第47話-C 高校1年生 ~ずっと続けばいいのに 3~
翌朝――8月11日(金)。
襖越しの光で目が覚めた。
静かな白い光の筋が畳に落ちている。
廊下を歩く足音が近づく。
「姉ちゃんたち、起きてるの?
……朝飯、何食べる?
ごはんもパンもあるけど。
ばあちゃん、張り切ってるから」
葉太が襖を開けて顔を覗かせた。
「おはよう、葉太。寝ぐせ、すごいね」
由奈がのそりと布団から起き上がる。
桂花も背伸びしながら挨拶した。
「おはよう」
「ごはんも炊いてあるし、味噌汁もあるよってばあちゃんが言ってた」
葉太は寝ぐせを押さえながら言った。
「トーストなら、いちごのジャムとバター。あとチーズもあるけど……」
「わかった。ありがとう、葉太くん」
桂花がそう言うと、葉太ははにかんだ。
そして、ふらふらと歩きながら台所に戻っていった。
由奈と桂花は布団を畳んで身支度をし、座敷を出た。
台所に入ると、ごはんのにおい。
味噌汁からは、かつおだしの香りが立ちのぼる。
焼き鮭、厚焼き玉子、きゅうりとハムとツナのサラダ。
小鉢には、冷奴におろし生姜。
「うわぁ……旅館の朝ごはんみたい」
桂花が小さく息を漏らすと、おばあさんは照れたように笑った。
「若い子が来ると、つい、いろいろ作っちゃうのよね。
ごはんとお味噌汁でいいの?」
「もちろん」
「はい」
「朝はここで食べていきなさいね」
葉太は既にパンをかじりながら牛乳を飲んでいた。
由奈と桂花はテーブルに向かい合って座った。
「いただきます!」
おばあさんが湯呑みに温かいお茶を注いでくれた。
味噌汁を啜ると、風味と温度に落ち着く。
葉太がテレビを見ながら言った。
「今日も暑くなるってさ」
「そうだ。桂花、布団片付けて支度したら、朝のうちに散歩にでも行こっか」
「いいね。楽しそう」
葉太が驚いたように言った。
「朝から活動的じゃん」
「そう?
せっかくだから、川や神社の方に行こうかと思って」
すると、葉太が不思議そうな顔で言った。
「へー、友達と、わざわざそんなとこ行くんだ」
「いいの、行きたいんだから」
そう言って由奈は小さく笑みを浮かべた。
(確かにそうだよね……。
……でも、こんな朝、きっと、しばらくないから)
「今日一日、ゆっくり過ごそう」
由奈が言うと、桂花が頷いた。
葉太はますます不思議そうだ。
「それって、わざわざ言うこと?」
由奈と桂花は顔を見合わせて笑った。
「ごちそうさまでした!」
二人は朝食を済ませて出かける準備をして外に出た。
桂花がぼそりと言った。
「出発の朝、どんな気持ちでごはん食べてるのかなって想像しちゃった」
「うん。私も」
家を出てすぐ、坂道を下ると、川べりに出る。
少し高い位置から川を見渡せる。
「……え、川、流れてないんだ」
桂花が足を止めてフェンス越しに覗き込む。
鏡みたいに空を映した水は、ゆっくり動いているだけで、流れている感じがしない。
桂花が由奈を見る。
「これ、川……だよね?」
由奈は頷いた。
桂花は川を見やった。
「なんか、不思議」
「ほら、あれがあるから」
由奈が西側を指さした。
つられてそちらを見ると、ダムが見えた。
「なるほどね。
川って、流れてるのが当たり前って思ってた」
由奈は小さく笑った。
「私は小さい頃から見てるからさ。
最初、おばあちゃんがここに連れてきてくれて、『川だよ』って言ってたからそう思ってたけど。
でも、湖みたいな感じに見えるよね」
二人は歩き出した。
時々、道に沿って川の近くへ降りていく階段が現れる。
少し階段を降りた。
「毎日、水の高さが違うんだよね」
由奈が指先で段を数える。
「昨日より一段上まで濡れてる。上流で、水が増えたのかな……」
「へぇ……。ここで生活してる人の視点だね」
