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これは正しい婚約破棄  作者: 冬瀬
21/44

再開



「お勤めご苦労様です。またしばらく、お世話になります」


桃色の着物に袖を通した真香——千影がぺこりと頭を下げる。

目の前には端整な顔だちが、全く変わらない壱成が。

二週間ぶりの再会だった。


「ああ。また琴吹をつけるから、何かあったら彼女に」

「おひさしぶりです。真香さま」


控えていた琴吹が嬉しそうに微笑む。


「よろしくお願いします。琴吹さん」


千影もつられてにっこり笑った。

夜は屋敷を抜け出すが、その前は優雅な生活を送れるのだ。嬉しいと思うのは仕方ない。


「あ、これ。粗品ですが。皆さんで」


持っていた大きな紙袋をふたつ。千影は手渡した。中身は山白郡で有名な蕎麦である。

暑くなってきた今の時期にはぴったりだろう。

ありがとうございます、と琴吹が礼を言うと、そのまま中に案内される。

模様替えをした様子はないし、特に変わったことはないみたいだ。


この二週間千影は、正太郎に使い倒されて疲れが溜まっている。

国のあっちこっちに出向き、取引先などの情報の収集をしたり、商売になりそうな話を仕入れては報告する。

今回はあまり物騒な仕事は少なかったが、屋敷に帰ると血を抜かれるのが、思いの外辛かった。

それでも照子の顔が見れるので、千影は早く任務を終わらせて、どんなに遠くの任務地でも一日で帰ってきてみせた。


「真香さま。ご昼食までしばらくありますので、ゆっくりなさってください」

「わかりました。……朝が早かったもので、少し眠っても良いですか?」

「かしこまりました。時間になりましたら起こしに参ります」

「ありがとうございます」


千影はベッドに横になる。

朝から採血されたのに加えて、月のものに当たって気分が悪かった。

体調管理には気をつけているが、人為的な処置をされれば話は別だ。

一時間半ほど、彼女はしばし眠った。


「——ま、真香さま。真香さま。お時間です」


いつもの彼女であれば、人の気配で目を覚ましていたところだが、今日はそうもいかなかった。驚いて千影は目を見開き、身体を起こす。


「おはようございます。お手数をおかけしました」


慌ててベッドから降りて立ち上がると、立ちくらみが酷い。

ここ数週間の無理が祟っていることは明らかだった。

彼女はなんとか平静を装って、身だしなみを確認し、壱成が待っているであろう居間へ。

ちゃんと食事をとって、早いところ体調を戻さなくてはならない。


「お待たせしました」

「いや。時間ちょうどだ」


やはり、壱成は軍服がよく似合う。

彼は今日もこの後、仕事があるようだ。

日比野郡の件で、鈴村喜助が関わっていることは確実なのだが、そのことについてどうなっているのか気になる。こちらとしても、あんな危ない人間、さっさと処分願いたい。


手を合わせて、久しぶりに徳永の屋敷で食事をすすめる。


(…………なんだろう?)


壱成のこちらを伺うような様子を、不審に思う。何か言いたいことがあるみたいだ。


「……その、壱成さまはお変わりなく?」


こちらから話しかけると、彼は箸を置いた。


「日比野へ任務に行っていたんだが、そこで影風に会った」

「そうでしたか。今回の帰省では、彼女を見ていないんです。仕事が忙しいようです」

「そうらしいな。会って話がしたかったんだが、遠征に出ていると言われてしまった」


(遠征といえば遠征ですけれど、ここにいます)


千影は困ったように眉を寄せる。


「影については、私も知らないことが多くて。お力になれればよかったのですが、すみません」


「真香」に聞かれても、何も答えるつもりはない。

彼と彼女の距離は、終わりを迎えるまでこのままかと予想される。それほど、千影は真香を全うしていた。


「……もし、今度会うようなことがあればの話だが、彼女にいつでもこの屋敷に来てくれと伝えて欲しい。仕事で聞きたいことがある」


「わかりました。そのように伝えておきます」


面倒ごとに巻き込まれるのは勘弁なので、また塚田に帰るときが来たとしても、会えなかったことにしようと心に決めるのだった。


「君のほうは、お父上のほうから何か言われなかったのか?」

「父に、ですか?」


千影は焦った。

何か問題でもあったのだろうか?

