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かくして夏真っ盛りの七月末日、俺たちは樹々の天蓋に覆われた山道を歩いていた。
初日にダチに会って昼飯を一緒にした後、市内を軽く見て回ってシティホテルに一泊した翌日のことだった。
山中にあるらしい古い史跡を目的地に据え、レンタカーを降りて山の奥へと続く遊歩道を歩き始めて二十分ほどが経過していた。
まだ午前中だというのに気温は高く、辺りは濃い緑の匂いと狂ったような蝉の声が充満していた。
道の中央で立ち止まり、額を滴り落ちてきた汗をタオルで拭う。道の右側は山肌が向き出しの土の壁で、左側は木が密集した低い崖になっている。崖の三メートルほど下は、葦の生い茂る草原がずっと向こうの山際まで続いていた。
「あそこに何かあるよ?」
後ろをついてきていた七奈がふと葦原の方を指差した。眩しさに目を細めながら見ると、枝葉の間に何か白っぽいものが見えた。
……社?
ここからの距離は百メートルくらいだろうか、腰の高さほどもある葦が鬱蒼と茂った窪地の終端に、古びた木で組まれた小さな社がちょこんと鎮座している。目指す史跡とは違うようだが、その佇まいに何か惹かれるものを感じた。
「七奈、ちょっとここで待ってろ。近くで写真を撮りたいから行ってくる」
「わたしも行く」
「おまえそこの藪に下りてく勇気あるのか? 虫とか蛇がいるかもしれないぞ?」
「う……。そ、そんなのおにいちゃんが追い払ってくれるもん!」
どうしてもついてくるつもりらしい。いつものちゃらちゃらしたミニスカートとかだったら余裕で置いていくところだが、今日に限ってちゃっかりとジーパン長袖を着こんでいるし、その周到さに免じて連れて行くことにした。
崖が一段と低くなっている辺りで俺は先に斜面を下り始めた。太い木の幹に巻き付いた天然の蔓草をロープ代わりにして、難なく下に降りることに成功。七奈もわーとかきゃーとか楽しそうに叫びながら後に続いた。
葦のよく茂る場所は雨水が溜まりやすい窪地だが、ここ数日の晴れ続きで土はだいぶ乾いていた。大きいもので胸の辺りまで生い茂った葦を拾った太い木の枝でかき分けて、葉で肌を切らないように茎から踏み潰して道を確保しつつ進む。悪戦苦闘しながら目的の社の前に辿り着いた時には体中が汗だくになっていた。
近くで見た社は、地面から伸びた一メートルくらいの四本の柱の上に犬小屋くらいの木の箱を乗っけたような外観をしていた。そうでなければ草に覆われて見えなかっただろう。社自体は相当に古びており、三角屋根の端々が腐り落ちてちょっと力を加えただけで簡単に倒壊してしまいそうだった。
「なんかしょぼいね。これって神様を祀ってあるの?」
「んー……もしかしたら神籬の一種かもな」
「ヒモロギってなに?」
俺はデジカメで撮影しつつ先生の授業で聞いた受け売りの説明をする。
「簡単に言うと、原始の神社だな。昔はお祭りの時なんかに神籬を用意して神様を一時的に近くに招いていたらしい。全国に神社ができてからは神籬はほとんど使われなくなったけど、もともと神様ってのは基本的にどこにでもいてどこにもいない存在なわけだから、正しくは神籬を使って臨時に招くやり方が合ってるって俺のボスは言ってた」
「へえ。でもなんでこれはずっと残ってるの?」
「それを調べるためにわざわざ近くに見に来たんだよ」
とは言っても、手がかりとなりそうなものは何も残っていなかった。社はただ木を組んだだけで、中に何かがあるわけでもなければ字が書いてあるわけでもない。経年劣化によって文字が摩滅してしまっている可能性もあるが、これではレポートの書きようがない。
まあ写真は色や形や場所などを示す手がかりになる。文献資料を漁る時に役に立つこともあるので、ここまで来たことはけして無駄足ではない……と思う。
「さ、戻るか。何もなくてつまらなかったろ。だけどフィールドワークなんてこんなことの繰り返しだからな」
「ちょっと待って。おにいちゃん、あれって石段だよね?」
七奈が社の後ろに広がる山の斜面の方を指さした。
「……ほんとだ。よく気づいたな」
言われなければとても気づかなかっただろう、それほどにひどく古びた石段だった。
その山だけ植生が違うのか、不気味な原生林がまばらに生えた黒い山肌に沿って、ところどころ苔や土に覆われた横長の石が等間隔に上へ上へと続いている。坂の勾配がきつく曲がりくねっているのもあって、先がどうなっているのかはわからない。
「目はいいからね。どう? わたし連れてきてよかったでしょ」
「生意気言うな。ま、ここまで来たついでだし行ってみるか。無理はすんなよ、飴くっとけ」
バックパックのミニポケットから苺キャンディを取り出して渡すと、七奈は嬉しそうに包み紙をといて口に放りこんだ。
そして俺たちはその山に足を踏み入れて――しまったわけだ。
後から思えば、気づく要素はあった。
いくら俺が不真面目な学生だったとしても、白鷺先生の下で少しでも学んだ者であれば、あの社のもつ本当の意味を類推することはできたはずだ。無警戒に御山に踏みこんだのは、俺の招いた人災に他ならない。
だが……勝手に危険な目に遭って、勝手に野垂れ死のうが俺一人の問題なら諦めもつく。
俺が、妹を巻きこんだ。
あいつがついて来たのはあいつの勝手だが、あいつを守ることができなかったのは俺の罪であり――――
罰は、今現在も続いている。




