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ココロ・ノート ~死にかけたら「心の音」が聴こえるようになったので、不器用な騎士たちと世界を調律して回ります!~  作者: 名雲
第3章 王都での日々

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第62話 収穫のプレリュード

 エリーは崖の縁に立ち、眼下に広がる戦場を見下ろしていた。


 切り立った崖の下では、土煙を巻き上げながら兵士たちがぶつかり合っている。

 怒号、悲鳴、金属が打ち鳴らされる甲高い音。

 命を削り合う戦場の音が、冷たい風に乗ってここまで届いていた。


 ”エリー……”


 彼女の背中を見つめて、胸の奥が重たく沈んだ。


 困っている人を助けるのが調律師の使命だと、あの傲慢な男性に立ち向かっていた。

 人を傷つけることを嫌がっていたはずの人。


 それなのに……


 眼下では、たくさんの命が失われている。

 怒号と悲鳴が響いて、血の匂いを纏った音がここまで届いてくる。


 耳を塞ぎたくなる凄惨な光景を前にしても、その横顔には何の感情も浮かんでいなかった。

 ただ静かに、色のない瞳で戦場を見つめている。

 まるで、それが当然であるかのように。


 “あなたに一体、何があったの……?”


 思わず唇を噛む。

 問いかけても、答えは返ってこない。

 ただ、冷たい風だけが頬を撫でていった。


 私が茫然とエリーを見ていると、彼女の側へと歩み寄る人影が視界を過ぎる。

 ハッとして視線を動かすと、五人の男女がエリーの左右へと控えるように並んだ。


 年齢も性別もバラバラの人達。

 全員が革の防具に身を包んでいて、手には――


 "楽器……"


 リュートにホルン、フルートとチェロ、そしてヴァイオリン。

 それぞれの楽器を手に、気負いのない顔で戦場を見下ろしている。


 この戦場には、あまりにも似つかわしくない姿。


 "何をするつもり……?"


 周りを見回すと、剣や弓を装備した兵士たちが、背後の森に向けて警戒している様子が見える。

 戦場の狂騒は崖下から聴こえてくるのに、ここは妙に静かだった。


 不気味な静寂の中、楽器を手にした男性の一人が、じっと眼下を見つめるエリーに向けて口を開いた。


 ((副長、曲目の指示をお願いします))


 落ち着いた声で、エリーの指示を仰いでいる。

 すると、その隣りの年若い女性が勢いよく手を挙げた。


 ((はいは〜い! この前の曲は《落日の鎮魂歌》だったから、今日はもっと明るい曲にしましょうよ! いいですよね、副長?))


 快活に笑いながら、エリーに話しかけている。

 対するエリーは足元へ視線を向けたままで、何の反応もない。


 少しの間が空いた後、おもむろに彼女の唇が動いた。


 ((――――《収穫祭》で))


 ((やった! さすが副長、わかってる〜♪))


 ぴょんぴょんと跳ねながら喜ぶ女性。

 隣りのホルンを持つ男性が、嗜めるようにため息を吐いた。


 ((全く……これは歴とした任務なんだ。遊びじゃないんだぞ。ヤナ、もっと真剣にやれ))


 ((は〜い。ザリスは真面目だねぇ……そんなんで疲れない?))


 ((余計なお世話だ。任務を真面目にこなすのは当たり前だろう))


 2人の男女が、和気藹々と言葉を交わしている。

 眼下で起こっている凄惨な光景との違いに、理解が追いつかない。


 "これって……まるで、これから演奏会でも始めるみたいな……"


 戦場のすぐ上だというのに、妙に気楽な様子で楽器を構える隊員たち。


 ((栄えある響撃部隊の隊員として、もっと自覚を持て))


 ((も〜、ほんとザリスはうるさい! わかってるよ、ちゃんと自覚してます〜!))


 ヤナと呼ばれた女性が、べ〜っと舌を出して威嚇している。

 賑やかになったこの場所で、エリーは身動き一つせずに戦場を見下ろすばかり。


 残りの3人は、エリーと肩を並べて静かに戦場を注視している。

 そのまましばらくすると、崖下から甲高いラッパの音と、地面を震わすような太鼓の音が鳴り響いた。

 チラッと目線を下ろすと、ぶつかり合っていた兵士たちがそれぞれ後退していく。


 ”なんだろう、これで戦いは終わったのかな……?”


 これ以上の被害が出ないことにホッと息を吐こうとした。

 その時――


 戦場を見下ろしていたエリーが、スッと視線を上げた。

 相変わらず無表情のまま、おもむろにハープを胸元に引き寄せる。


 しなやかな指が弦に触れて――


 ((ピィン))


 美しく澄んだ音色が一つ、空気を揺らした。


 

 ――――その瞬間、空気が凍った。



 木々が騒めきだして、まるで怯えるように枝葉が激しく揺れる。

 枝に止まっていた鳥たちが、次々に地面に落ちてきた。


 ”えっ――何?”


