宇津ノ谷鬼物語
駿河の国の宇津ノ谷という場所には深い谷があり、そこには梅林院という寺があった。
梅林院には一人の住職が住んでいて、その住職はひどい難病に侵されていた。体中に血膿ができ、放っておくと体中が赤く膨らみ、梅のような様相になってしまうひどい病であった。住職はやむを得ず、弟子の少年にその血膿を吸い出してもらっていた。病で出来た血膿である、そんなものが体にいいはずがない。それでも尚、その少年は住職の血膿を吸い続けたのであった。
少年が自らの体の異変に気付いたのは、住職が病にかかってからまもなくであった。人の血の味を覚えてしまった。人の血肉をみて、それが食べられる物だと認識してしまったのである。
少年は住職の血吸いを行う傍らで、旅行く人を襲い始め、捕食し始めた。ここは宇津ノ谷峠で、東国に行く人間が避けては通れぬ場所だった。少年は行く人来る人を襲い始め、峠を通る旅の人間から鬼と呼ばれるようになった。自分が鬼のように人を食べていることに少年は気づいていない。人間が行うただの栄養摂取となんら変わらぬ作業。好きなものを食べている、ただそれだけであった。
いつしかその峠は人がまったく寄り付かなくなった。いるのはただ一人の住職と一人の小鬼だけであった。
それから年月が経ち、偶然、在原業平という男が東国の地に向かっているときであった。
「宇津ノ谷峠には人食い鬼が住みついている」
男はそんな噂を頻繁に耳にしていた。旅人たちが何人も食べられたようであった。
男はそこの峠に入っていく前に、地蔵菩薩に旅の祈りをしていった。自分の命、そして宇津ノ谷の村人の命。
それを守るように安全祈願をした。
菩薩は願いを聞き入れた。
菩薩は人食い鬼のいる峠に入っていき、その峠である少年に遭遇した。祥白童子と名乗る少年だった。
「ここに人食い鬼がいる。そのせいで、この峠を通る人間が減り、周囲の宿場も大きく衰退しているのだ。人食い鬼はどこにいるかしらないか。」
そう尋ねた。
「分からないですね。それより僧のあなたがどのような用事でここにきたのですか。」
僧はすかさず
「嘘をつけ。しらを切るな。お前が人食い鬼なのだろう。」
雷鳴のような声で大きく叫んだ。菩薩はその少年が人ではなくなっているのだとすぐに気が付いていたのだった。
少年は幾何の人間を食べたのか、妖術を身につけており、少年の体よりも数倍も大きな巨体に変容し僧を威嚇するようににらみつけた。
「鬼よ、私はお前に勝てないことはすぐにわかった。お前を退治しようとは毛頭思えない。実力差がありすぎる。」
「どうせ私を食べるのだろう、鬼よ。ならば死に土産として私にお前の妖術をもっと見せてくれないか。あの世で自慢したい。」
菩薩は半ばあきらめたように鬼にそう問いかけた。
鬼は余裕の面持ちで自らの体を大木のように大きくしたり、殺してきたであろう人間の姿に変えたりし妖術を披露した。そして自らの体を白い玉のように小さくし、僧の手のひらで子供のように転がり回った。
菩薩はその手に力を入れ、その球をつかみ強く握りしめた。そして自らの神通力でその玉を10個の玉に割ってしまった。人間であったその鬼を殺したのだ。菩薩はその鬼の人生を、善意から始まった後悔をその10個の玉から感じ取っていた。その少年が再び鬼にならないように、迷わないように願いをこめてその10個の玉を飲み込んだ。
そのすぐ後に峠に唯一ある家屋である梅林院を訪れた。そこには軽病を患った住職が住んでいた。わずかな血膿が体に点々としているだけで、症状としてはないに等しかった。菩薩は鬼を退治した旨をその住職に伝え、そしてこれから10個の団子を菩薩である自分に供養し続けるようにに命じた。誰かに感謝をしているならば、ここを通る旅人の安全をねがうのならば、10個の団子をつくり供養し続けることを命じたのであった。住職は後悔と感謝の念をもってその命令を約束することを誓ったのであった。
それからのこと、宇津ノ谷峠にはかつての旅人たちの賑わいが戻り、丸子という宿場も発達し、東国へ渡る細道としては大きな発展をとげた。その峠には旅の安全を願う菩薩地蔵がたくさん置かれている。行きかう旅人はその地蔵に安全を願い険しい峠を越えていくのである。その旅人の間では、峠の谷底にある梅林館という寺に立ち寄って10個の玉のような団子をもらっていき、道中にある地蔵菩薩に供えていくということが半ば決まりのようになっていったのであった。そして、今もなおその峠には10個の団子を備える習慣は根付いており「十団子」と呼ばれ、菩薩地蔵に十団子が供えられていない日はないのだと言う。
おしまい
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この話は実際に静岡県静岡市駿河区の宇津ノ谷という場所で語られている伝説です。
宇津ノ谷は丸子宿に属しています。宇津ノ谷峠は蔦の細道とも呼ばれ実際に東にいくためには多く歩かれてきた道でした。僕自身も実際に行ったことがあって、本当に十団子が地蔵に供えられていました。地蔵だけでなく家の軒にも垂らされていたり、今もなお、根強く伝統が残っているようでした。街並みも山に囲まれ石畳で、江戸時代にタイムスリップしたような気を感じられる風情ある場所でした。
梅林院はいま名前を変えて谷川梅林院になり、実際の十団子は宇津ノ谷にある慶竜寺で作っているそうです。
※実際の話に自分なりの解釈とフィクションを混ぜて書きました。本物を読みたい人は「宇津ノ谷 食人供養の十団子」と検索してみると実際の伝説が読めるはずです。




