第44話-D 高校1年生 ~苦さと懐かしさのあいだ 2~
「何かお話があるのよね?」
司書さんは穏やかな声でそう言った。
その視線を受けて、由奈は一度小さく息を整える。
「……あの」
少し迷うように言葉を探してから、口を開いた。
「私、小学生のときに、この図書室で……変わった本を見つけたことがあって」
司書さんの表情が、わずかにやわらぐ。
「そのとき、志野先生に相談したんです」
由奈がそう言うと、志野先生が小さく頷いた。
「はい。それで……先生が司書さんにも聞いてくれて」
そこまで言うと、司書さんがゆっくり頷いた。
「ああ……その話ね」
懐かしむような、でもどこか納得したような声音だった。
「覚えてるわ。志野先生から聞いて、少し調べたの」
由奈は言葉を続けた。
「はい、司書さんが調べてくれたって聞いてます」
司書さんは小さく微笑んだ。
「ええ。はっきりした記録は多くないけど……」
少しだけ言葉を選ぶ。
「似たような話は、昔からいくつかあったみたい。
私たちみたいに、本を扱って若い人たちと関わる人の間で、ひっそりと語られてきた話でね。
実際の記録を見た人もいれば、話に聞いたことがある人もいて」
部屋の空気が、少しだけ変わる。
「……じゃあ、やっぱり」
晴基が小さく呟いた。
「今回も、そのひとつってことか」
司書さんはすぐには答えず、四人を順に見た。
「その本、見つけたのね。もう一度」
由奈が静かに頷く。
「はい。それで……読んで」
健斗が続ける。
「ただの物語じゃなくて、記録みたいで」
「そこに、私たちのことも書かれ始めたんです」
桂花も言葉を重ねる。
司書さんは少し驚いた顔をしたが、黙って聞いていた。
否定もせず、遮りもせず。
ただ、受け止めるように。
「……私たち、その本を読み終えたことで、別の世界に行けるみたいなんです」
由奈が言い切る。
少しだけ、静寂が落ちた。
蝉の声が遠くに響く。
司書さんは目を伏せ、ほんの一瞬考えるようにしてから顔を上げた。
「そう……」
驚きはない。
ただ、静かに受け入れるような声。
「……今、全部を理解できたわけじゃないけど。
でも、その話が全くの作り話だとは思わないわ」
その一言に、肩の力が少し抜ける。
由奈は思わず息を吐いた。
「それで……お願いがあって」
晴基が一歩前に出る。
「この書庫の小部屋、移動の魔法陣を描くために使わせてもらえませんか」
司書さんはすぐには答えなかった。
少しだけ考えるように視線を落とす。
「……危ないことじゃないの?」
静かな確認だった。
「正直、わからないです」
晴基が答える。
「でも、ちゃんと準備して、無茶はしないつもりです」
由奈も続ける。
司書さんは小さく頷いた。
そして――
「……わかったわ」
と、穏やかに言った。
四人が顔を上げる。
「ただし、約束してほしいの」
その声は優しかったが、はっきりしていた。
「古山くんも言っていたけど、無茶はしないこと。ちゃんと四人で助け合ってね。
困ったことがあったら、志野先生や私に相談すること」
少しだけ間を置いて、
「それから……ちゃんと、戻ってくること」
由奈の胸が静かに締めつけられる。
「ここは使っていいわ」
「ありがとうございます」
由奈が小さく頭を下げた。
司書さんはやわらかく微笑んだ。
「本当に、こういうことがあるのね」
その言葉は、特別視でもなく、突き放しでもなく。
ただ、話を受け止める響きだった。
「中島さん、ありがとうございます」
志野先生は、司書さんにお礼を言った。
「志野先生、このお話、最初に聞いたとき、驚きませんでしたか?」
司書さんは小さく微笑みながら先生に言った。
「それはもう。
でも、みんなの真剣な顔を見たら疑う気にはなれませんでした。
それに、由奈が六年生のときに話してくれてたからな」
司書さんも頷いた。
「そうね。そのときに聞いていたから、今、受け止められたのかも」
桂花が安心した表情で言った。
「よかった。私たちも、志野先生にたどり着くまでにどんな人に話したらいいのか悩んだんです。
でも、由奈が一度、志野先生に話してたって聞いて」
「やっぱり、先生に話を聴いてもらえて」
