5-1
枝打ちされた植林の並ぶハイキングコースとは違い、自然そのままの山の斜面にかろうじてそれとわかる石段が続く道。まばらに原生林の生えた山肌は不気味な黒い土に覆われていた。
あれほど五月蝿かった蝉の鳴き声も聞こえない。たまにどこかで鳥の鳴き声がしても響き渡ることなくすぐに消えた。
まるで森が音を吸いこんでいるようだった。辺りは不穏なほどの静寂に包まれ、すべてが死に絶えたような無音の山中に、甘い腐臭だけが満ちていた。
「変な匂いがする……なんかおかしくない?」
「原生林だからな。人の手が入ってない分、自然の匂いも強いんだと思う」
そんなことを話しながら、斜面を滑り落ちないように気をつけながら五分は歩いただろうか、急に斜面が途切れて視界が開けた。
そこは緑に囲まれたドーム状の空間だった。天蓋を覆う緑までゆうに十メートル以上ある。
人為的に作られたとは思えない神秘の空間の奥に、奇妙な石積みがあった。苔むして緑に包まれたその石積みが俺たちの辿ってきた石段の終着点のようだった。
そして、異常の起点もまたここに違いなかった。
「ひッ……!?」
七奈が小さな悲鳴を上げた。俺もまた言葉をなくして呆然とその光景を見つめていた。
楕円形をした広場のそこかしこに黒っぽいものが散乱していた。
蛇の死骸――に見えた。
千切れ、引き裂かれた黒く長細い死骸と、飛び散った赤黒い血のような液体。
それらが無数に、何十、何百と散らばっていた。
「お、おにいちゃん……帰ろう? なんかおかしいって、絶対に変だよ」
「ああ……どう見てもおかしいし、変だ。写真撮ってすぐに帰ろう」
「写真なんていいから早く帰ろうよ!」
「こんなもの見つけたからには、証拠を持ち帰らないと先生にどやされるんだよ」
うぅぅ、と心底嫌そうにしている七奈は放っておいて俺はドームの最奥に目を向ける。
「あの奥の石積みは、祭壇か……?」
「あ、あそこまで行くの!? むりむり! 危ないからダメッ、絶対!」
「俺だけで行く。おまえはここから動くなよ」
ドームの入り口から奥の石段まで五〇メートルほどか。大した距離ではないにしてもその間には無数の蛇の死骸が散らばっていて、それらを踏み越えて行くのはたしかにゾッとしない。しかしこんな光景をカメラに納めずに逃げ帰る方が恐怖ではあった。主に卒業のために。
不安そうにしている七奈をその場に残して、俺は一歩を踏み出した。
冷静に状況を分析する余裕なんてなかった。ただ目の前のものを写真に収めて帰るという使命感に似たきもちがあるだけだった。
なるべく下は見ないように歩を進めていると、靴の下にぐにゃっという嫌な感触を感じた。ああ、俺今踏んじゃってるよ……蛇の死骸を思いっきり踏みしだいてるよ……。なるべくどころか、もう絶対に下を見ないと決めて歩くスピードを速めた。
だから俺は気づかなかった。足下に転がっている無数の死骸が本当に蛇のものなのかどうか――一見それっぽく見えるだけで、じつは違うかもしれないなんて考える頭はなかった。そもそもこんな影のように真っ黒な蛇が存在するのかどうかすら怪しいくせに、俺はそこでも思考放棄して阿呆のようにただ前を目指して進んだ。
ようやく目的の石積みの前について、苔と落ち葉とどす黒い返り血に覆われた祭壇らしきものにデジカメを向けて無心にシャッターを切った。プレビューを確認する暇もなく五回、六回とシャッターを押した――その時、
背後でけたたましい悲鳴が上がった。
「七奈っ!?」
慌てて振り返り、俺は愕然として立ち竦んだ。
硬直した手の中で指がデジカメのシャッターを無意識に押していた。デジタル音で再現されたシャッターの音が響き渡り、液晶にプレビューが表示される。だがそこには何も写ってはいない。
いや――影が。
夜よりもなお暗く昏い、漆黒の闇そのもののような影が、画面一杯に写し出されていた。
「ははっ……なんだよ、これ……?」
まるで黒い小山だった。巨大な影の塊とでも表現するべきものが、俺と七奈を隔てる壁のようにドームの中央に出現していた。
「おに、おにぃちゃ、おにいちゃん……!!」
影によって遮られた向こう側から冷静を欠いた七奈の声が届いた。俺はそれで我を取り戻して大声で叫び返した。
「七奈! 逃げろっ! 走って来た道戻れっ!!」
巨大な影は天井の高さの半分に届くほどで、横幅も三メートルはくだらない。広い空間の三分の一を占めるほどの大きさだ。
いったいこれは何なのか、どこから現れたのか、なぜここにいるのか……何もわからなかった。
が、ただ一つだけ――これの近くにいてはいけないと本能が告げていた。
それは七奈も同じに違いないはずだが、相手はあまりに異質過ぎた。
「早く行けっ! 行ったか!?」
視界を完全に覆うほどの大きさの影に遮られ、俺の位置からは妹の姿が見えない。ただ断続的に聞こえてくるしゃくり上げるようなか細い悲鳴で、七奈が元の場所からまだ動いてないことがわかった。
舌打ち。あいつは恐怖に呑まれて俺の声が聞こえていない。
うぞっと影が動いた。
それは巨体が身じろぎしたというよりも、それを形作っていたものたちが分離する、といった方が正しい。俺はそれに気づいた時、金縛りに遭ったように動けなくなった。
それは大蛇だった。しかも一匹じゃない、何匹いるのかもわからない巨大な黒い蛇の群れが、お互いの長い体を複雑に絡め合って一つの巨大な影に見えていたのだ。
「いやぁァあああッッッ――――!?」
七奈が絶叫した。甲高い悲鳴に反応して、幾つもの大蛇の頭が一斉に鎌首をもたげた。




