電子書籍化記念:番外編 闇落ちの危機
電子書籍化されることになったので、記念の番外編です!
詳しくは活動報告で!
天才魔術師であり、若くしてこの国の公爵でもあるヴィンセントと、その幼妻のピチカの結婚生活は順調に進み、半年が経っていた。
しかし最近、仲睦まじい夫婦だったはずの二人の間に亀裂が入ろうとしていた。
原因はピチカが他の男とデートしているという目撃情報をヴィンセントが部下から聞いたせいだった。
「ノット、相談があるんだが」
仕事のために登城したヴィンセントは、魔術塔の執務室で暗い顔をして言う。
「何です? 元気ないですね。ピチカちゃんと何かあったんですか?」
補佐官のノットはすぐに察して書類整理の手を止めた。普通なら夫婦の揉め事の話なんて勝手に解決してくれと思うところだが、ヴィンセントに限ってはちょっとした夫婦喧嘩で絶望して全く仕事が手につかなく可能性があるからだ。しっかり仕事をしてもらうためにも、悩みの種は早めに回収しておきたい。
ヴィンセントは執務机に座って両肘をつき、手を顔の前で組んで、表情に暗い影を落としながら続ける。
「よく分かったな、ピチィのことで何かあったと」
「そりゃ分かりますよ。ピチカちゃんのこと以外で隊長がそんな不安そうな顔することないんですから」
「確かに」
「で、何があったんです? ケンカでもしたんですか?」
「ケンカよりもっと悪いかもしれない」
ヴィンセントは神妙に言うと説明を始めた。
「ついさっきシリンに会って言われたんだ。昨日の午後、ピチカが男と歩いているのを見かけたと。短い金髪の、体格の良い男前だったと。そしてピチィはとても楽しそうに笑っていたらしい」
「あー、はいはい」
恋愛小説をよく読んでいるノットは全てを悟ったかのように頷いた。
「小説なんかだと、そういう男は大体兄弟なんですよ。よくある勘違いです。あとは恋人に内緒で贈り物を選びに行っているだけだったっていうのもよくあるパターンです。異性の好みが分からないから異性の知り合いについてきてもらっているだけで。つまりピチカちゃんは昨日、ヴィンセント様へのプレゼントを買っていたんじゃないですか?」
しかしヴィンセントは納得いっていない顔で返す。
「だが、私の誕生日も結婚記念日もまだ遠い。日頃の感謝ということでつい先日ハンカチを贈ってもらったばかりだし、またプレゼントを買いに行くとは思えない。それに二人はカフェから出てきたところだったらしい。つまりお茶をしていたのだ。その後も買い物をしている様子はなかったという」
「買い物をした後、お茶をしていたのかもしれません。今日は付き合ってくれてありがとうとピチカちゃんがお礼をしたんじゃないですか?」
「うーん……」
「兄弟のパターンはどうですか? ピチカちゃんにはお兄さんや弟さんっています?」
「兄がいると聞いている」
「じゃあお兄さんじゃないですか? 金髪の男だったんでしょ? ピチカちゃんと髪色が同じですし」
「いや、ピチィの兄上は今、異国に留学中だ。私もまだ会ったことがなく、帰ってきているとは聞いていない。それに男は体格が良く、小柄なピチィと似ていなかったらしい。顔立ちも違うと」
「えー? じゃあ違うのかな」
ノットは首を傾げて言い、ヴィンセントは悲しげな声で呟いた。
「ピチィのことは信頼しているし、欲望に流されて不倫をするような子ではないと分かっている。だが私がピチィに何かしてしまっていて、ピチィが私に不満を持って、他の男に心が向いてしまうというのは有り得なくもない話だ」
「そんなことは……」
ノットは否定しようとしたが、真実が分からないので適当に励ますことはできなかった。
「まぁ少し……調べてみる」
ヴィンセントは暗い目をして呟いたのだった。
そして翌日、ヴィンセントはさっそくピチカを尾行することにした。分身の術を使って二人に分かれると、一人は仕事をこなし、一人はこっそりとピチカの後をつける。
午前中は〝王の森〟でいつも通り仕事をこなしたピチカだったが、昼に仕事を終えると真っ直ぐ家には帰らず、馬車で王都の中心地まで出かけていった。ヴィンセントも馬に乗って距離を取りながらついて行くと、様々な店が立ち並ぶ大通りに到着する。
(シリンが一昨日、ピチィと男を目撃したのもこの辺りだと言っていたな)
まさか今日もその金髪の男と会うのだろうかと思いながら、馬を路地裏に連れて行って物陰から様子をうかがう。
と、ピチカは馬車を降り、御者にこう言ってから一人離れて行った。
「じゃあまた夕方になったら迎えに来てくれる? ごめんなさいね。あと、今日のこともヴィンセント様には言わないようお願いね」
口調は少し焦っているようだった。後ろめたいことをしていると自覚しているかのようだ。
「ピチカ……」
ヴィンセントは胸の痛みを我慢しながら呟いた。きっと何か事情があるのだろうと思う一方、不倫だったらと思うと体をズタズタに引き裂かれそうなほど辛い。
