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34:完璧な淑女のふしだらな契約


 シュトラール学院の校庭の片隅に、人目のつかない場所がある。

 森のように木々が所狭しと植えられ、空を覆い尽くすように枝が広がっていた。


 茂みをかき分けて行くと、目的の場所に辿り着く。

 フリーダはこぼれる笑みを堪えきれずに、ふふふと笑った。


「どうした」

「いえ、今思えば、あなた木の上なんかで何をしていたのかしらって」


 隙間無く寄り添った恋人の腕に、フリーダが甘えたように抱きつく。

 表面的には何も変わっていない、生徒達の憧れの的のアイゼンとフリーダ。

 彼女らの関係が仮初めから真実へと変化したことを知る者は、当事者である二人だけだ。


 名実ともに恋人となったアイゼンとフリーダは、一本の木の前で立ち止まっていた。校庭の隅に聳える、名も知らぬ木だ。


「昼寝してたんだよ。遅くまでヨシュカ達とポーカーしてたからな」

「まあ」

「二限目は出るつもりだったんだが、酒が思ったより残ってて」

「まあ、まあ」

 フリーダは大きな目を更に見開いて驚いて見せた。先日フリーダと約束した「なんでも叶えてやる」を実現しているアイゼンが、ばつが悪そうに頭をかく。


「こういう話は、聞きたかないだろ?」

「あなたのことでなければね」

 さらりと言ったフリーダに、一度瞬きをしたアイゼンが笑う。


「あんたは随分男のたらし込み方が上手くなったな」

「言葉には気をつけてちょうだい」

「俺のたらし込み方が、上手くなったな」

 抱き寄せたフリーダのつむじに唇を寄せるアイゼンに、フリーダが頷く。


「あの時はさすがに驚いた。目の下で白百合の君がしゃがみ込むんだからな。あんたさえ許せば、おぶって医務室に連れてくつもりでいた」

「あら、親切なのね」

「恩を売るには最高のシチュエーションだろ?」

 フリーダはくすくすと笑った。アイゼンの皮肉に隠れた優しさを、彼女はもう知っているからだ。


「ねえ、私も登ってみたいわ」

「そりゃまた……」

 木を指さしながら強請るフリーダに、アイゼンは呆れ顔だ。

「どうやって登るって?」

「持ち上げてくれないの?」

「恋人を、小間使いと勘違いしてなきゃいいけど」

 恋人の我が儘に肩を竦ませると、アイゼンは地面に片膝をついた。自身の太ももを踏み台代わりにさせるためだ。

 フリーダはぽいぽいと靴を脱いで、アイゼンの太ももに足をかける。


「あなたが小間使いなら、私は足を触らせたりしないわ」


 靴下の生地は薄い。その触れ合いは、恋人同士としても過度なものを連想させる。

 太ももに片足をかけ、もう片足をアイゼンの両手で押し上げてもらいながら、フリーダは枝を両手で掴んだ。

 なんとかぶら下がると、アイゼンが背中を使ってフリーダを押し上げる。どうにかこうにか枝の上にフリーダが登り終えると、アイゼンも続くために枝を掴んだ。


「アイゼン」

「なんだ」


 木に上ろうと、勢いをつけて体をしならせていたアイゼンを、枝の上に座ったフリーダが見下ろす。


「アイゼン、私……男の人に触らなくても、よくなったの」


 一足飛びで枝まで辿り着きそうだったアイゼンが、木から滑りこけて地面に滑り落ちた。

 木の上でフリーダが仰天する。


「アイゼン!?」

「動くな! 掴まってろ!」

 打ち付けた顔を押さえながらも、恋人を一番に気遣う男に、フリーダは眉を八の字にした。


「ごめんなさい……顔を見ながらだと、言える気がしなくて」

「かまわねえよ……いつからだ?」

 今度こそ枝の上に登ってきたアイゼンが、フリーダの横に座る。


「兄の婚約披露会が終わって……家を出るときには、もう」

「そんなに前か」

「……気付かれているのかと思っていたわ」

 思案顔で呟いたアイゼンに心の内を暴露すれば、不思議そうな顔をして見つめ返された。


「だって、触られたときに何か違ったかって……シオン様のことを持ち出したじゃない」

「……あー……あれは……」


 あの時は今にも心が壊れそうなほどに苦しかった。

 当時を思い出して表情を沈ませるフリーダに、アイゼンは前髪を掻き上げた。


「……できれば忘れてくれ……早合点して苛立って、だいぶ情けない姿を見せた」

「情けないって?」

 フリーダが枝から落ちないよう抱き寄せてくれているアイゼンの腕を取って、見上げる。

 夏の森の色をしたフリーダの瞳から、アイゼンが視線を逸らす。


