蓮丹 6
「じゃあ、いま言った通りで。私は仕事に戻るとするよ」
千影は純忠に説明を終えて立ち上がる。
強引だが、悪霊を引きつける自分の指を彼らに提供することにした。澄香の代わりにしてもらう。
純忠は化け物でも見たような顔で、千影を見ていたが、気にしないことにする。
小指はすでに生え治っていた。
「……感謝する」
瓶に入れられた指を持ちながら、純忠は言葉を絞り出した。
「礼はいらない。あなたも体は大事にしないと、娘さんが悲しむよ」
彼女はそれだけ言うと、闇に紛れていった。
「本当にクサい」
千影は独特な悪霊の匂いに、仕事をする気になれない。
それでも少なくとも悪霊が出てこなくなるか、日が昇るまでは戦わないと、サボりだと思われる。
屋根の上から、地面から湧いてくる悪霊の数を確認し、背負った刀をスラリと抜いた。
悪霊祓いに使う道具は、専門の職人が丹精込めて作っている。
彼女の使うこの刀は、その中でも一級品であった。
月光に照らされて、黒い刃が艶めく。
「やるしかないか」
腰を落としたかと思えば、一瞬で間合いを詰めて地上の獣を蹴散らしていた。
*
その頃、壱成は倒しても倒してもキリがない悪霊たちに、そろそろ嫌気がさしていた。
(燃やすか)
周囲の状況を確認する。
十時の方向に、榎本の姿を捉えた。
彼の血は悪霊には毒なので、それを塗りつけた暗器で闘っている。
「榎本! ここ一帯全部燃やす!」
壱成は副官であるならば、分かるよな? という意味を込めてそう叫んだ。
「ちょ、待って、くだっ!」
悪霊と戦闘中で制止を叫ぶ榎本を待たず、壱成は正眼の構えを取る。刀に灯る青い炎はボワっと燃え上がった。
「避けたいなら、避けろ」
言葉と一緒に放たれたのは、青炎の斬撃。
それに当たった悪霊は、唸り声をあげて燃えていく。
「うお!」
飛び上がった榎本の足にも斬撃は届くが、燃え移ったりはせず通り過ぎていく。
「大尉! その炎が人に害はないって分かっても、巻き込まないでくださいよ!!」
榎本は壱成に叫んだ。
「だから、避けたければ避けろって言っただろ?」
「……」
(言いながら刀振るってただろ? 全然気にしてなかっただろ?!)
榎本の文句は彼の心中でこだました。
ウォオーーンと、再び雄叫びが聞こえ、壱成はそちらを振り向く。
「まだ出るのか」
走り出すと、少し遅れて榎本もついてくる。
「絶対おかしいですよ、これ!」
「わかってる。だが、とりあえず全部消せ」
「そりゃ、分かってますけど」
うわぁ! と人の叫び声が聞こえて、壱成は自分の体に炎を纏わせ、悪霊を蹴散らしながら速度を上げた。
蓮丹の一員だと思われる男が襲われているのが見えたが、まだ距離がある。
「うああ!!」
(間に合わなッ——)
男の首元に悪霊が飛びかかるのが、ゆっくりに見えた。
ドサリ。
黒い獣が崩れ落ちた。
「はやく結界の中に戻れ」
助けた男にそう言うのは、鳥の面をつけた女。
いつのまにか、悪霊は祓われている。
(速すぎる)
かろうじて、屋根の上から飛び降りてきたのは分かったが、その後の太刀筋は目で追えない速さだった。
彼女は手に黒刀を持ち、襲ってくる敵を淡々と切り裂いている。
「影風……」
彼女に違いなかった。
動きを見れば分かる。本物だ。
面をつけたその女は、壱成の呟きに応じるようにこちらを振り返る。
彼女はぺこりと頭を下げ、次の戦場に向かう。
真香のことで気を遣われたのだと分かった。
壱成はその後を追った。
「緒方かげ、でいいんだよな?」
「ハイ。徳永殿には、真香さまがお世話になっているようで」
落ち着いた声だった。真香の言う通り、声も体も女性にしか見えない。
「……この悪霊たちを、あんたはどう見る?」
襲いかかってくる獣を千影は祓いながら、壱成をちらりと見た。
「あなたはどう考えていらっしゃる?」
逆に質問を返されてしまったが、壱成は素直に答える。
「何かに引き寄せられるようにして、湧いてると思っている」
「強ち間違いではないですね」
千影の言葉に壱成は目を見開く。
彼女はこの事態を理解している、そんな口ぶりだ。
「これはあなたを信頼して言うが、この悪霊は人為的に放たれたものだ」
「……人為的、だと?」
そんなことはあり得ない。
人が悪霊を操るなど前例がないし、あってはならないことだ。
だが、壱成はハッとした。
「まさか」
心当たりが大いにある。
「そのまさか。おかしいと思って、第三支部に邪魔して来たら、こんなものを握ってる女性がいたよ」
千影が取り出したのは、一枚のブロマイドカード。
差し出され、壱成はそれを受け取った。
そこには艶めかしい男——鈴村喜助が。