正太郎とは基本、任務の話しかしない。

婚約については、最近「幻薬」の開発が軌道にのってきてご機嫌が良いので、うまく破棄されて(被験体として)戻ってこいと言われている。

まさか、婚約破棄について正太郎がなにか彼に言ったのか?

血の足りない頭で必死に考えてみるが、どう答えれば正しいのかわからない。


「特に何も言われていませんが。壱成さまにご迷惑をおかけしないよう、お慕いするようにと」


彼女は結局、言葉を飾って、そのままを答えた。

壱成のほうは、どこかホッとした様子で肩の力を抜いたようにみえる。


「そうか。婚約のことについて聞かれて、ご両親に心配されることがあったら、君を困らせてしまったと考えていた。まだ始まって間もないが、塚田の援助には随分助けられている。契約でも誓った通り塚田に何かあれば駆けつけるが、このままでは君に申し訳ない。何か欲しいものでもないのか?」


想定外の返しに、千影は目を丸くした。

女に興味がない割に、こうして気遣いできるのは好感が持てるが、いきなり欲しいものを聞かれても困る。


(欲しいもの……。真香が欲しいもの……)


『ねぇ、ちょうだいよ』


考えに更けた千影の脳裏に、少し怒ったような幼い女の子の声が聴こえた。


——真香に、全てを奪われる。


脈が早くなり、嫌な汗が背中を伝う。

頭痛がしてきて、食べたものが込み上げてくる。


「す、すみません。旅の疲れが出てしまったみたいで気分が優れないので、今の話はまた今度お答えしても?」


この屋敷に来て、初めて弱った姿をみせた千影に、壱成は表情を変えた。


「大丈夫か」

「はい。お食事中に、申し訳ございません」


彼女は精神力だけで身体を動かし、席を立つ。

なんの不運か、先ほど控えていた風間が部屋を出て行ってしまったので、これ以上失態を犯す前に、千影はひとりでこの部屋を出なくてはならない。

みるみるうちに顔色が悪くなるので、心配した壱成が席を立つのにも気がつけなかった。


(まずい———)


立ち上がって、椅子を机に寄せるところまでは、しっかりやった。

だが、椅子にかけた手を離すことができない。


(ここでミスをしても、照子さんが怒られることはない……よね………)


そう考えたら、一気に体の力が抜けた。


「おいっ」


壱成が崩れるように倒れそうになった彼女を抱きとめる。


「しっかりしろ、真香!」


初めて名前を呼んだことにも気がつかず、彼はいつになく深刻な面持ちで千影を横抱きにした。

彼女を抱えたまま足で扉を蹴り開けて、部屋の外に出ると、駆けつけた風間に指示を出す。

真香の部屋を片付けていた琴吹。


「い、壱成さま?!」

「彼女が倒れた。風間に医者を呼ばせている」


腕の中で意識のない千影をみて、琴吹はすぐに動き出す。


「こちらへ!」


タオルケットをめくったところに、壱成が千影を下ろした。

壱成はベッドの横に膝をつくと、彼女の腕をとって脈をはかり、髪を避けて手を額に当てる。


「貧血かもな。微熱もある」


彼女は先ほど特に何もなかったと言っていたが、やはり無理をさせてしまったのかもしれない。安寧な家から出て間も無く、こちらの顔色を伺いながら、誰にも頼れず契約を守っているのだ。こちらの配慮が足りていなかった。


