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第25話 ヘルプコール

 エタがアンリに斬られて14日、スミレは誘拐犯の言われるままに後ろをついて行った。道中は、この世界での自身のいきさつ、アンリが進んで話さない話題を喋り合った。アンリは彼女の歩行速度を気遣ってくれるように歩いてくれる。エタなら、無視して歩くか無理やり肩に乗せて進むかどっちかだろう。


 物憂げそうにしていたのを気にしたのか、アンリが振り返った。


「ごめんなさい、速かったかしら」


「いえ、大丈夫です。それよりお手伝いって何ですか」


「そうね、そろそろ話しましょうか――――――大丈夫、覚えている」


 アンリがボソッとつぶやいた内容がこの時のスミレにはわからなかった。


 周囲を見渡すと、廃墟の集まりになっている。支柱がむき出しになっている高層ビル、崩れた白い住居、植物が生い茂った噴水、ひび割れた舗装道路。多くの日和見霊もいる。何より、紅月(グレニモ)が頭上で照り輝いている。つまり、二人は新興魔術都市アステリアに戻ってきたのだ。


 アンリは瓦礫の上に腰かけた。


「これは嘘でも脅しでもないただのお願い――あなたの力でお姉ちゃんを解放して」


「……私の力?」


「あなたがただの幽霊じゃないってことはあの件で分かってんの。スミレ、あなたには幽霊を成仏させる力がある。その能力で私のお姉ちゃんをこの世界から成仏させてほしいの」


 スミレは秘めたるの神の力のことを言っているのではないと知り、内心安堵した。あの能力のことはエタにも秘密にしているし、なんとなくだがマズイ気がする。


「お姉さんがいるんですか」


「うん……出てきていいよ」


 彼女が鎖骨あたりを優しく撫でると、背後から一つの霊魂が恐る恐る姿を現した。限りなく薄いオーラに包まれて核は白い。日和見霊だと聞いた。


「大丈夫だよ。あいつは、お姉ちゃんを殺すような奴はいないから」


 アンリにお姉ちゃんと呼ばれる霊魂は言われるままにびくびくしながらスミレの前まで近づいた。


「こんにちは、私はスミレです」


『……こん、にちは、私は、ドーレス・ミラテッド、です』


 懸命に明るく努めたのがよかったのか、小声だが挨拶を返してくれた。霊魂の状態ではあるが、どんな人物だったのかは想像できる。


 しきりに周囲を見回し、手元を捩るような動作を繰り返している。常に人の顔色を下から伺い、大声や不遜な態度が苦手な、小心者の幽霊。だが、アンリのそばを離れず、気にかけているように見える面からは、妹が大好きで心配なお姉ちゃんだったのだろう。


「この世界のお姉ちゃんとはこの街で会ってさ、最初はそこら辺の霊かなって思ったんだけど、敵意が無いみたいだし、それに私もこの幽霊を攻撃しちゃうとなんだか取り返しがつかないような気がして。それで、思い出したんだ。私には姉がいたって、アステリアに引っ越していたお姉ちゃんがいたんだって」


 彼女から赤い息が漏れる。両の瞳からは涙が零れそうであった。


「両親が死んでからはお姉ちゃんが頼りだった。どんな時も一人にしなかったし、ENOで面倒も見てくれた。私に普通を守らせてくれた、大好きな人、のはず、なのに………………」


「どうして忘れてたんだろう……」


 ドーレスはアンリの頭の上まで登って、慰めるような仕草で体を揺すった。


 優しく慰める姉とそれに甘えるように泣きじゃくる妹。おそらくこの状態が彼女たち、ひいてはアンリの本当の姿なのだろう、とスミレは思案した。幽霊やエタの前で振る舞う挑発的で好戦的な態度は自分を強く見せるための虚勢で、本当はいつも誰かに甘えたかった。寂しい気持ちを、たとえ殺める対象である幽霊だったとしても、他の誰かに埋めてもらおうとするのはエタもアンリも大差ないものである。


 そしてアンリが言った「どうして忘れてたんだろう」という台詞は、自戒の意があふれ出してしまったゆえ滴った言の葉だったのだろう。忘れてしまった理由はこの世界の根源にある不死性、蘇生時に混濁する記憶の障害が残るからだ。彼女もこの世界で幾重にも果てては組成したはずだった。記憶が侵食されることに気づいたときには、すでに大好きな姉のことは忘却してしまったかもしれない。だからこそ、再び姉を失うことを恐れていたのだ。そして彼女自身がが死んだときにもう一度思い出せるか分からない恐怖心と戦ったうえで、私たちに接触を図ってきたのだろう。姉をこの世界から解放するために。


 ひとしきり泣き終えた後、身内以外に泣き咽ぶ姿を見られたのが恥ずかしかったのか、アンリは顔を手のひらで覆ったままお手伝いの続きを説明した。


「……えーと、それでスミレにはお姉ちゃんが成仏できるようにしてほしい。あの時みたいに。あなたは幽霊と会話ができるでしょう? こんな世界に幽霊になったお姉ちゃんを残して、普通に成仏できるわけがない。私じゃお姉ちゃんの言っていることが分からないから……お姉ちゃんが言うことを私に教えて。そしてお姉ちゃんをこの世界から解放させてあげて」


