再会。そして誓う
庭に出て勝負することになり、千影は重い足取りで外に案内する。
先ほどから合流した穂高の視線がうるさい。
(そんなに面白いか?)
ぎろり、と睨むと澄香の後ろに隠れた。
「あなたが白須黒夜か」
「はい。徳永殿も長旅を終えたばかりなのに、こんなことになって申し訳ない」
斜め後ろを歩く壱成に、千影は白須として話す。
「緒方かげ、彼女がどこにいるのか知らないか?」
「ブフッ」と穂高の下品な笑いが、後ろに聞こえる。心なしか、源一郎も口角を上げている気がした。
照子も「あらぁ?」と呟くのが聞こえた。
千影は焦る。
「さあ、それは……」
「壱成くんが勝ったら、ぜひとも教えてあげて欲しいな」
源一郎が口を挟む。
完全に千影だとわかっていて、言っている言葉だ。
「そうよ。黒夜くん。何も景品が無いのは申し訳ないでしょう? ねぇ?」
照子まで話に乗って来ているのは、なぜなのか? それも圧が強い。
「………わかりました」
勝てば良い話なのだが、千影は嫌な予感がした。
庭に出て、国明が倉庫から模擬刀を持ってくる。
千影は彼を指導しているので、そんなものが簡単に出てきてしまうのだ。
「じゃあ、模擬刀で一本取った方が勝ちでいいかな?」
「ああ」
千影と壱成は軽く肩慣らしをし、構える。
「ち、黒夜さん、負けないでー!!」
澄香の応援する声が聞こえる。
雪の残る庭で、目の前には模擬刀を構えた壱成。
どうしてこんな事になっているのか、千影は考えると頭痛がしそうになったので辞める。
「では、始め!」
穂高の合図で、試合が始まった。
澄香のためにも、自分のためにも、千影は負けるわけにはいかない。
気持ちを切り替えると、重い一撃を繰り出す。
壱成はそれを受け切ると、素早く次の攻撃に出た。
彼もまた、負けるわけにはいかなかった。
「うわー。すげー」
穂高の口から、思わず感想が溢れる。
呆然とふたりの剣戟を見守る観客たち。
今のところ、どちらが勝つのか全くわからない。
「すごく強いんだね。驚いた」
源一郎も、千影の強さに驚く。
彼は壱成が余裕で勝つと思っていた。
「オレに稽古つけてくれる時とは、動きが全然違います」
国明は複雑な心境でそれを見ている。
「模擬刀、刃を潰してるけれど、あれ、下手するとただの殺し合いなんじゃ……」
彼がぼそり、と呟いた感想が隣にいた澄香の顔を真っ青にさせた。
「え! 殺し合い?! せっかく再会できたのに?! そんなのダメだよ!!」
「す、澄香!?」
彼女は走り出す。
穂高も「ああぁ〜〜」と情けない声を上げている。
「千影さん! 殺さないで!!」
千影はハッと、突っ込んでくる澄香を見た。
壱成もそれに反応するが、そのせいで変に力が加わった模擬刀が折れる。
「え——」
「澄香!」
また折れるのか、とツッコミを入れる余裕はなく、折れた刃が澄香に飛んでいくのを千影は追う。
澄香を守ろうとした彼女は、刃を素手で握りしめた。
「危ないでしょう!!」
つい女の声に戻って、澄香を叱る。
「ご、ごめんなさいぃ〜」
澄香はわんわん泣き出す。
「千影さんが、殺しちゃうと思ってぇっ」
「……ただの試合なんだから、殺す訳ないでしょう」
千影は呆れながら、血が出ていない方の手で澄香を撫でる。
「大丈夫か」
すっかり白けた場で、壱成は後から声をかけた。それは戸惑いと、喜びの混ざり合った声。
「手、見せて」
確信に満ちた瞳が、千影を見下ろしていた。
彼女はその視線から逃れたかったが、澄香にがっしりホールドされて動けなかった。
壱成が開かせたその手は、すぐに修復されていく。
「君が、緒方かげ。いや、千影だったのか」
もう言い逃れはできない。
暗にそう言われている気がした。
「この勝負は引き分けってところかな。護衛の件は僕にいい案があるから、正式に決まったらまた連絡させてもらうよ」
源一郎の言葉に、穂高が反応する。
「それって——」
遠くでこそこそと話し合うのが、千影の耳には全く入って来ない。俯いたままで、壱成に触られている手の感覚もどこか遠く感じる。
「千影さん?」
澄香に呼ばれて彼女は我に帰った。
「……会いたく、なかった」
そして千影は今にも泣きそうな顔で、そう言ったのだ。
壱成は言われた言葉に、想像以上のダメージを食らって固まった。
彼女から鳩尾に食らわされた拳より、重かった。
千影はその場から逃げ出す。
「ち、千影さん?!」
澄香の制止も聞かず、彼女は屋敷を飛び出していってしまった。
「あら、あら」
照子は頬に手を置く。
「あの子、本当に素直じゃないんだから」
それは困った娘に手を焼いている母親、そのものである。
動けずにいる壱成に、澄香が言う。
「何やってるんですか、早く追わないと! 見失っちゃいますよ?」
彼は何かを言おうとして口を開き、また閉じる。
「千影さんのこと、ずっと探していたんじゃないんですか?!」
壱成は苦い顔をした。
「追っていいのか、わからない」
ずっと会いたくて仕方なかった人に、会いたくなかったと言われたのだ。壱成には自分が彼女を追う権利など無いように思えた。
「当たって砕けろ、でしょう?!」
先日親友に言われたばかりの言葉が、澄香から弾き出される。
