後。
側面。
上空。
さらには地面からも。
本来、有限な視界では決して捉えきれない程の腕を私は――正確に認識している。
「へぇ……ただの脳筋じゃない……呪術師か」
迫る黒腕。
その一本一本に濃密な呪詛を纏った2センチほどの蟲が群れることで腕に擬態している。
触れれば生命力を奪い、肉体に侵入侵食する類の呪術か。
随分とお趣味が悪いことで。
こんな気持ち悪い蟲をさっさと駆逐する為、「天墜」のヒールで、無造作に地面を踏み抜いた。
瞬間、脚部装甲に圧縮されていた超高密度の魔力が、ドンッ!という音と共に、パイルバンカーにも似た暴力的な衝撃となって地面へと流し込まれる。
――ピシッ。
空間に亀裂が走った。
ピシシシシシッ! パリンッ――!
直後、耐えきれなくなった暗邪迷域が、ガラスのような音を立てながら砕け散っていく。
割れた闇の向こうから、陽光が草原へと差し込んだ。
「グゥァァアアアッ!?」
醜い悲鳴。
領域そのものへ干渉されたことで、空間に溶け込んでいた魔族が強制的に吐き出され、私の足元に転がってくる。
まともに天墜の魔力奔流を喰らったのだろう。全身を焼かれ、地面を這う姿はすでに瀕死だった。
同時に、統制を失った黒い腕も崩壊する。
腕を構成していた無数の蟲が、空中へ散り散りに飛び回った。
「ほんっと趣味悪いわね、蚊柱みたいで本当に嫌い」
あまりの気色悪さに自然と眉を顰める。
「燃えろ」
ボゥッ――!
私を中心に円環状の炎が吹き上がった。
炎は覇音の要望に答えるかのように、空中を駆け、蟲から蟲へと次々に燃え移っていく。
逃げ場など存在しない。
無数の蟲は一匹残らず焼き尽くされた。
「キサマ……何者だ……こうも容易く……」
地面に這いつくばりながら、瀕死の男魔族は震える腕で上体を起こす。
紅い光。
映り込んだのは、背後から陽光を浴び、透き通るように紅く煌めく女の髪。
そして、脚部装甲「天墜」から排出され続ける灼熱が、空気を陽炎のように歪ませていた。
まるで――熾烈な戦火そのものを纏っているかのようだった。
その瞬間、男魔族の脳裏に、遥か昔の伝承が蘇る。
吾輩が生まれるよりも前。
魔王様の威光の下に集まりし強者たちが、人族を侵略していた時代。
そこへ突如として人族から現れた勇者と聖女と……先祖様達ですら恐怖した魔女。
紅い髪を炎で揺らし、我らの軍勢を壊滅へ追い込んだという――
違う。
あり得ない。
天墜の魔女は三百年前に死んだはずだ。
なのに。
なのに、この紅い髪はまるで――
「……天墜の……魔女、なのか。き、貴様は……死んだはずでは……」
「あら、失礼ね」
私はのの子を抱え直しながら見下す。
「勝手に殺さないでくれる?」
軽い調子。
だが、その一言だけで男魔族の顔から血の気が引いた。
天墜が――再び現れた。
地面に這いつくばったまま踠くしか出来なくても、少しでも離れなければと本能が体を突き動かすが……。
「さて」
男魔族の体がびくりと震えた。
「質問は一つだけ。アンタのボスはどこ?」
「……っ」
尋問に歯を食いしばる。
「知らないの?」
地獄の番人かと思うほどの冷めた声。
「それとも言えないの?」
「貴様などに……」
震える指に在らん限りの力を込めて地面を掴む。
「貴様などに……崇高なる魔王様の覇道を邪魔させてなるものか……!」
足元から見上げる瞳が二つ。
そこに宿るのは狂信。
恐怖すら押し潰すほどの妄執。
私は小さくため息を吐いた。
「そう」
もう少し有益な情報を持っているかと思ったのだけれど、所詮は三下でしかないわね。
「なら、もういいわ」
その言葉に、魔族の顔が憎悪に歪む。
志半ばでの死。
それを理解したのだろう。それでも最後まで瞳から狂気は消えなかった。
「魔王様、万歳……!」
叫ぶ。
血を吐きながら。
「この世界を作り替えるのだ!」
仰向けになり叫ぶ。
砕けた喉で。
「時代遅れの貴様なんぞに負けぬ! 魔王様は必ず――」
「興味ないわ」
そこで言葉は途切れた。
額に押し付けられた踵から放たれた閃光。
それだけだった。
男魔族の姿は肉片を撒き散らし消滅した。
跡に残ったのは、焦げた草地と血溜まりだけ。
「いつの時代も、アンタみたいなのが誰かの幸せを踏みにじるのよね」
そう呟きながら、腕の中で眠り続けるのの子の前髪をそっと整えた。




