第10話
宿部屋に戻り一息ついた頃、ヴォルフの部屋にユーリィが訪れた。臆した目で見上げながら、何故か言いにくそうに口を開く。
「ヴォルフはソフィニアに帰るんだろ?」
「ああ……」
「じゃあ、ここでお別れだね」
「そうだな」
「次は……」
言いかけて、ユーリィははたと口を噤んだ。昨日の件を思い出したのだろう。
「次は無いんだっけ」
「そう、そうだった」
「僕さ、ヴォルフが“誕生日おめでとう”って言った時は、本当に嬉しかった。だけど……」
「だけど?」
「何でもない」
まただ。また何か言いかけて、口を閉ざす。ここ数日間、ユーリィはそれを繰り返している。ヴォルフはその本心を聞き出してみたくなって、その両肩を掴み、真っ直ぐに彼を見つめた。
「言いなさい」
「いいよ、別に」
「いいから、言えよ」
強い口調でそう言うと、ユーリィは深い溜息をつき、決意したように話し出した。
「前は僕に色々言ったりやったりしただろ? だけど今回は何もしないし……。あっ! べ、別に期待してるって事じゃないぞ、絶対に勘違いするな! そうじゃなくて、前はしたけど今は何もしないのは、僕が連絡したのは、もしかしたら迷惑だったんじゃないかって思っただけだ、それだけだよ」
ヴォルフは顔を上気させ話している少年の腕を掴むと、自分の胸へと引き寄せた。やっと取り戻せたという実感が沸いてきて、その髪にそっと唇を寄せ、囁くように話しかける。
「こういうことをすると、君が嫌がるから止めていただけだ」
「ああ、凄く嫌だ」
胸の中で少年が呟く。それでも逃げる様子がないのが嬉しくて、ヴォルフはその柔らかな金髪に指を絡ませた。
「だろ?」
「嫌だけど、会う意味がないと言われるのも嫌だ」
「意味が無いって言ったのは、君が何も話してくれないからだ」
「だってヴォルフはすぐ怒るから」
「じゃあ怒らないから、今思っていることを話してごらん」
そう言うと、少年は胸から頭を離し、挑戦的な表情でヴォルフを見上げた。
「一人の方が気が楽だけど、寂しいのは嫌だ。放っておいて欲しいけど、無視されるのは嫌だ。好きじゃないけど、嫌われるのは嫌だ。忘れるかもしれないけど、忘れられるのは嫌だ」
「恐ろしく我が儘な願望だな」
上目遣いの青い瞳は、まるでこちらの度量を探るような色がある。そのくせ怒られるのではと、心配しながら唇を噛みしめているそんな表情が、可愛いと思わずにはいられない。
出会った頃よりずっと、彼は表情が豊かになってきている。これは進歩と言えるだろう。その変化を味わえる喜びを自分だけが感じられると思うと、ヴォルフの独占欲を満足させた。少しずつ歩み寄ってくれているという確信もある。手に入らないと思っていた青い宝石を所有できるかもしれないという、僅かな期待に胸が躍った。
「じゃあ、忘れないように、頻繁に連絡をしてもらおうか?」
怒ってないことを証明したくて、ヴォルフは穏やかに破顔した。すると子供じみた態度でユーリィはプイッと横を向く。
「気が向いたらな」
「俺の愛をたっぷり……」
その瞬間、少年はヴォルフの胸を押し退けて、数歩後へと飛び退いた。
「いいか、そう言うセリフを吐くたびに、これから一発ずつ殴るからな。僕は真っ当な恋愛をするんだ」
「真っ当なということは、女を見つけるということか?」
ヴォルフの質問に、ユーリィは少し顔を曇らせて、考え込むように下を向く。
「誰かを好きになるとか、僕はそういう気持ちがよく分からない。いつか適当な女に出会って普通に暮らしたら、もしかしたら分かるかもしれないけど」
「女に会えば好きになれるのか?」
「だからよく分からない。でも侍らすっていうのも悪くないだろ? 愛とか恋とかには期待はしてないけど、“恋人”っていうのは憧れるかも」
「恋もないのに“恋人”か」
「相手が惚れてくれれば、ね」
さして面白くもないだろうに、ユーリィはクスリと笑ってヴォルフを見返す。
「ヴォルフのことは嫌いじゃない。今はそれしか言えないけど。そのうち考える。もう少し大人になって、普通に恋とかしてみたら、何か分かるかもしれないし」
「随分と先の長い話だ」
「だからその間にヴォルフも結婚とかして……」
「先の長い話はそれぐらいにして、ここは一つ、キスをするというのはどうだ?」
途端、ユーリィが空を蹴るように脚を伸ばしてきた。
「ふざけんな!」
「相変わらずケチだ」
「今回はそれは無し! これ以上慣れたらお婿に行けなくなる」
「だったら俺のお婿に……」
「気持ち悪いことを言うな、アホ、ボケ」
いつものペースに戻ったユーリィに、ヴォルフは少しだけ安心した。色々と残念な事はあるが次に希望があるから我慢しよう。そして次こそはと、新たなる決意を胸に秘めて、ヴォルフはニッコリと笑みを浮かべた。
「次はもっと愉しく過ごすからな」
「絶対に貞操は守るぞ!」
さてどうなるか、神のみぞ知ると言うところだろうか。
ご閲覧ありがとうございます。
そして前作に続き読んで下さった方、大変感謝します。
二人の関係は殆ど進展してませんが……。
短編のつもりだったんですが、少し長くなってしまいました。
お時間がありましたら第三部(金色の誘惑)もよろしくお願いします。