「千影さん、まだちゃんと万年筆持ってます! とにかく、護衛は大丈夫ですから行ってきてくださいよ!」
澄香が言い終わらないうちに、壱成は走り出した。
まだ残る血の匂いを頼りに彼は千影を追う。
裏山を探すと、そう遠くない場所で匂いが切れた。
目星をつけた壱成は、速度を落として森を歩く。
シャドウの屋敷の裏山を超えると、そこには荘厳な山と湖が広がっている。
亜夢洲登呂の観光地として知られる、その絶景は今は雪が積もっていた。
「知られたくなかった……」
千影の呟きが聞こえる。
座り込んだ彼女の周囲には、変装道具が散らばっているのが見えた。
壱成の足元でパチン、と小枝が折れる。
千影はピクリとも動かないで、膝を抱え込んだまま。
——偽って彼の側にいた自分が、実はこんなにも手を汚していて、自己中心的で、身体だって実験台にされて異常なのだと、知られたくなかった。
「ごめんなさい。私は、こんな人間なんです……」
壱成はゆっくり彼女の元へ。
すぐ側に跪く。
「……好きだ」
千影は思わず顔を上げた。
彼女の顔には泣いた跡が見える。
「俺は、俺の婚約者だった塚田真香の影武者が好きだ。影風が好きだ。だから、白須黒夜には妬いた。緒方かげと付き合っているんじゃないかと、さっきの勝負もつい力がこもった」
壱成は千影の顔に手を伸ばす。
いつしか泣いて見えた彼女は、ずっと泣くことを耐えていただけだった。
千影はみるみる表情を歪ませ、涙を溜める。
彼は千影を抱きしめた。
「ずっと偽ってたのに? 祓い人としても異常な身体になってて、あなたも殴ってしまったのに?」
腕の中で千影は続ける。
殴られたことを思い出した壱成は、ちょっと困った顔をしたが、あれから体を鍛え直した。
彼女と引き分けるくらいには、強くなったんじゃないかと思う。
「ああ。それでもだ。この一年、ずっと君を探していた。……自分で言うのも何だが、婚約破棄をし続ける俺がだぞ? 正直、自分でも驚いているくらいだ」
壱成はもう遠慮をせずに、彼女を強く抱きしめる。
「身が焦がれるほど君に会いたくて、どうかしそうだった」
切ない声がすぐ近くに聴こえて、千影の胸は抱きしめられるのと一緒に、ぎゅーっと締め付けられた。
彼女は恐る恐る、自分の腕を壱成の背中に回す。
ふたりにそれ以上の言葉は必要なかった。
〜*◇*〜
凍りついた湖が溶け、山には新緑が芽吹く。
シャドウの屋敷は霧の中からその壮麗な姿を現した。
その廊下を早朝にも関わらず、パタパタ走る少女。
「千影さん、大変! アーミング社がやらかして、株が暴落するよ!」
予知夢から覚めた澄香が、千影の部屋のドアをノックした。
相変わらず三時間睡眠な千影は、すでに起きて仕事をしていた。話を聞いてすぐさま対処に動く。
屋敷にいる仲間を起こして、指示を出し、朝食を片手間に慌ただしく働いた。事件を未然に防ぐためのプランと、防げなかった場合の処理をすぐさま決定し、組織を動かすのだ。
ひと段落してやっと休めたころには、いつのまにか日が沈んでいた。
「お疲れ」
彼女が共同ホールのデスクでフウと息をつくと、後ろから声を掛けられる。
その声に千影はパッと顔を上げた。
「帰ってきてたんですね」
そこにいたのは、徳永壱成。
彼は統国軍から澄香の保護のために、シャドウに常住することになっている。
国として壱成を失うこともまた痛手だったのだが、第三支部所属の新藤鏡花の能力で、何かあれば統国に召喚されることで折り合いがついた。
「今さっきな。あっちに行ったり、こっちに行ったり。一部からは左遷だなんて噂されているらしいが、仕事は倍に増えた気がする。こっちも大変だったみたいだな。手伝えなくて悪い」
「大丈夫ですよ」
千影は椅子から立ち上がると、壱成のもとへ。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
心からの笑みを惜しみなく向けてくる彼女に、ふつふつと愛おしさが募る。
実は今日、統国に行っていたのは仕事だけが理由ではない。
「千影」
「はい?」
壱成は懐を探ると、小さな箱を取り出した。
それを開くと、中にはふたつのリングが。
「結婚しよう」
千影は声を失って、顔を両手で押さえる。
壱成はすでに自分が必要な部分の記入を終えた婚姻届を千影に見せる。
「婚約はもう充分なんだ」
「はいっ、っ、」
「承諾したら、二度と離さないないからな」
「はいっ。私も離しませんっ」
壱成は泣いて喜ぶ千影の手を取る。
彼女の指に、お揃いの指輪がはめられた。
「私がはめてもいいですか?」
「ああ」
もう一つの指輪は、千影が壱成に。
それは、彼らにはもう婚約指輪は必要ないことを示していた。
「俺の一生をかけて、君を幸せにする」
「私は来世もあなたを愛します」
壱成と千影は笑い合うと、徐々に距離を縮める。
そして、ゆっくりと、死が二人を分けても破られることのない誓いのキスを交わした。
窓の外では、満点の星々がふたりの誓いを見守っている————。
これは正しい婚約破棄 ——完
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!




