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 とまあそんなわけで、ほとんど見知らぬ妹との再会やらいきなりの同居やらで相当にテンパっていた俺は、正直なところ実生活の方が(おろそ)かになり過ぎていた嫌いはあると思う。

 前述のように生活費の問題は由々しきものであり、バイトの数を増やして働きまくったせいで平時よりも忙しい春休みという矛盾を感じる余裕もなく三月が瞬く間に過ぎていった。

 四月になって七奈の高校の授業が始まると生活のリズムもできてきた。

 七奈は朝に学校へ行き夕方に帰ってくる。一方で俺は朝バイトに出て夕方か夜には帰ってくる。週五、六で働き尽くめだと家に帰っても飯食って寝るだけだったが、少なくとも朝と夜には妹と顔を合わせる機会があって、朝夕は一緒に食事を摂る生活が習慣になった。

 たぶん一般家庭じゃ当たり前のことだから不思議に思うかもしれないけど、俺にとってはそれがすごく新鮮だった。家族でおはようなんて朝の挨拶をするようになったのはいつぶりだろう。こんな朝らしい朝を過ごせるのは本当に何年ぶりだろうか。ひょっとしてこれって、何よりもかけがえのないものだったんじゃないだろうか――なんてちょっと感傷に浸りたくなるきもち、わかんないよなあ。

 七奈のやつは実際、心配するほど世間知らずでもなかったのか、すぐにこっちの生活に順応した。

 最初は洗濯機の使い方すらわからない様子だったのが、しばらく経つと完全にマスターしただけでなく、他にもちょっとした食事の用意や掃除などの家事をこなすようになった。おかげでずいぶんと助かったものだ。曰く「現代の知恵袋『ぐーぐる先生』という強い味方がついてるから楽勝!」とのことだった。

 お嬢様学校では中等部から生徒全員が各自一台のラップトップ型PCを所持して授業を受けるシステムを採用しているらしく、妹はうまいことマイPCを日々有効活用しているのだ。俺なんて大学入学したての頃にようやく自分でパソコン買ったのにな……。最近は世代間での差がものすごく開いてる気がする。

「こっちだとネットがフィルタリングされないから好きに使えちゃうのはいいんだけど、ちょっとアレなサイトっていっぱいあるんだね……びっくりしちゃった」

 詳しく話を聞いてみると、寮や学内でのインターネット使用にはかなりの制限が加えられており、有害サイトや閲覧が好ましくないと判断されたサイトなどは最初から接続できないようブロックされていたらしい。七奈はうちに来て初めて広いネットの世界を自由に泳ぎ回って――まあフィルタリングしないと当然アダルトサイトなんかがわんさかあるわけで、それに驚いたらしい。俺なんかはそんなもんとっくに慣れ親しんでいるが、女の子はキモいって思うのかもね、特にこの年頃だと。

 とまれ、俺があんまりかまってやれなくとも、妹はこっちでの暮らしを満喫しているようだった。お兄ちゃん一安心である。

 俺の方は本当にバイト三昧の日々で、これまで自分以外のために頑張ったことなんてなかったくせに、とにかくひたむきだった。

 大学は年度初めに行う授業登録だけはしたものの、まったく授業に出る暇がなかった。さぼりまくっていたら当然、単位的にまずいことになるのはわかっていたが、前期をすべて落としても後期で巻き返せば問題ないはずだとか思っていた。

 就活? なにそれおいしいの? いざとなればバイト先にそのまま就職してしまえばいいや、くらいの楽天的思考があったことは否めない。




 そんなこんなで同居生活も三ヶ月が過ぎ、ようやく梅雨も明けた六月下旬のとある朝のことだった。ちょっとした事件が起こった。

 俺は毎晩寝る前に次の日起きる時間を決めて目覚ましの針を調整し、朝は目覚まし時計の電子音で起きるのだが、その日はなぜかその前にふっと目が醒めた。何か異常を感じたというか、誰かがそばにいる気配をその時に限って敏感に感じ取ったらしい。

 ぼんやりと瞼を開けた俺の目に飛びこんできたのは、ドアップの七奈の顔だった。

 考えてもみてほしい。寝起きで目を開けると妹の顔がもうほんと目と鼻の先、数センチのところにあって、唖然とした驚愕の顔で俺を見つめているわけだ。びっくりしたのはこっちの方だっつーの。

 互いが沈黙したままの時間が一分近くも経過し、やがて七奈の顔色がみるみると蒼白に変わっていったかと思うと、混乱したように意味不明なことを口走り始めた。

「あぅ……あぅあう、あぅあぅぅっ……」

 なんとなく俺もそれをマネしてみた。

「あぅあぅあー?」

「あ、あぅ、あぅあああう、あぅあぅぅ……!!」

「あうあう? あぅあああぅあぅー、あぐべッ!?」

 ちょっと面白くなってきたところだったのに、不意打ちでビンタされた。ものすごい痛みで完全に意識が覚醒した。

 兄貴に理不尽な暴行をはたらいた妹は、さっと顔を離したかと思うと制服の裾を翻しながら部屋を飛び出していった。

 ……なんだったんだ、いったい?