ピチカは大通りにある噴水広場に向かうと、そこで誰かを待っている。
するとほどなくして、金髪の髪を短く刈り上げた体格の良い男がピチカに声をかける。他の通行人も多く、騒がしいこともあって会話は聞き取れないが、声をかけられるとピチカは可愛らしい笑顔を見せた。
ヴィンセントは拳をぎゅっと握りつつ二人を観察する。男は精悍な顔つきをしていて、確かにピチカとは似ていない。だが男前ではある。ピチカが好きになってもおかしくはない。
歳は二十代前半くらいだが、堂々とした立ち居振る舞いをしていて貫禄がある。着ているものは上等なスーツで、デザインは小洒落ている。
(貴族か大商人の子息か……)
正体を予想しながら、ヴィンセントは魔術師のローブのフードを被って、歩き出した二人について行く。馬は近くの宿屋に金を払って、少しの間店先に繋いでおかせてもらった。
馬がいなくなると人混みの中でより二人に近づきやすくなったが、ピチカたちはすぐに店に入ってしまう。葉巻を売っている店だ。
(私は葉巻は吸わないが……)
ヴィンセントへのプレゼントを買うわけではなさそうだ。
しばらく待っていると二人は店から出てきたが、金髪の男が包装された葉巻の箱を持っていた。男が自分で自分の葉巻を買ったのか、誰かへの贈り物として買ったのか分からないが、一番最悪なのはピチカが男にプレゼントしたパターンだ。
その後二人はカフェに入り、お茶をする。窓辺の席に座っていたピチカと男の様子はよく観察できたが、ピチカは楽しそうにお喋りをしていて、時おり頬を赤らめたり、照れているような、恋する乙女のような表情を見せていた。
(他の男に向かってどうしてそんな顔をする)
普段ヴィンセントに向けてくれているような表情をピチカは金髪の男にも向けていた。しかもヴィンセントに対してよりも素直に真っ直ぐ視線を合わせている。
(どうして)
自分の中で黒い感情が膨らんでいくのが分かった。二人はカフェを出ると今度は宝飾品を扱う店に入っていったが、ヴィンセントはもう見ていられなくなってその場から離れたのだった。
一方、ピチカは夕方になって我が家へと戻った。新しいネックレスも買ってもらい、楽しい気分で帰宅したのだが、執事からこう告げられて少し不安になった。
「今日はヴィンセント様が先に帰宅されたのですが、どうも元気がないご様子で……」
「まぁ、どうされたのかしら?」
風邪でも引いたのかと心配して、ピチカは急いでヴィンセントの私室に向かう。
「ヴィンセント様、ピチカです」
ノックをして扉を開けると、ヴィンセントはシャツにズボンという軽装でソファーで横になっていた。
けれど眠っていたわけではないようで、ピチカが来たのに気づくとのっそりと上半身を起こす。
「おかえり、ピチカ……」
「ただいま帰りました。ヴィンセント様は今日はお帰りが早かったのですね! お出迎えできずにごめんなさい」
「どこへ行っていた?」
「え?」
ヴィンセントの声が低かったのと、表情のない暗い顔をしているのに驚いてピチカは固まった。
ドアを開けたまま突っ立っているピチカの方にやってくると、その腕を掴んでヴィンセントは言う。
「来なさい」
「どうされたのですか?」
何か怒らせるようなことをしてしまっただろうかとピチカが戸惑っていると、背後からもう一人ヴィンセントが現れて背中を軽く押された。
「部屋に入るんだ」
「え? ヴィンセント様が二人……! あ、分身の魔術ですか?」
「そうだ。私も今日は仕事を早く切り上げて帰ってきた。ピチカと話したいことがあったから」
後から来たヴィンセントが言い、ピチカは二人のヴィンセントに連れられる形で部屋に入った。扉が自然にバタンと閉まり、それと同時に軽装のヴィンセントがピチカの首元にそっと触れる。そこには華奢なネックレスがあり、控えめな輝きを放っていた。
「新しいネックレスだな。今朝はこんなものつけていなかった」
「あ、えっと……これは今日買ってもらったもので、あの……」
「買ってもらった? やはりそうか」
ピチカが何から説明しようかと言い淀んでいると、ヴィンセントが低い声で返してくる。
「ヴィンセント様……」
夫が怒っているのは明白だったので、とりあえず謝ろうとした時だ。ヴィンセントは急に悲しげな表情をして不安そうに言う。
「心変わりしてしまったのか?」
すると今度はもう一人のヴィンセントも寂しげに口を開く。
「もう私のことなど好きではないんだな」
「だが、それもきっと私のせいだ。私が魅力的ではないから」
「お喋りも得意でないし、つまらなかったのだろう」
「ピチカは悪くない」
二人のヴィンセントはピチカに話す隙も与えず交互に話す。彼らはそれぞれピチカの頬と首元に片手を当てながら、暗い瞳で続けた。
「だが君を手放す気はない」
