第五十三話 獣の道よりはるかに険しい
クシャナとナタリーが村の人々の様子を知れたころには、剣聖はとうに村から去ってしまっていた。
魔獣を斃した。使命は果たしたとばかりに。
人々は村を救った剣聖の振る舞いに沸き立っていた。この世界はあの方々の力で守られている──
クシャナたちは村の興奮を複雑な気分で受け止めることしかできない。
あれは剣聖の仕業だったんだ、なんて。いわくつきの元・剣聖と無名の剣客が叫んだところで誰が聞くものか。
脅威が去ったとはいえ、村は魔獣が石垣を各地に投擲したことによる家屋や畑の破壊により騒然としていた。慌ただしい状況を広場で見受けながら、ナタリーはむっすりと難しい顔になる。
「いいもんね……べつに……」
あんまり良くはなさそうな目つきで。
「魔獣は斃せたし。村は守れたわけだし……っ」
「そうだね。じゃあ出発しようか」
宿を出て荷物を確認したクシャナが立ち上がる。あっさりした様子にナタリーが堪え切れないようにその場で地団駄を踏み始めた。
「ぬあーっ、師匠っ、やっぱりこれでいいのかあたしは疑問だよ。もやもやするっ!」
「なんだ、どうした?」
「だって! 魔獣を斃したのはあたしと師匠なんだよ⁉ なーんであの剣聖たちが斃したことになってんのさ⁉」
「そりゃあまあ、魔獣を斃せるのは剣聖だけだからね」
「普通はそうなんだけど! でも……っ、ぬあーっ! 大きい声で言いたいよーっ! 村の人たちにわからせたいっ!」
「これこれ。気持ちは解るが、大きい声で言ったらまずいのも解るでしょうに」
「……ぐぬーっ!」
ナタリーも理解はしているのだ。剣聖ではなく自分たちが魔獣を斃した、銀弾で──と事実を口にし、銀弾の威力を公に示すこともできる。
だが、現実にはできない。
銀弾の力を知ることは今や危険に至る。現に意図して銀弾を造り続けていた鋳物師のガルダンは命を狙われるほどだったのだから。
ちなみに、採掘工のステフを名乗っていた〈七聖〉の使いはガルダンの店からも、騒然とする村からも姿を消していた。おそらくもう村に現れることはないだろう。
〈七聖〉の関係者が村を監視するとしたら、別の人間がその役割を担うはず。
「ガルダンさんを狙ってたなんて……〈七聖〉のヤロウ、許されんよっ」
クシャナから暗殺未遂の一件を知ったナタリーは、あらためてやり場のない怒りにとらわれている。
じたばたする弟子の動きが激闘直後とは思えぬキレを取り戻しているので、クシャナは暢気にも感心してしまう。
「ナタリーの体力が戻ったようでなによりだ」
「もうっ、全然よくな──」
「ナタリー!」
声とともに飛び込んで来たのはテリーゼだった。
振り返ったナタリーの、山での激闘直後というただならぬぼろぼろぶりに息を呑む。
「ちょ……っ、えっ、大丈夫ナタリー⁉ まさかナタリーが魔獣と戦ってたの⁉ うそでしょっ、剣聖じゃないのにどうして──」
「ちょっ、テリーゼわぁあーっ⁉」
だしぬけに核心を突こうとするテリーゼの言葉を、ナタリーは大慌てで叫んで封じた。
ガルダンを暗殺しようとした〈七聖〉の使いが消えたとしても、危うい発言は命取りにもなりかねない。
「ななななんでもないのっ。これはその、よその討伐で山を転げちゃって──」
「? ……ナタリー、見学の後姿見ないと思ったら大変だったのね……あっ、怪我してるわ!」
話の全貌を知る由もないテリーゼの関心は、すぐさまナタリーの右手の怪我に移った。
「手当しなきゃ。お医者さまのところに──」
「あっ、大丈夫!」
ナタリーはさっと手を振って見せた。
「血はもう止まってるから。それよりあたし、もう師匠と出発しなきゃいけなくて──」
「そうなんだよ」
クシャナがすまなそうに話に割り込んできた。
「急いで村を出る用事が出来てね。ナタリーの怪我は近くの都市できちんと診てもらうから」
テリーゼは心配そうな表情で不承不承頷く。ナタリーの右手を取り、血塗れの布の上から自前のハンカチを丁寧に巻きながら、
「クシャナさんがそういう判断なら……でも、早く治療してくださいよっ。女の子の手に傷を残すなんて打ち首獄門の重罪ですよ!」
「死刑ってこと?」
──ナタリーの手は必ず医者に診せることを固く誓うと、テリーゼはようやく納得してくれた。
それから慌ただしくも、陽が暮れる前には村を出る手はずとなった。
魔獣によって村は周辺の山道も含めて被害は深刻だが、北部を避ければオドアセル山脈を抜けることも可能だった。
ヒューゴが魔獣騒動で混乱する寸前で準備はすでに整っていたので、ほどなく出発できた。
「ありがとね、テリーゼ! ガルダンさんにもよろしく!」
「ええ! お大事にねナタリー!」