サインまで入っている。
「なんでも、鈴村喜助にそそのかされて偽の情報を本部に流したそうだ。彼女は変装の名人みたいだからね、案外簡単にいったらしい」
千影はまた一匹、悪霊を祓う。
壱成には寝耳に水の話だ。
いったい、いつこの情報を手に入れたのだろう? 仕事が早いし、行動が的確だ。
ブロマイドを返そうとすると、彼女に首を横に振られる。
「それはあなたが持っていてくれ。それとこれも。たぶん、鈴村喜助が使った憑代だから」
小さな熊のマスコットを、千影は渡す。
「……なぜ?」
彼女が自分にこれらの品を渡すのか、壱成には分かりかねた。
「鈴村喜助を追っていると思っていたんだが、違いましたか?」
面の下の瞳と、目が合った気がした。
図星だったからか、鼓動がひとつ大きく跳ねる。
「ハァ。流石だな。俺の部隊に欲しいくらいだ」
壱成は感嘆のため息と共に、本音も漏らす。
「それは光栄です。塚田を首になったら、是非拾っていただきたい」
(それはないだろうな)
彼女を塚田が手放す訳がないと、壱成はこの数分で理解した。
そして、俄然彼女に興味が湧いたのだった。
*
長い夜が明けた。
前代未聞の悪霊との戦闘が行われ、事件の究明が急がれた。
純忠たちの証言には、黄権寺にある秘蔵の「神の指」とやらを謎の人物に狙われて、武装して戦いに備えていたらしい。
所持していた武器からして、それは事実だと認められ、祓い人同士の戦闘は免れたわけだが、黒幕の存在がいるのは確か。
壱成は千影からの情報で、第三支部の女に話を聞き出そうとした。
が。
変装の能力者、小島 華梨沙 は行方をくらましていた。
小島は指名手配され、この事件の重要参考人になった。軍は捜査能力が高い祓い人たちを集めて彼女の行方を捜したが、なかなか尻尾を掴めない。
その裏には喜助がいると壱成は睨んでいるが、証拠がないため、千影からもらったブロマイドと熊は彼のデスクにしまわれたまま。
「本当に、“神の指” が目的だったのか?」
報告書を眺めながら、壱成は頭を悩ませていた。
あの指は薬物に浸されており、誰のものか分からない。ただ、塚田のものではないか、というところまでは明らかになっている。
喜助が狙っていたとなれば、それ相応の価値を持つものかと思われたが、指ごときに奴が手を出すのか?そんなものを狙うなら、塚田家の人間を攫うだろう。
塚田真香を見て、喜助は含みのある言葉を壱成に残していった。
嫌な予感がして塚田家に連絡を入れたが、真香は無事だと言われ杞憂に終わった。
(……まだ、何かあるのか?)
自分の知らないことが、まだある。
そこで頭に浮かんだのは面をつけた彼女。
任務が終わって、彼女と話をしたいと姿を探したが、すでに塚田に戻ってしまっていた。
真香の安否確認とともに、彼女と話ができないかと正太郎に申し出たが、遠征に行かせたのでそれは難しいと断られている。
フゥーと、長い息を吐いた。
吾妻の言う通り、彼女にはこちらについて欲しいものだ。まさか、喜助のことを把握しているとは。もっと早くに、接触したかった。
(いくつなんだろうな)
背はちょうど真香と同じくらいだったが、彼女より大人びていた。影風の名前は、六年くらい前にはすでに広まっていたので、ああ見えて同じ歳くらいなのかもしれない。
秘密が多い人物だ。
隠されれば、気になるのが人の心。
あの面の下は、どんな顔をしているのか。
そもそもなぜ、面をつけているのか。
あの身体能力の高さは如何にして身につけられたものなのか。
気になることをあげれば、キリがない。
「——……い、たいい、大尉?」
物思いにふけっていたところ、榎本に呼ばれていることに気がつかなかった。
壱成はハッと、顔を上げる。
「どうした」
「お疲れのようですね。お茶を淹れたのですが。いりませんか?」
部下に心配されるほど、考え込んでいたらしい。喜助が関わっている事件ともあり、根を詰めていたところはあった。
相手は鈴村財閥の息子。
確実な証拠を用意しなければ、揉み消される。
それが、悪霊を使って犯罪を犯しているともなれば、証明が難しい。
小島華梨沙を見つけて、関係を自供させることができれば、事態は進展する。
壱成はどうしても、彼女を見つけたかった。
「もらう。ありがとう」
吾妻にも「息抜きは大事だ」とよく言われる壱成。榎本からカップを受け取る。
明後日には、塚田真香も戻ってくる。
正太郎の目もあるので、何か動かないと不味いかもしれない。
(代わりに影風を寄越してくれればな……)
真香が千影で、千影が影風だと知らない彼は、すでに叶っている願いを心の中で呟くのであった。