「悪いが、明日からしばらく出かけるのは禁止だ」
「その代わりピチカが退屈しないように欲しいものは何だって買ってきてあげよう」
「本でもボードゲームでもいいし、屋敷に大道芸人や歌手を呼んでもいい」
「私も明日からずっと二人になって、一人はピチカの側から離れない。もう二度とあの男には会わせない」
何か誤解されている。鈍感なピチカでもさすがに察して顔を青くした。このままだと本当に監禁されそうだ。
正直、ヴィンセントがずっとそばにいてくれるなら監禁されてもいいなと思ってしまうのだが、仕事もあるし、何より妻を屋敷に閉じ込めているということでヴィンセントの評判が悪くなってしまうのが嫌だった。
それにおそらくヴィンセントはピチカが不倫をしていると疑っていて、この誤解は何としてでも解きたいと思った。
ピチカはキスをしてくるヴィンセント二人を落ち着かせつつ、急いで真相を話し出す。
「あの、ヴィンセント様は誤解をされています! 〝あの男〟って……私が最近仕事以外で会っている人は一人しかいないのですが……それ、兄です」
そう弁解しても、ヴィンセントはまだ暗い胡乱な目をしてこちらを見ていた。
「兄弟じゃないかという予想はノットもしていたが……」
「ノットさんですか?」
「だがピチカとあの男の顔は似ていなかった」
「ああ、そうですね、昔からよく言われるんです。家族の中で兄だけ顔の系統が違うので。でも兄は父の祖父の若い頃にそっくりらしいですし、正真正銘、私の実兄です」
「けれど兄上は留学中ではなかったのか?」
「つい先日帰ってきたんです。黙っていてごめんなさい」
ピチカはヴィンセント二人を順番に見ながら言う。どっちと目を合わせていいのか分からない。
「けれど黙っていたのには理由があって、兄はちょっと……過保護なんです。結婚したことは手紙で伝えていたんですけど、実は兄はずっと結婚に反対していて。相手は本当に信頼できる人間なのか、ピチカを幸せにしてくれる人物なのかって手紙で言ってきたり」
そこで慌てて付け加える。
「誤解しないでください、ヴィンセント様だから駄目だというわけではないんです。きっと相手が誰であっても兄は反対したでしょうから」
つまりピチカの兄はシスコンらしい。しかしこんなに可愛い妹を持てばそうなるだろうとヴィンセントは共感した。
「それで留学から帰ってきた兄に、私はまずヴィンセント様の素敵なところを教えようとしたんです。ヴィンセント様がどれだけ優しくて格好良いか伝えれば、兄も結婚に納得してくれるんじゃないかと思って。それで納得してくれた後に兄とヴィンセント様を会わせるつもりだったんです」
「なら、今日会っていたのも……」
「兄の買い物に付き合ったり一緒にカフェに行ったりしながら、私はのろけ話をしていたんです。ネックレスを買ってくれたのも、単なる妹への贈り物ですよ。去年は留学中で誕生日にプレゼントができなかったからって」
「のろけ話……」
ヴィンセントは昼間、カフェでピチカが恋する乙女のように頬を赤らめていたのを思い出した。あれは目の前の兄に向けていたのではなく、ヴィンセントのことを思い出して浮かべた表情だったのだ。
「ヴィンセント様のこういうところが格好良い、こんな素敵なところがあるって調子に乗ってべらべら喋りすぎてしまって、最終的に兄は呆れていましたし、そこまで好きならって結婚を認めてくれました。明日にでも兄は挨拶に来るそうですが、いいでしょうか?」
「……ああ、もちろんだ」
ヴィンセントはちょっとぼーっとしながら答えた。誰に非難されようと絶対にピチカを離すものかと思っていたのに、ピチカはそもそも離れる気なんてなかったので、良い意味で拍子抜けしてホッとした。
と、ピチカは可愛らしく眉を吊り上げて言う。
「でも私の不倫を疑うなんて! そんなことするはずないのにひどいです!」
ピチカが二人のヴィンセントを交互に見て言うと、どちらもタジタジになって順番にこう話した。
「すまない、ピチカはそんなことしないと思ったんだが」
「自分に自信がなくて不安になってしまってな」
するとピチカは怒り鎮め、ヴィンセントに分身の魔術を解いてもらい、一人に戻った彼を抱擁した。
「それなら私がもっとしっかり愛を伝えるべきでしたね。不安にさせてしまってごめんなさい」
「いや、ピチカは普段からちゃんと態度や言葉で伝えてくれていたのに、私が……」
「ヴィンセント様が悪いんじゃありません。これからはもっとたくさん大好きだって伝えますから、安心してください。私が不倫するなんて決して思えないようにしますから、覚悟してくださいね!」
「……そんな覚悟なら喜んでするが」
ヴィンセントは嬉しそうに表情を緩めながら、ピチカを抱きしめ返す。
こうして圧倒的光属性であるピチカの愛によってヴィンセントの闇落ちは防がれ、夫婦は今までより一層仲を深め合ったのだった。