桂花は感心したように言った。
由奈は頷いた。
「結構、よく見に来てるから気になっちゃって」
桂花は景色を見渡した。
「……この景色、いいな」
奥に見える山並み、止まったかのような川面、静かな朝。
「でしょ。ずっとここにある景色だと思う」
由奈は、風を受けながら目を細める。
「異世界から帰ってきた時、ここ歩いたら、きっと、ああ、戻ってきたって思える」
歩いていると、大きな木がそびえているのが見えてきた。
近づくにつれ、その姿がはっきりしてくる。
太い幹は他の木と絡まり、ひとつの塊のようになっている。
「天然記念物なんだって」
由奈が看板を指さした。
桂花がそれに目を通して言った。
「うわ、すご。樹齢800年かぁ……生きてる時間が違うなぁ」
幹を見上げながら、桂花がぽつりと言う。
由奈が桂花を見た。
「この木、ずっとここにいるんだよね……。きっと、いろんなことがあったんだろうけど」
桂花が木を見上げた。
「なんかさ……、異世界に行くことが嘘みたいに思えてきた」
「うん、私も」
「なんでだろうね……」
二人でしばらく木を眺めた。
風に揺らされた枝葉の音が心地よく耳に届く。
「次、神社に行こう」
由奈が北の方角を指した。
「うん」
陽が静かに強くなっていき、蝉の声が大きくなる。
川から続く小道を少し歩くと、年季の入った石の鳥居が現れた。
「ここ」
由奈が桂花の方を見て言った。
「うわ……雰囲気あるね」
桂花は思わず足を止めた。
灰色の石の鳥居は、風雨にさらされた跡を刻み込んでいる。
その姿に、時間の重さが宿っていた。
鳥居の下には古い石段。
段差はまちまちで、ところどころ欠けたり傾いたりしている。
子どもが油断したら転げ落ちそうだ。
「小さい頃さ、ここ走って上ってたの。
今思うと、よく転ばなかったなって思う」
由奈は笑って、少し慎重に足を運ぶ。
桂花も後ろについて、一段ずつ登る。
蝉の鳴き声が、少しずつ近づいてくる。
鳥居をくぐると、
ざり、と足元の砂が音を立てた。
手前両端には狛犬。背後には木々が生い茂っている。
広い砂地。
陽が差して白く、眩しいほど明るい。
その中央に、小ぶりな土俵がある。
丸く踏み固められ、少し高く盛られている。
「……土俵?」
桂花が目を丸くする。
「そう。
相撲大会とかあった。腕で押し合うだけなんだけどさ」
鈍く赤い小さな祠が、境内の左手奥に並ぶ。
右奥には、林の中に小さな鳥居が連なる。
「ここで遊んでたの?」
桂花が聞くと、由奈は頷いた。
「うん。鬼ごっことかかくれんぼしてた」
指差した先には、隣の公園と隔てる垣根がある。
「そういうとき、莉乃ちゃんも一緒だった」
由奈は小さく苦笑した。
「クラスが一緒になるまでは、莉乃ちゃんと普通に遊んでたんだよね……」
桂花は由奈を見た。
「……そっか」
由奈は俯いていたが、桂花を見た。
「桂花のところは、こういう神社とかある?」
桂花は首を横に振った。
「うちは、こういうとこないから。
なんか、うらやましい」
二人で敷地内を歩く。
靴の裏で砂がしゃりしゃり鳴る。
「ここ、静かだね」
「うん。朝は特にね」
桂花はくるりと一周、見渡す。
鳥居や祠。
砂の土俵。
緑の濃い木々。
ずっと続いてきた時間がここにある気がした。
桂花は呟くように言った。
「異世界にも、こういうところ、あるのかな」
由奈は空を見上げた。
蝉の声がふっと強くなり、日差しも重たくなってきた。
「……きっとあるよ」
風が吹いて、木々の葉が揺れた。
二人は何も言わずにその音に浸っていた。
「あちらの世界にも、こういうところがあるのなら……」
由奈は木々を見上げたまま続けた。
「……壊されないようにしないとね」
桂花は息を飲み、由奈を見て頷いた。
「……そうだね」




