03.驟雨のち光芒
秋の終わりの朝。
冷えた空気が、石造りの館の中にわずかに入り込む。
私は妻グレイシーの部屋で助産師と共に見守っていた。
夜中の3時頃にグレイシーは産気づき始めそれから今に至るまで、途切れることのない痛みに耐え続けている。
荒くなる呼吸の合間に、私は何度もヒールを施した。
ふと窓の外へ目を向ければいつの間にか夜は明け、朝日が白く差し込んでいた。
壁掛けの時計を確認すると針は既に7時を回っている。
そろそろ子供達が目を覚ます頃か。
私はグレイシーと助産師に一度退室する事を伝えた。
「私は一度キュリアスとネリッサに話をしてくる。何かあればすぐに私を呼びなさい。」
部屋を出る際に再度ヒールを掛け、私はグレイシーの部屋を後にした。
廊下に出ると、先ほどまでの張り詰めた空気が嘘のように静まり返っていた。
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家族で朝食をとる広間で、私は子供たちを待っていた。やがて、キュリアスとネリッサが揃って姿を見せる。
皆が揃ったところで、グレイシーの状態についての説明を始めようとしたところ、先にキュリアスが気づいた。
「お父さま。お母さまの体調はだいじょうぶですか?」
「その事について朝食の前に話がある。キュリアス、ネリッサ。グレイシーが夜中に産気づいた。今は自室で医者に診てもらっている。」
キュリアスはわずかに眉を寄せ、ネリッサは小さく首を傾げる。
「もうすぐ、お前たちの弟か妹に会えるということだ。」
その瞬間、空気がぱっと明るくなる。
「ほんとうですか!? お父さま! あぁ、ようやく会えるんですね!楽しみです!」
「おかしゃまだいじょうぶ・・・?きのうもおげんきなかったよ・・・?」
キュリアスは目を輝かせ、身を乗り出した。一方で、ネリッサは違った反応を見せる。
昨日3人で部屋を訪ねた時にグレイシーの顔色が優れなかったことを、覚えているようだ。
小さな手を胸の前で握りしめ、不安げにこちらを見上げてくる。
「心配はいらない。今日は大事な日だ。二人とも、いつも以上に勉学に励みなさい。グレイシーもきっと喜ぶ。」
少しでも安心させるように、穏やかな声で告げる。
私の言葉に二人は「はい!!」と揃って返事をする。とはいえ二人も心配だろう。
「2人とも、昼食のあとで、一度様子を見に行こう。」
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子供達と朝食を終えた頃には、8時を過ぎていた。
心配からか胸に残り続けるざわめきを押し殺しながら私はグレイシーの部屋へと戻ると、助産師に妻からの伝言をもらった。
とてもまともに喋れる状態ではないが、途切れ途切れに伝えてくれたらしい。
「ご領主様。奥様より、お言葉を預かっております。『わたしはワーグナー家のあなたの妻として立派に責務を果たします。あなたも領主として責務を』とおっしゃっておりました。」
「・・・分かった。報告感謝する。」
私は、ほんのわずかに目を伏せた。
視線を向ければ、グレイシーは苦しげに息をつきながら、それでもこちらに気づき小さく頷いた。
私はベッドの傍らに歩み寄り、そっと手をかざす。淡い光が彼女を包み、わずかに苦痛を和らげた。
私は身を屈め、彼女の耳元にそっと囁く。
「愛している。」
私は静かに立ち上がり、振り返ることなく扉へ向かい、執務室へと足を向けた。
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執務にひと区切りついた頃には、すでに正午を回っていた。
出産の時期が近いと聞いてからの一週間、私は外出の予定をすべて控え、書類仕事に没頭していた。
その甲斐あって、仕事は驚くほど滞りなく進んでいる。
私は子供達と昼食を済ませたあと、私はグレイシーの部屋の隣室で、彼らとともに過ごしていた。
机に向かい、執務の続きを進める。紙をめくる音と、ペン先が走る音だけが、静かに部屋を満たしていた。
どれほど時間が過ぎただろうか。ふと顔を上げると、窓の外は橙に染まり、日がゆっくりと傾き始めていた。
子供達に目をやると、ネリッサは椅子に腰掛けたまま、小さく寝息を立てている。その隣では、キュリアスが疲れを滲ませながらも、時折妹に目をやりつつ、懸命に勉学を続けていた。
まだ5歳と幼いというのに、長男として立派な姿だ。
その姿に、思わず口元が緩む。
だが、その穏やかな時間は、唐突に断ち切られた。
「ご領主様!お生まれになられました!」
私は立ち上がり、子供達とともにグレイシーの部屋へと急いだ。
扉を開けると、そこには出産を終えたばかりのグレイシーがいた。息はまだ荒く、全身がわずかに震えている。
「ご苦労だった・・・本当によくやった・・・。」
ヒールを施しながら、言葉を絞り出す。視界が滲む。
グレイシーは肩で息をしなくなり、ようやく落ち着いて会話ができるようになった。
無事で良かった。