顔色の悪い千影を見て、壱成は無意識にその頬に手を伸ばした。


先ほどまで元気にしていた人が急に倒れて、一生目を開くことがなくなることがあることを、彼は知っている。


母親を思い出した壱成の手が、小刻みに震えた。

自分でも驚いて、彼は頬から手を離して握りこみ、作った拳を己の額に当てる。

目を瞑れば余計に母親が死んでしまったときの光景が浮かんでしまい、顔をしかめた。


「失礼します。お医者さまをお呼びしました」


壱成は立ち上がり、琴吹は椅子を用意する。

医者は壱成が言った通り、彼女を貧血だと診断した。


「しばらくすれば目を覚まされるでしょう。薬はこちらに置いておきますね」

「……ありがとうございました」


彼は医者に礼を言う。

自分もそろそろ仕事に行かねばならない時間だ。

ちらりと千影に目を移し、青い顔で微動だにしない様子にゾッとする。


「琴吹」

「はい」

「なるべく彼女のそばにいてくれ。目を覚ましたら俺に連絡を」

「かしこまりました」


琴吹が頷くのを見て、壱成は部屋を出た。

そして自分の部屋に入ると、気持ちを切り替えようと一度大きく息を吸い、ゆっくり吐き出す。


——女性とは、どうしてこんなに脆いものなのか。


いや。母は強い人だった。

いつも笑顔を絶やさず、家族に幸せを運んできてくれる。側にいれば無条件に安らぎを得られた。


壱成は蘭が死んで、行き場のない悔しさと悲しみを胸の奥に留めることしかできなかった。

幼かった彼がためたしこりは、今もこうして取り除かれることなく存在している。

女性は弱いものだと、守らねばならぬものだと、小さい彼はそう学んだ。それは愚直すぎるほど壱成の女性に対する意識に影響を与え、酷いときは腫物のように扱い、近寄ることもせず、女性嫌いだと噂されるほどだった。


さすがに婚約者も4人目ともなれば、令嬢たちとの距離感を掴んでいたが、彼女たちは壱成が思い描く「か弱き女性」の像にぴったり当てはまっており、側に置いておくのが不安だった。

単純な話、怖いのである。

また、大事な人を失うのが。


それに加えて、自分は今、未知数の敵と対峙している。

徳永家の血が流れていようが、命の保証などどこにもない。

つまりは同じ思いを、相手にさせたくもなかった。

弟の貴之に子どもができてからは、一層妻をもつ気がなくなってしまっていた。


吾妻には高等学校時代に「正義感強すぎ、優しさの塊か?」なんて笑われたこともある。

彼はそういう人間なのだ。

現に千影が倒れたことについて、自分にも落ち度があると思っている。



複雑な心境のまま、壱成は職場へ。

先ほどのことは一度忘れて仕事に専念しようと、ハイペースで仕事を片付けていく。

いつにも増して表情が固い彼に、榎本は首を傾ぐ。


「どうかされました?」

「…………いや」


長い間が、何か起こったことを伝えている。

榎本はさらに眉間にしわを寄せた。


「元気が無いように見えますよ、大尉。お疲れですか? そういえば今日、婚約者のかたがお戻りだとか。何か問題でも舞い込んできたんですか? 塚田家のご令嬢とのことですから、塚田正太郎なんて大物から何か言伝をもらったとか? もしや、さっそく婚約破棄?? 今度は大尉がフられたんですか?!」


ひとりで疑問に疑問を重ね、最後に尋ねたのはそんなことだった。


「……榎本」


壱成は目を細める。

それは、優しく微笑んだわけではなく、睨んでいるに違いなかった。


「は、はいっ」

「ハァ……。勝手に推論するのは構わないが、口に出さないでくれるか?」


いつになく辛辣な返事に、榎本はやっと壱成の機嫌が悪いことに気がつく。


「す、すみません! 仕事に戻ります」


これ以上ここにいると、またやらかしてしまう。大人しく席に戻った。

口は災いのもとである。




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