当て馬が現れた! おまけ、私とあなたのターン
これにておしまいです。
エリザベートの場合
「ヘンドリックを返してください」
藪から棒にそう告げたのは今生では初めましての彼女だ。あの子爵令嬢、カレン・リグヴェル。可愛らしいフリルのついたワンピースを着た彼女は少女ように可憐。ただし顔つきは人一人殺しでもしそうな……って私この表現、気に入ってるのかしら。まあいいわ、それよりも彼女よね。
「不思議なことを言うのね」
「何がですか? 彼は元々私の……」
「貴女、知っていて? ヘンドリックは、ものじゃないのよ」
私は知っているわ。だからこそ、上手くいかなかったのだもの。えへんと胸を張ってカレンさんに伝えると彼女は奇妙なものを見たような顔をする。あら、その顔はちょっと残念ね。
「……そんなこと。知っています」
「じゃあ私の一存で返す返さないだの言っても無駄なのよ。お分かりになって?」
「どうして!!」
一瞬声を荒らげた彼女は、驚いて瞬きをする私を見て正気に戻ったらしい。抑えられたトーンで話す言葉は、圧縮された怒りが込められているみたいで低く響く。
「どうして、彼だったの。貴方なら誰だって選び放題じゃない!」
「──誰だって? 何を言っているのかしら。誰だっていいわけないじゃない。彼だったからよ。だから私は何でもしたの。もし、貴女も彼が欲しいなら何だってしてみたらいいじゃない」
できるかどうかは知らないし、できたところでそれが望むような結果になるとも限らないけど。……いやね、私が言うと妙な説得力があるとは思わない? なんて、私は誰に向かって言っているのかしら。
「やってみても結論は変わらないけどね」
後ろから聞こえてきたその声は、そのまま私を抱き締めた。ぎゅっと優しく包み込まれた彼の体温に私の胸は一瞬で高鳴る。爽やかな香りのする彼は私の顔を覗き込んでにこにこ笑う。
「ヘンドリック……」
縋るように名前を呼んだのは私ではない。カレンだ。ワンピースの裾を力いっぱい握りしめて、目を充血させている。なんだか威嚇してるリスみたいでかわいいと思うのは失礼だろうか。
「何を勘違いしてるのかわからないけど、僕はもう君とは結婚できないよ。僕は、君のものじゃないから」
「そんな……!」
「ほら、言った通りでしょ?」
「でもね、エリザベートも一つ間違えているよ」
「あら、私は何を?」
「僕は君のものだってこと」
「あらまあ…………」
「そして、君は、僕のもの」
握りこまれた手の甲をちゅっとキスをするヘンドリックは暴力的なまでに美しかった。
いつの間にかカレンはいなくなっていて、私はヘンドリックと二人でデートすることになった。
「……そういえば、どうしてあそこにいらしたの?」
「君が珍しく一人で出掛けたと聞いて探したんだ」
「そうだったの。心配させた?」
「うん。だからお詫びしてくれる?」
色っぽく熱の篭った瞳で私を見るヘンドリック。私は言葉では返事をせずに、彼の顔に唇を寄せた。そうするとグッと身体を引き寄せられてすぐにお返しのキスが降ってくるのだった。
おしまい
ヘンドリックの場合
「聞いたか?」
「ああ、聞いた。最近エリザベート様はとみに美しくなられた」
「婚約すると女は変わるんだな」
「性格まで変わったって言うしな」
華やかな夜会では猥雑な会談がいくつも繰り広げられている。僕もそのひとつに混ざり会話を楽しんだりするが、他の場所から聞こえてくるある単語に僕の耳は敏感に反応した。エリザベート。僕の美しい婚約者。愛しい人。過去の僕が、今の僕を見たらきっととても驚くことだろう。こんなにも何かに、誰かに固執するなんて想像もしていなかったから。
エリザベートと婚約してから今までは気にならなかった男達の噂話がやけに耳に障るようになった。どうして僕以外の男が彼女の名前を呼んでいるんだろう。
「一度ダンスに誘ってみようか」
「無理無理やめておけ。お前なんかじゃ相手にされない」
「どうして? 彼女の婚約者……確かオーフェン家のヘンドリックだろ? 身分的には変わらないじゃないか」
「お前とじゃ見た目が違うだろ」
「それは酷いな」
身分不相応なのは僕の方だ。彼女と釣り合わないのはよくわかってる。彼女の家の地位が欲しい人間はいくらでもいて、彼女は贔屓目を抜きにしても美しいし、相性が良ければもっといい相手だっているだろう。
そう思って僕は思わず自分の唇を噛み切った。
「お、おい。大丈夫か? 急に黙り込んだと思ったら……唇切れてるぞ」
一緒にいた友人が言いながらハンカチを差し出してくる。それを受け取って口の端に当てた。ピリッとした痛みが走って、ハンカチに真紅が移る。
「ごめんね。ハンカチありがとう。これはもう使えないから新しいのを返すよ」
「ああ……それは気にするな」
心配そうな友人に愛想笑いをすると、先程の男達の声がまた聞こえてくる。僕の存在には気がついていないらしい。
「やっぱりダメ元で行ってみる」
「行ったところでという気はするがな……」
「一度くらいお相手してくれるかもしれないだろ?」
「はいはい」
もう、我慢出来なかった。
「ねえ、君」
「……え? あ、お前……」
「エリザベートのところに行くの?」
「あ、ああ」
狼狽えたような男に近づき、耳元でそっと囁く。
「君如きの男が彼女に触れられるとでも思ってるの? もしそう思っているなら、僕がそうできないようにしてあげるね。どうしようか。君の手首を切り取る? それとも檻に閉じ込めてみる? それともいっそのこと、……動けなくなるようにしてあげようか」
爛々と光る目で男を見ると、酷く青ざめてガクガクと震えていた。その程度の覚悟で彼女に近づこうなんて。
「烏滸がましい」
ひっ、と息を飲んだ男は、肩に置かれた僕の手を振り払うと走り去っていった。
「ヘンドリック?」
「ああ、エリザベート」
気が付くと、銀糸の刺繍が入った紫のドレスを着た女神……もとい僕の婚約者がすぐ傍まで来ていた。
「どうしたの?」
「どうもしないよ。ちょっと虫がいてね追い払っていただけだよ」
「そうなの? あのね、私、もう疲れてしまったから帰ろうと思って。あなたはどうする? まだお友達とお話があるなら先に帰るけど」
「いや、一緒に帰るよ」
「いいの?」
「もちろんいいよ。僕の女神さま」
「……ヘンドリックったらあまり恥ずかしいことを言わないで」
ああ、僕の婚約者がこんなにも可愛くて、僕は最高に幸せだ。
おしまい
最後までお付き合いいただきありがとうございました。