 あの時というのは勿論ジェシーとトレンスを成仏させたときだろう。幽霊を武力以外でこの世界から解放する手段は、彼らの望みを受け入れて未練をさっぱりなくすことが絶対条件である。彼らの願いがこの世界に縛り付ける鎖となる。エタが言うには鎖を引きちぎるか、錠を開けるかという違いだそうだ。


「分かりました。ドーレス、アンリにお願いされてあなたの願いを聞きに来ました。あなたの夢は何ですか?」


 アンリの要請がシンプルだった分、機械的に聞いてしまった。仕事引受人みたいだ。


『……私、夢も、願いも、ないです』


「ないそうです!」


「……ええぇ?」


 早速手詰まりになってしまった。






 返霊事変後の大多数の人間は、悪意も善意も何かをなさねばならないという強い意志もない霊魂として存在する。巖咲の捕食霊やジェシーらのような意志が強く未練を残している霊は、普通の幽霊では持ちえない性質や霊魂状態からの異様な変身をしたりする。エタは自らの言い回しでオーラが黒い霊魂を穢れているなどと呼んでいた。彼が集中的に狩っていたのは、そういう感情によって変化する()()()の幽霊である。それらと比較して呼んでいた、大多数の()()()の幽霊が日和見霊である。彼らはこの世界にただ漫然と存在する。この世界に数少ない生者に仇成すわけでも与するわけでもない、まるで漫画やアニメのモブの様に、彼らに意志や感情があるのか不明瞭であった。元は人間なのに話せば意味不明な言葉しか返さないから壊れた機械だと、男は形容していた。


 スミレが現在話しているドーレスもその類に含まれていた。


 数日間かけてドーレスに自身の夢や希望を根掘り葉掘り聞いたが、それに準じる言葉は得られなかった。同じように悩みや不安、少しでも気になった些事についても話してもらったが、妹の行く末が心配だという姉らしいお小言と、消えたいというただの言葉を何遍も聞くだけに終わった。


 しかし彼らには、少なくともドーレスには感情はあるとスミレは確信していた。それは、ドーレスの趣味の料理について話を広げている会話まで遡る。


『――それで、アンリが、明日は、カレーが、食べたい、って』


「アンリはカレーが好きだったんですか?」


『カレー、と、言うより、辛いもの。スパイスとか、誕生日は、それを、頼んでたから』


「へえ、じゃあアンリが以前食べてた木の実は」


「あれは普通のやつ! ちょっと、お姉ちゃん適当なこと言っていないよね?」


『あはは、は。言ってないよ』


「あっ、今笑いました!」


「本当!? お姉ちゃん今笑ったの?」


『うん? 私、笑ったのかな』


「やったー! ドーレスが笑いましたー!」


「スミレ、大げさよ」


『みんな、嬉しそうに――』


 この時のドーレスの笑顔は目にすることは叶わなかったが、安らかな声で笑ったのをスミレは確かに聞いた。日和見霊にも意志や感情がある。彼らの願いは表面化されていないだけで、奥底にはきっと成仏の手掛かりが眠っているに違いない。だから、彼女の願いは決して無いのではなく、分からないというニュアンスが正解だと考えた。




 そして、今スミレは久しぶりの食事を食べていた。アンリが作ってくれたフチダケとダイコンのスープ、デネジューブ焼きを堪能した。フチダケ、ダイコン、デネジューブはいずれも食用である。


「そういえば、返霊事変の時にドーレスはアステリア(この街)にいたんですよね」


『そう、だよ』


「何をしていたか思い出せますか?」


『なに、を……? ………………ごめんね、まだ、分からない』


「そうですよね。まだ会ったばかりですし、急がせるようなこと言ってごめんなさい」


「……ねえ、まだ終わらないの? このために貴女を呼んだのよ」


 現在が鬼ごっこの期間ではどれくらいか分からない。まだ1週間も経ってないような気がするし、すでにリミットが過ぎている気もする。けしかけたアンリはともかく、身動きが取れない状態で一方的に言われたエタは鬼ごっことか関係なくアンリとドーレスを殺すかもしれない。その焦りがアンリの言動を荒立たせた。


『怒っちゃ、だめ。アンリが、頼んだでしょ。スミレちゃんは、悪くない。悪いのは、私……』


 頭に乗ってドーレスに諫められたアンリは、言葉も分からないのにしおらしくなった。形が変わっていてもアンリとドーレスの間には、確かな絆で繋がっている。おそらく、彼女の心残りはそこにある。


「そうね……気分転換にここを離れましょう。別の景色を見れば思い出すかもしれない」


 ちょうど容器を空にしたことをとば口に、アンリは立ち上がった。それにつられて二人も腰を浮かす。


「どこへ行くんですか」


「そんなに遠くじゃない。私が好きな場所へ連れてってあげる」

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