「もし、先生に辿り着けなかったら、今でも悩んでいたかもな」
四人は胸を撫で下ろした。
由奈が気を取り直して司書さんに言った。
「……これまでの人たちも、やっぱり同じような感じで本に出会ってるんでしょうか」
「そうみたいね。若い人たちが本を読む場所で起こるから。
きっと、そこにいた私たちのような大人に相談していたのかもしれないわね」
「けど、これまでにまったく噂なんかになってないですよね」
志野先生が少し考えるように腕を組む。
「……なってないな」
少しだけ間があいた。
「まぁ、こういう話って、他人にしづらいよな」
「ですね……」
健斗が小さく頷く。
「話したところで、信じてもらえるとも限らないし」
桂花も苦笑した。
「それに、気付かれないまま行き来してるなら、
周りから見たら何も起きてないのと同じだしな」
「……はい」
由奈も小さく息をついた。
晴基がうんうんと頷いた。
「……そうですよね」
司書さんが顎に手を当てて斜め上を見た。
「この部屋は使ってもらっていいけど。
他の生徒や先生が入れないようにしないといけないわね」
四人の顔が少し不安そうになる。
「……はい。難しいでしょうか」
「ほとんどの生徒も先生も、この部屋のことは知らないとは思うけど、万が一のことがあるとね」
「夏休み中だけでいいんです。……多分」
「……そうなの?」
不思議そうな顔をする司書さんに志野先生が言った。
「異世界との行き来のしくみについては、俺から中島さんに話しておくよ」
「それなら、とりあえず、夏休み中は志野先生が鍵を管理するってことでどう?
見ての通り何も置いてないし、今のところ使う予定もないから」
「そうしてもらえるとありがたいです」
「先生が管理してくれるなら安心だな」
志野先生も頷いた。
「あの……このこと、他の人には言わないでほしいんです。特に親に繋がると……」
由奈が先生と司書さんに向かって言った。
「そうだな。話してもあまりいいことはないだろうし。ちゃんと秘密は守るよ。よほどのことがなければ」
「ええ。私も」
志野先生と司書さんは頷いた。
「ありがとうございます」
ほっとした空気が流れたところで、健斗が言った。
「先生、俺、本、読み終わりました」
それを聞いて先生は笑顔になった。
「そうか、早かったなぁ。分厚い本だし、頑張ったな」
「そしたら、このページが増えて……」
健斗はそのページをみんなに見せた。
一斉に覗き込む。
「これ、見たとき固まったけどな」
健斗は苦笑しながら言った。
「そりゃそうだ」
「でも、だんだん慣れてきた気もするよな」
「こうやって、私たちの行動に合わせてページが増えるんです。
増える瞬間も、みんなで見てしまったし」
由奈が司書さんに説明した。
「えっ、どういうこと?」
司書さんはじっとページを見つめたり、めくったりする。
その様子を見て先生が言った。
「また、俺から説明しますね」
「は、はい、お願いします」
司書さんが志野先生に小さく頭を下げた。
「あと、今日、みんなでこのメモのことを話し合ったんです」
晴基が、メモを先生に見せた。
「……なるほど。なかなか、よく考えられているな」
「由奈がこれを考えてきてくれて、みんなで話し合ったんです」
健斗が由奈を見て言った。
「由奈、すごいよな、こんなにも考えてて」
由奈は少し驚いた顔をした。
「えっ、そうかな。
私、ちょっと出しゃばっちゃったんじゃないかって思ってた」
「いや、さっきもみんな感謝しただろ」
晴基が由奈の肩を軽く叩きながら笑った。
「よかった。仕切りたがりとか思われてたらどうしようかと思ってたんだ」
(五年生の頃、こういうことしてたら知らないうちに外されてたから……)
「由奈、そんな風に思わなくていいんだぞ。もっと自信を持てばいい」
先生は穏やかな声で言った。
「俺も、由奈、なんでこんな風に考えつくのかなって。
すごいって思った」
健斗も真顔で言った。
由奈は意外そうな顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「そっか、ありがとう」