村の出入口となる門から、テリーゼが見送りに手を振ってくれている。
荷台で元気よく手を振り返すナタリーとの挨拶が、台風一過したような青い空に響き渡った。
そこに御者台からヒューゴも肩越しに声を張った。
「またねー! テリーゼちゃーん!」
「さようなら。ちゃんと前見てください」
「へへっ。まかせろって!」
見ているだけでも塩辛いテリーゼの反応にも拘らず、ヒューゴは爽やか笑顔とサムズアップを見せている。
──たくましい青年だ。その調子で強く生きてくれ。
若者同士のやりとりを眺めていたクシャナもテリーゼに軽く手を振って挨拶しつつ、村の去り際には姿を見せなかったガルダンのことを思い出した。
おそらく彼は今後銀弾をはじめ銀の製造を控えることになる。
〈七聖〉に危険視され暗殺されかけたからだ。大事な娘を守るためにも、不審ととられる行動は徹底的に避けていくはず。別れ際クシャナたちに姿を見せなかったのも、その一環だろう。
それが最善だ。ガルダンは愛娘のテリーゼを守るためにも銀弾から離れるべきだし──
成すべきことは、クシャナが引き継いだ。
クシャナの手荷物にはあらたな重みが加わった。箱詰めの銀弾。鋳物師ガルダンが製造したばかりの弾丸は、ナタリーの銃剣が装填する丸形弾ではなく狙撃銃用の尖頭弾だ。
ガルダンは今日まで、この弾丸をある狙撃手に提供していた。
魔獣を斃し得る力を持つ武器と知った上で。
すなわちその狙撃手も、銀弾の力を知る者ということだ。
必ず会って、この弾丸を手渡さなければならない。
その人物は、果たしてどうやって魔獣を討伐するのか。そしていかにして〈七聖〉に知られずに戦ってきたのかを知るために。
進むべき道は、まだ先に伸びている。
だが道のりは獣道なんてものじゃない。どんな歩き方をしようとも烈しく険しい道だ。
それでも──行く。
「師匠、もしかしてそれ──銀弾?」
荷台で傍らに腰掛けていたナタリーがひょいと顔を覗かせた。
「そう。ガルダンさんから受け取ったんだ」
「……それが次の目的地に関係してるの?」
ナタリーは相変わらず話の呑み込みと察しがいい。クシャナは銀弾の箱を手荷物の袋にしまいつつ頷いた。
「そう。詳しい話の前に──まずはナタリーの手の怪我を治さないとね」
「うん、師匠ありがとう。あたしすぐ治すよっ。こう、治るイメージを身体に浸透させる感じでさっ」
頼もしい応答をくれる弟子に、クシャナは頬をゆるめた。
焦りは禁物だ。〈七聖〉の動きを考えれば急ぐべき状況でも、見失ってはいけないものがある。
その最たるものがナタリーの成長だ。
状況に急かされて剣術修行を疎かにすべきではない。ナタリーはもっと強くなっていくのだから。自分はその可能性に責任がある。師匠として。
弟子の成長がこの旅路を、世界を相手にする戦いを、希望に繋げている。
この道は悲壮で壮絶なだけではないと、クシャナに確信させてくれる。
それが道を進む原動力になっていた。
「──あのー、クシャナさーん」
揺れる馬車の御者台からヒューゴがふと訊ねてきた。
「これ、帰り道って大丈夫そうなんですかね? 魔獣が村に現れたばっかりですし、この辺も危険なんじゃ……」
「心配はないと思うよ。たぶんね」
「……たぶん?」
「御守があるからね。いつもより多めに」
「…………はぇい?」
意味が解らず眉間に皺を寄せるヒューゴ。
クシャナは構わず荷台でうーんと伸びをした。
「とにかく大丈夫だからさ。安全運転でたのむよ」
「はい……ええと……わかりましたー」
なんやかんやで頼りになるという判断をしてくれたのか、ヒューゴはそれ以上尋ねることなく馬車の運転に集中してくれた。
懐の銀弾が幼魔獣除けになる。山での心配はないだろう。
それに──
この山を抜けるまでの道のりは安全に、静かに過ぎてほしいものだ。
隣でナタリーが眠ってしまっている。
無言の時間ができた瞬間に、ナタリーは荷台でことんと眠りに落ちてしまっていた。
頬と口元がすっかり緩んで、顔つきがいつもと違ってみえてくるほどだった。無防備な姿にクシャナはどこかほっとしたものを覚えた。
──ここまで休まる時間がほとんどなかったからなあ……
村に向かうまで、村での攻防、魔獣討伐と、次から次に忙しなかった。体力的にも、精神的にもナタリーには過酷続きだったはずだ。
ナタリーがぐにゃりとクシャナになだれかかってきた。クシャナはそれを身体で受け止めて彼女が少しでも深い眠りに落ちつけるようにとその身を支えた。
今はまだ、休んでいてほしかった。
馬車は平穏な山道を抜けて、もうすぐ麓の都市に到着する。
その先には、次に進むべき道がある。
ありがとうございました!
ここまで第二章になります。




