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第26話 Happy Birthday

 いつぶりか歩き出した足取りは決して軽くなかった。頭上で輝きを放つ紅月(グレニモ)は、真夏の太陽のように一行を照り付け、気力を奪うような錯覚にも陥った。


 アステリアは横方向に伸びる街で、端から端へ横断するならば時速100キロは出る箒が無ければ、朝一番から昼過ぎまでにつけないと言われていた。逆に縦に突っ切るなら、1時間もかからない。この世界に沈む太陽がないのは言わない約束というのは置いておいて、ともかく中央から出立したにしろ、彼女たちは郊外へ出るまでノンストップで進み続け、およそ3カ月以上の時間を消費していた。しかし、この事実に言い出しっぺのアンリ含めて誰一人気づかないままであった。




 そうして、アンリが気に入っていたという件の場所にスミレ達は到着した。


 長らくかけて歩いたことが功を奏したのか、天空の色は多少赤が薄まってきた。ルビー色の空にアメジストやサファイアなど、他の色が見え隠れする。それでも紅月(グレニモ)が糸を引いているのは変わりない。


 足元を彩る花畑はそんな宝石の色を落とし込んだように、煌々と光り輝いていた。水も張っていないにもかかわらず、足元と天上は同じ彩度で煌めいていた。鏡が満天の宝石箱を映し出すように、この小さな花畑も色とりどりの光に包まれているように感じた。


 膝上程度までのその花は、花茎の先に13枚の花弁が天に向かって反り返っている。特徴的な花のほかに葉は生えておらず、群生しているのにその一つ一つが孤独にさいなまれている気がした。


「これは転輪血華。()じる()っかの()()で、転輪血華。他にも、マンジュシャゲとかユウレイバナとか呼ばれているそうだけど」


「この花が好きなんですか?」


「花もだけど、この光景が好きなの。こんなクソッタレな世界でも、私を祝福してくれるような、目を奪って離さない地獄のような絶景が」


 アンリはそう呟きながら、一本根を残して摘み取った。持ち上げられた転輪血華の花弁は、スミレの目からは空の紫から白衣色へ変色していくように見えた。


「この花の花びらは、周囲の色を取り込んで色づく。湖の近くに生えれば青く染まり、太陽の光を浴びれば黄色やオレンジ、夜になればその闇に溶け込む。私は、この花が見せるたくさんの色が好きだった。それなのに、あの街は……!」


 アンリの顔が急にこわばる。眉を顰め、明らかに何か、というかアステリアに恨みを抱えている顔だった。張り詰める妹の様子を見て、ドーレスが心配そうに尋ねる。


『あの街……? アステリアが、どうしたの?』


「私も気になります。アステリアで何があったんですか?」


「……………………ううん、気にしないで。今はお姉ちゃんのことが最優先だから」


 アンリは深呼吸を入れて、スミレ達に笑いかけた。己が抱える闇を、この輪廻の花に混ぜ込ませて。


「この場所に来た理由は、私が好きなのもそうなんだけど、お姉ちゃんがこの花が好きだったからなんだ。私の10歳の誕生日にお姉ちゃんがこの花の押し花をくれた。赤、青、黄、白、オレンジ。いろんな色があって、全部集めるのにすごく頑張ったと思う。ねえ、スミレ。お姉ちゃんは、この花のことを覚えている?」


「それは……」


 花畑で呆然と立ち尽くすドーレスを見遣る。また、何を考えているのか分からない、日和見霊に戻った気がした。そのまま動かない彼女を見て、静かに首を横に振った。


「……そっか、そうだよね。私だってお姉ちゃんのことをつい最近まで忘れてたんだもん。そんな、都合よく思い出せない、もんね」


 アンリの目には涙が浮かんでいた。彼女が持つ転輪血華はその涙を映そうと色を変える。手元の花は透明に変化した。


 そのとき、彼女の問いに答えるようにドーレスが口を開く。


『…………この花は、あまり、覚えて、いない。……けど……だけど、ね、アンリ。あなたの、誕生日は、しっかりと、覚えている、わ。すごく、おめでとう、って、思ったの』


 スミレは、彼女の言葉を聞き逃さなかった。今にも泣きだしそうなアンリに、大丈夫、と目くばせをする。


『ねえ、アンリ、スミレ。私、思い出した、よ。私、あの日、あの時、アンリの、誕生日、プレゼントを、用意したかった。アンリに、生まれてきて、ありがとう、って。生まれてきて、おめでとう、って、伝えたかった』


 ドーレスの魂が姿を変える。アンリより頭一つ分高い背丈は、泣きじゃくる妹をそっと抱き寄せた。ゆったりとした長髪は、天つ風を受けて自由になびいている。もう大丈夫、と慰めて微笑むドーレスの右目には姉妹おそろいの泣き黒子が飾ってあった。




 変霊事変が起こったあの日――ドーレス・ミラテッドは愛すべき妹の誕生日を祝う予定だった。単身ENOで研究を続ける妹に、アステリアへ異動させられた自分からの普通の愛を与えるはずだった。ミラテッド家の両親は研究の過程で消滅してしまったため、ドーレスとアンリのほかに家族と呼べるものは誰もいなかった。正研究員として働いている姉はともかく、年が九つ離れた妹がこの業界でたどる末路は想像に難くない。ドーレスは妹のために一人で保護者になった。彼女にここにはない普通を教え、幸せな道へ向かうことを望んだ。平和な方法で人類を幸福にする理念を掲げた彼女は、対立していた新世派によってアステリアに左遷させられてしまったが、その方法を諦めてはいなかった。いつの日か人類が永遠を実現して皆が苦しまない世界に変えよう、そしてアンリと一緒にまた食卓を囲もう。ドーレスがいつの日か渡した転輪血華の押し花を眺める――その矢先、変霊計画(プラン)が発動した。




 ドーレスが空に消えても、アンリはうずくまって泣いたままだった。その様子を後ろから眺めるスミレはある種の緊張に襲われている。アンリの心残りであるドーレスは無事に成仏した。今この空間には私とアンリの二人しかいない。彼女との約束――この世界に生き永らえる霊媒師の皆殺し――そのまたとないチャンスがやってきた。


 スミレはスカートの中から巖咲でもらった巨大な火縄銃を取り出した。少し前に妖精を脅すために使ったが、その銃身はずいぶん古びているようだった。木製だからかあちらこちらに傷がついていて、あと何発打てるのか分からない。火薬はすでに込められていて、その匂いが鼻先をくすぐる。引き金に手をかける。およそ5メートル先、彼女は未だ泣いている。殺れる、今なら。


 ……本当に? 守られてばかりの私が、本当に彼女を殺せるの?


 不死の身体をもつ彼彼女は一撃で仕留めなければならない。何度か狙撃練習はしたが、生きている人間を狙うのは初めてだった。あるはずのない心臓がドクン、と脈打っているのが分かる。急に大筒が重たく感じる。持ち手が震え、照準が定まらない。そのとき、自分がまさに人を殺す、という覚悟が精神の奥底から煮え立ってきた。彼女はたやすくエタを刺していたのに、あんなに息巻いていた自分が覚悟をできていないというのは、なんともみっともない話である。呼吸が荒くなる。唇が乾く。頭が真っ黒になって、瞬く回数が多くなる。銃を支える手は震えが止まらない。気づかれる前に、早く。


「やめとけ」


 肩に手を置かれる。その拍子にトリガーを引きそうになるが、寸でのところで銃が持ち上がった。


「エ……タ……?」


「待たせちまったな、スミレ」


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