「あなた・・・。一緒に顔を見ましょう。」
その言葉に、私は静かに頷いた。二人で助産師へと視線を送る。
だが。
赤子の処置にあたっていた助産師の顔は、血の気を失ったように青ざめていた。
「奥様、ご領主様・・・。」
震える声が、空気を裂く。
「先ほどから赤子が呼吸をしておりません・・・。最大限、手は尽くしております。蘇生を試みますが・・・どうか、お覚悟を。」
私達は何を言われたのか、すぐに理解することはできなかった。
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治癒の光魔法を扱える私と助産師で、できる限りの処置を施した。
淡い光が幾度も赤子を包む。呼吸を取り戻す兆しを、ただひたすらに待ち続ける。
半刻ほどが経った頃、助産師の手が、ふと止まった。その沈黙が、すべてを物語っていた。
「奥様、ご領主様・・・。」
かすかに震える声。
「非常に申し上げにくいのですが・・・死産でございます。できる限りのことをいたしましたが・・・残念ながら・・・。」
言葉は、最後まで続かなかった。
他国の事情は詳しく把握しているわけではないが、この国において、出産時の死亡率が決して低くはないことは知っている。
だがそれは、十分な医療も受けられない貧しい者たちの話だと、私たちには無縁の話だと、そう思い込んでいた。
だが、現実は・・・。
胸の奥から、言いようのない感情が込み上がり、それを押し殺すように私はグレイシーを抱きしめた。
「あぁ・・・な、なんてこと・・・!ごめんなさい・・・!」
「お前のせいではない。誰のせいでもない。落ち着くんだ。大丈夫だ。」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からない言葉が出てきた。グレイシーの肩は震え続けている。
そこへ、小さな温もりが重なった。
「おかしゃま、だいじょうぶ?なかないで?・・・」
ネリッサはまだ幼く状況を正しく理解しているわけではない。何かが失われたことだけは、感じ取っているのだろう。
一方で、キュリアスは何も言わなかった。この子は既に理解しているようだった。
言葉にすることもできず、ただ受け止めているのだと。
そうして短いような長いような、そんな時間だった。
私達が抱き寄せ合ってどれほど経っただろうか。グレイシーの震えは少しずつ収まり始める。
顔を上げた彼女のまぶたは赤く腫れ、瞳はどこか焦点を失っていた。
「時間がかかってもいい。家族みんなで乗り越えていこう。お前は一人ではない。」
再び、その身体を抱き寄せた。温もりを、確かめるように。
「辛いことだが、最期に皆でもう一度顔を見てあげよう。キュリアス、ネリッサ、初めましてとお別れの挨拶だよ。」
私は静かに歩み寄り、揺り籠の中の小さな身体を抱き上げ、そっと、グレイシーの腕の中へと預けた。
「はじめまして、わたしネリッサっていうの。あなたとってもしずかなのね。」
「ぼくはキュリアスだよ。もうお別れなんて寂しいけど、またゆっくり話そうね。みんなで会いに行くからね。」
その言葉に、私はグレイシーと顔を見合わせ、こらえていたものが決壊した。
「・・・この子はメリルという名前なんだ。そうだな、キュリアス。みんな元気になったら会いに行こう、約束だ。」
「愛しのメリル、あなたを迎えられなくてこんな不甲斐ない母でごめんなさい・・・!あなたの笑顔や成長する姿をたくさん見たかったわ。またどこかで巡り合いましょう。」
「メリル、ワーグナー家の次女のお前の存在はずっと忘れない。次はお前にも良き出会いがあると、家族皆で願っている。」
私はメリルを中心に再び抱き寄せ合おうとした。
「おわかれやだ!まだちゃんとおはなしもしてないのよ!おねがい、おきて!」
小さな手が、必死にメリルへと伸びる。
「わたし、もうすぐおねえさんになるの!おとしゃまもおかしゃまもいってたもの。だからメリルちゃんもわたしのいもうとにしてあげる!だからおきて!」
ネリッサの祈りにも似た必死な説得についに泣き出しそうになった、その時。
グレイシーとネリッサ、そしてメリルの身体が、透明感のある金色の光に包まれた。
「グレイシー!ネリッサ!大丈夫か!何が起きている!」
「わかんない!なにこれ、あったかい。」
「私は大丈夫です!けれどこれは・・・。私達の魔力が引き寄せられているの?」
3人を包み込んでいた光は波のように揺らめきながら、次第にメリルへと流れ込んでいく。
やがてそれは一つの塊となり、メリルを包んでいた光は煌めきを散らしながら静かに消えていった。まるで、初めから存在しなかったかのように。
誰もが、言葉を発することを忘れてしまっていた。
「んぅぅ・・・」
かすかな声の元を辿るように私達は同じ方向に顔を向けると・・・。
そこには、まるで『天の使い』のように愛らしく神々しさすら感じる、先ほどまで微動だにしなかったはずの小さな命の『メリル』が、パチリと幾度か瞬きをさせて私達の顔を見上げていた。




