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3-2

 客室はわりと一般的な造りで、洗面所やクローゼットの他ちょっとしたミニキッチンなどの一通りの設備が揃っていた。正面奥の大きな窓の向こうには高層階から望む夜景が広がっている。広さはそこそこだが、調度品や壁紙にいちいち高級感が漂っておりそれだけで庶民の俺は物怖じしてしまう。普通に泊まったとしたらいくら請求されるかわかったもんじゃない。

 部屋の中央にはダブルベッドがでんと置いてあった。ある程度予想はしていたが……今日のセッティングをすべて仕組んでくれたらしい妹の親友、恐るべし。てゆーかその気まんまんじゃねえか!

「あぅ、あぅう……」

 七奈はべったりと俺に寄り添う感じで自分の足で立ってるとは言い難いような状況だったが、部屋についてベッドを見た途端、ふらふらと歩きだしてマットの上にダイブした。

「うぷ……きもちわるいよお」

 どうやら演技ではなく、本当に酔って具合が悪かったらしい。

「しばらく休んでろ。そのまま寝ちまってもいいぞ」

 苦しむ妹と反比例するように俺は余裕を取り戻した。この様子ならもう変な企みを実行できまい。

 七奈はベッドに顔を押しつけながらギギギと呻いていた。……それは悔しいのか?

 俺は冷蔵庫から水のペットボトルを取り出して一口飲むと、残りを妹に差し出した。

「水のんどけよ。どうしても気持ち悪かったらトイレで吐けば少しは楽に――」

「か、間接キス!?」

 ガバッと上体を起こした七奈がペットボトルをひったくってごくりごくりと一気飲みした。……もうこいつはほっといて帰ろうかな。

「ふう。ごめんね、おにいちゃん」

「なにが?」

「せっかく弓子がセッティングしてくれたのに、なんかグダグダになっちゃったから」

「まあ料理はすげえうまかったし、楽しかったよ。弓子ちゃんにお礼いっといてくれ」

「うん。……おにいちゃんも座りなよ。ベッドふかふかできもちいーよ」

 少し躊躇したが、もう大丈夫だろうと思って隣に腰かけることにした。

「ねえ。おにいちゃんは女の人とデートしたことある?」

 唐突な質問を受けて言葉に詰まった。

 迷った末、俺は正直に答えることにした。

「あるよ。ファミレスで安い飯食って、カラオケ行ったり買い物したりそのへんぶらぶらするだけだったけどな。こんなところに来たのは初めてだったから、グダグダなのは俺も同じだ」

 今はもうそばにいない彼女のことを回想する。もう一年以上も前、彼女は俺の前から姿を消した。当時は大きなショックを受け、俺らしくもなく色々と取り乱したりしたが――それも過去の話だ。

「そっか。ふふ、なんだかおかしいね」

 七奈はわりと普通の反応だった。

 俺はふと気になってたことを聞いてみた。

「おまえ、デートがしてみたかったのか?」

「うん。学校で友達におにいちゃんとデートするんだって言ったら、セッティングなら任せといて! って弓子が言ってくれて」

「相手が兄貴だって知っててこれかよ……」

 最近の女子高生はハンパないな。

「そんなの関係ないよ。だってわたし、おにいちゃんのこと好きだもん。好きじゃないとデートなんてしたくないでしょ?」

「…………」

「あ、なにその困った顔。おにいちゃんは、相手がわたしじゃダメだった?」

「いや、その、な。俺もおまえのこと好きだぞ? でもやっぱり兄妹ってのはちょっとな……」

「嬉しい。やっと好きって言ってもらえた」

 七奈はそんなことが何よりも大切というふうに優しく微笑んだ。

「ありがとう。練習に付き合ってくれて」

「練習……?」

「そ。恥ずかしいけどわたし、男の人と付き合ったことなんてないし、ずっと憧れてたんだ。でも初めてって緊張して失敗しちゃうかもしれないから練習。やっぱり失敗しちゃったし、練習しといてよかった」

 なるほど、そういうことだったのか。ホッとしたものを感じつつも、ちょっとがっくりきた。いやべつに変な期待してたわけじゃなくてな。末原の言葉やさんざん思わせぶりな演出があった反動で、どっと疲れが出たのだ。

「まあ俺からのアドバイスとしては、こうゆう本格的なデートはもっと大人になってからの方がいいと思うぞ。最初はマックとか映画館くらいにしとけ」

 すると七奈は「もう子供じゃないんだからー」と可笑しそうに笑った。いや、ぜんぜん冗談のつもりじゃなかったんだけど……。

「さてと、そろそろおまえも平気そうだし、うちに帰ろうぜ」

「えー。泊まっていかないの?」

「着替えなんか持ってきてないし、泊まるのはやっぱりちょっとな。第一、寝るところがねえ」

「このベッド大きいし一緒に寝られるよ? それにさ――」

 七奈は四つん這いになって接近してくると、俺の顔を覗きこむようにじーっと見つめてきた。

「な、なんだよ?」

「えっとね……まだ他にも色々、練習してみたいことがあるんだけど……?」

「却下だ! 帰る!」

 有無を言わさずに立ち上がった。

 今のはやばかった……やっぱり距離は大切だ、うん。

「えー!! あ、待ってよ置いてかないで!」

 部屋を出てずんずんと廊下を進む。ちょうど止まっていたエレベータに乗りこむと七奈も遅れて駆けこんできた。横から文句を言いたげな目で睨んできたけど知らんぷりだ。

 一階のフロントに寄って部屋のカードキーを返しチェックアウトを済ませた。腕時計の針を確認したがまだ八時半にもなっていなかった。まあここに来たのが六時過ぎだったからな。

 ちょうど外に出たところでハイヤーが止まっていたので乗りこんだ。続けて乗ってきた七奈はハイヤーが走り始めると同時に口を開いた。

「もおっ! そんなに急いで帰らなくてもいいじゃない!」

「見たいテレビがあるんだよ」

「いじわる。けち。きらいになっちゃうぞ」

 七奈は不機嫌そうにずっとブツクサ言っていたが、この調子なら思い詰めて豆腐の角にヘッドバットすることもなさそうだし適当に流しておいた。

 と、俺はふと思い出して口を開いた。

「そういや、おまえ夏休み中の予定って何かあるか?」

「ううん、特にないけど?」

「何日か泊まりで茨城に行こうと思ってんだけど、一緒にくるか?」

 茨城の大学に進学したダチに会いに行くついでに、レポートの題材を探すのが目的だった。あの辺ならわりと近いしフィールドワークにうってつけだろうと思ったのだけど、考えてみたら七奈はその間うちに一人になってしまう。心配だし連れていった方がいいかと思ったわけだ。

「旅行!? いくいくっ」

 七奈は急に目をキラキラさせてぶんぶんと首肯した。

「旅行っつーか、フィールドワークな。神社とか史跡を歩き回る予定。遊びに行くわけじゃないからついてきても面白くないかもしれないけどな」

「それって大学の宿題みたいなもの?」

「そう。夏休み明けにレポート提出しないと留年なんだよ」

「じゃあわたしも手伝ってあげるね」

 さっきまでの不機嫌も吹っ飛んだのか、七奈は嬉しそうにはしゃいでいた。こうしている分には可愛い妹である。

 が、肌も露わなドレスの胸元から膨らみかけの胸の谷間が見えて、俺は慌てて視線を前に戻した。

 まったく、年月の流れは恐ろしいもんだ……。


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