 時計の針を確認すると午前八時。目覚ましが鳴る三十分も前に起きてしまったわけだ。ひょっとしてさっきのは夢じゃないかと思ったりもしたが、へばりついた頬の痛みは紛れもない現実だった。

 もう一眠りという気分にはなれなくて、もそもそと服を着て部屋を出た。ほとんど同時にバタンと玄関のドアが開く音がして、「い、いってきます……!!」という声を残して外へ駆け出ていく気配がした。逃げられた。

 居間のテーブルには七奈の用意してくれた食パンと目玉焼きとハムとレタスがのった皿が置いてあった。顔を洗ってから一人でそれを食べた。

 ちょうどその頃俺は、七奈とこのままうまく暮らしていけるんじゃないかなーなんて思っていた時期だったので、この朝の出来事はえらく印象に残った。

 その後うちに帰宅してきた七奈は普段通りで、不自然なくらいに普通に振る舞っていた。朝のことを問いかけようとすると急に焦りだして話を逸らしたり無言になったりすること以外は。

 そのことについては触れられたくないというのが丸わかりだったので、あまり追求していじめるのも可哀相だと思って今朝のことは忘れることにした。……のだが。

 それから数日後。夕方うちに帰った俺は、バイトで汗をかいたので部屋で着替える前にシャワーを浴びてしまおうと思って洗面所に直行した。つい一人で暮らして時のくせでノックせずに洗面所の扉を開けてしまい――まあつまり、お約束のアレをやらかしてしまったわけだ。

 洗面所には七奈がいた。ドアを開け放った姿勢のまま固まる俺。

 しかし妹はその時、着替えの途中だったり裸だったわけじゃない。がっかりしたか? 俺は愕然としたね。制服姿の七奈が洗濯機の前で、俺のトランクスを胸の前に広げたまま硬直していた。

「えっと……洗濯してくれてたのか? さ、さんきゅー」

 俺は冷静に、その場で考えつくもっとも無難であろう言葉を口にしたのだけれど、七奈はそれをうまくキャッチすることができないほどに周章狼狽しまくっていた。ハッとしたようにブツを胸の中にぎゅっと包み隠し、しどろもどろになって口を開く。

「ち、ちがうの。べつに、わたしは……ちょっと気になって……いつもこんなことしてるわけじゃなくって……は、初めてなの、今日が……!!」

 俺のパンツがちょっと気になっていつもこんなことしてるわけじゃなくって今日が初めてらしい。なんのこっちゃ!

「っ……!! で、出てってよ!」

 ついに逆ギレし始めた妹に追い出され俺は汗臭い体で自室へ引っこむことになった。なんという理不尽。仮にもしも立場が逆だったとしたら絶対に違う展開になってたと思う。いや俺は妹のパンツなんて興味ないけどさ。妹は兄のパンツに興味があるお年頃なのだろうか。

 そんなことまであったもんだから、俺の方は変に思いながらもそれほど気にしていたわけじゃないのに、七奈の方が妙に俺を意識するようになってギクシャクし始めた。

 具体的に言うと、普通に会話してる最中にふと目が合っただけで赤くなったり、洗い物を手伝おうと台所で隣に立つと途端に落ち着かなくなったりした。

 そして七月にさしかかったある日。夏休みを目前に控えた花の金曜日である。

 居間で二人向き合って朝食を摂っていた時に七奈がおもむろに話しかけてきた。

「おにいちゃん、今夜何が食べたい? 今日も遅くなるんならごはん用意して待ってるよ」

 すっかり食事当番になりつつある元お嬢様の言葉に、俺は少し考えこんだ。

「ん、今日は久々にバイト休みなんだ。夏休み前だしちょっと大学に行ってくる。夕方には終わると思うから、たまには外食しようぜ」

 七奈が食事の支度を頑張ってくれてるおかげで生活費は余るようになっていたし、たまの外食をする余裕は充分にあった。

「ほんと? 外で一緒に食事するなんて久しぶりだね」

「そういやそうだな。じゃあ今夜はおまえが食いたいもん食いに行こう。もうすぐ誕生日だろ? せっかくだからちょっとくらい豪勢なもの食わせてやるよ。いいレストランとかな」

 最近の妙な態度のこともあるし、いつも食事の用意など頑張ってくれてるお礼も兼ねて気晴らしも必要だろうと思って提案したわけだ。いいお兄ちゃんだろ俺って。

 ちなみに七奈は七月七日の七夕生まれ。俺は一一月一日生まれだ。安直な名前つけやがった親父のセンスが如実に表れていると思う。

「うん、嬉しい。でもそれってなんだか……」

 と口ごもって顔をうつむかせる七奈。どうしたのかと思っていると、急に真っ赤な顔になって小声でこんなことを言い出した。


「デートみたいだよね」


 ヒャドをかけられたかと思った。凍りついたまま妹をまじまじと見たが、七奈は胸の前で人差し指を合わせたりしつつもじもじしていた。どうやら冗談ではなかったらしい。

 七奈は急に思い立ったように席を立った。

「どうしよう、いい服あったかな……。おにいちゃん、わたし友達と買い物して帰るかもしれないから、遅くなりそうな時は連絡するね!」


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