 背後で警戒していた兵士たちの一部が、苦しそうに膝をついている。

 顔を歪めて、額に手を当てて――


 ”何!? 何が起こったの――”


 苦しむ兵士の方へ駆け寄ろうとした、その時。


 ”――!? くっ……うぅ!”


 私の身体が、凍り付いたように動かなくなった。


 ”う、動け……ない……”


 心臓を、見えない手で鷲掴みにされたような圧迫感。 

 額から滝のように汗が噴き出してくる。


 ――うまく息が吸えない……!


 震える手でズキズキと痛む心臓を押さえながら、必死に空気を吸い込む。


 エリーのハープから放たれた、たったひとつの音。

 その一音が、圧倒的な圧力を持って、私の心を恐怖で縛りつけていた。


 リュートを構えた男性が、感心するように軽く口笛を鳴らして、エリーに声を掛けている。


 ((さすが副長。軽く音を出しただけでこの圧力とは、痺れるねぇ))


 軽い口調で、まるで世間話をしているように。


 ((さて、俺らもそろそろやりますか))


 向けられた賞賛にも、ちらりと一瞥するだけで無反応のエリー。

 それにも構わず、リュートを構える男性は機嫌良さげにしている。


 その様子を横目で見ていた男性が、フルートを玩びながら応えた。


 ((《収穫祭》なら、第1音はヴァイオリンだな。ヤナ、準備はいいか?))


 ヤナと呼ばれた女性が、ウインクしながら快活に笑った。


 ((もちろん! みんな、ちゃんとついて来てよね!))


 まるで、楽しい演奏会でも始めるかのような軽い雰囲気。

 でも、ここは戦場で――


 目の前のエリー達が恐ろしかった。

 カタカタと震える体を抱きしめながら、一歩後ずさろうとした時。


 エリーが静かに口を開いた。


 ((……では、始めましょう。敵軍に、収穫の歓びを教えてあげるために))


 その声音には、何一つ感情が感じられなかった。


 ”収穫の……歓び?”


 背筋がぞわりと粟立つ。

 何か良くないことが起ころうとしている、そんな予感がした。


 ((ふふふ♪ みんな準備はいいね? それじゃあ、いくよっ!))


 ヤナと呼ばれた女性が、ヴァイオリンの弓をくるりと回した後に、深く息を吸い込んだ。

 さっきまでの快活な表情が消えて、一瞬で真剣な表情に変わる。


 そして、優雅な動作でヴァイオリンの弓を構えると、静かに音を奏でだした。


 ”――――あ”


 思わず、息を呑んだ。

 それは、とても美しい音色だった。


 澄み切ったその音色は、大空へと羽ばたいていく鳥たちのよう。

 どこまでも高く、どこまでも遠く。

 まるで、やわらかな陽射しに包まれるような音色。


 心がふわりと軽くなって、思わず踊り出したくなる――そんな《歓びの音》。


 ”…………”


 言葉が出なかった。

 澄んだ青空を背景にヴァイオリンを奏でる姿は、ただただ美しい。


 彼女のヴァイオリンが、戦場の上で優雅に響いている。

 まるで、この場所が戦場だということを忘れさせるような――


 やがて、ヴァイオリンの調べに、リュートの音色が重なった。

 フルートの軽やかな音色とホルンの深く沈むような音。

 そして、チェロの重厚な響きが重なっていく。


 美しいアンサンブルに、心が揺さぶられるようだった。


 ”こんな……こんな美しい音楽が……”


 5つの楽器が見事に調和して、輝くような協和音を織りなしている。


 息をするのも忘れて聴き入ってしまう。

 さっきまで感じていた恐怖を忘れてしまいそうなくらいに――


 収穫を祝い、人々が笑い合って歌い、踊る。

 豊かな実りを感謝する、そんな幸福な音が響きわたる。


 けれど、その音の中心で、エリーだけは目を閉じたまま動かない。

 吹き付ける風が、彼女のマントを揺らす。


 演奏が佳境に入り、クライマックスへと向かっていく。

 すると、盛り上がりに合わせるように、エリーの目が静かに開かれた。


 ”エリー……”


 こんなにも美しい音の中でも、彼女の瞳には何の感情も宿していなかった。


 ”あなたの心は……感情は、どこに行ってしまったの……?”


 心を失くしたような彼女の姿を見ていられなかった。

 唇を噛みしめて、目を逸らそうとした。


 その視界の端で、エリーが動いたのが見えた。


 ゆっくりと、優雅な仕草でハープを構えるエリー。

 白くしなやかな指が弦に添えられる。


 そして、演奏がうねりを上げてクライマックスへと向かう。その時――




 ピ――ィィン




 この世のものとは思えない、美しい音が聴こえた。


















 でも――








 ((やめろやめろやめろ……! 頭の中に入って――!!))

 ((いやだ、いやだ! 母さん、母さん!!))

 ((違う、違う!やめろ、俺はまだ生きて……!))


 崖の下から聴こえてくる悲鳴。


 それは、これから起こる惨劇――

 その開幕を告げる音色だった。

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