「……だから」

「だから?」

「……治ってよかったな。癖」


 いつもの五百億倍ヘタクソな、話題の変え方だった。


 けれどその姿が、自分にだけ特別に見せてくれている姿ならば、フリーダの胸は躍る。


「ありがとう」

 心からの笑みを向ければ、アイゼンも少し気を持ち直したのか、にやりと口の端を持ち上げた。


「可愛かったけどな。ちょっと触るだけでひゃんひゃん鳴いて」

「またそんな風に言って……」

「あれは男の夢が詰まってた」

「はいはい」

 あしらいつつも、悪い気にならない。あれほど厭っていた悪癖も、アイゼンに「可愛い」と言われただけで、ほんの少し許してもいいのではないかと思えるほどだった。


「じゃあもう触っても、どうもないのか?」


 腰を抱いている腕はそのままに、アイゼンはそっと身を寄せると、反対の手でフリーダの頬を撫でた。焼く前のパンのように柔らかくしっとりとしたフリーダの頬が、アイゼンの指によってふにふにと形を変える。


「……」

「ん?」


 ほんのりと頬を染めて俯いたフリーダの頤を掴んだアイゼンが、強制的に顔を上げさせる。

 フリーダは視線をさまよわせながら、瑞々しい唇を小さく開く。


「……どうも、ないわ」

「へえ」


「……あなた以外は……」


 言ったそばから、熱が頬に集まっていく。


「け、けど、前のように酷く酔いそうなほどの快感じゃなくて、なんて言うのかしら、その……肌から喜びを滲ませてるような……じんわりとしてて、心が落ち着かなくて、そわそわとしちゃうのに、とても心地がよくて……だから、ええっと……」

 何を言っているのかもわからなくなって、フリーダは口を閉ざした。これ以上はいたたまれない。


 恥ずかしくて溜まらずに、ぎゅっと目をつむったフリーダの頤から、アイゼンの指が外れる。

 どうしたのだろうとそろりと目を開けたフリーダは、隣に座っている男を見て呆気にとられた。何故かアイゼンは、大量の苦虫を口に詰め込まれたような、微妙な顔をしているのをしているのだから。


「――アイゼン?」

「……これは全部計算か?」

「計算?」

「はいはい、“白百合の君”はいはい」

 またそれなの? と顔をしかめるフリーダをアイゼンが見つめた。


「地面に降りたら覚えてろ。腰が立たなくなるまで、思い知らせてやる」


 思いのほか鋭い視線に射貫かれて、フリーダの背筋にぞわりと何かが走った。まるで見えないアイゼンの手で、撫でられたようだった。

 見つめられるだけで胸が高鳴るほど情熱が迸った瞳から、目をそらす。


「そ、そうだわ……」

 視線を外した罪悪感から、場を繋ごうとしたフリーダがスカートのポケットに手を入れた。そして、取り出した一枚の紙を差し出す。


「こちらの都合で心苦しいのだけれど……契約しなおして欲しくて」

「“ 悪魔の商人”にサインを強請るのかよ。見せてみろ」


 心底楽しそうな顔をして笑ったアイゼンは、紙を手にした。


「契約書――前回の契約を見直し、両者の間で新たに以下の通り契約を終結する」


 渡した紙は、契約書だった。以前アイゼンが渡してきた契約書を見つつ、弁護士の娘のナタリエにさり気なく聞き出した情報から、なんとか形にしたものだ。


「――双方は互いを尊重し」


 淡々と、声に出して契約書を読み上げていくアイゼンの隣で、フリーダは気恥ずかしげに座っている。散々彼の体を触っておいて今更かもしれないが、自分からこんなものを差し出すなんて淑女として褒められる行為ではない。ふしだらである。


「問題が生じた場合は誠意を持って解決……もしくは解除することができる」


 少し低くなった声は、しかし次の文章を読んだあと、吐息だけの笑みとなる。


「ただし――」


 最後の一文を、アイゼンは何度も目で追って読み返しているようだった。何も話さなくなったアイゼンに心細さを感じて、フリーダは隣の男を覗き込んだ。


「……駄目かしら」


「ペンは?」


 契約書から目も離さずに手の平を差し出したアイゼンに、フリーダは目元を和らげた。

 真昼の日向のような、あたたかな笑みだった。







《 契約書 》


 前回の契約を見直し、両者の間で新たに以下の通り契約を締結する。


 双方は互いを尊重し、問題が生じた場合は誠意を持って解決、もしくは解除することができる。


 ただし、本契約の有効期間は、終了する旨の通告が無い場合、卒業後も自動的に更新されるものとする。


 ――アイゼン・バーレ

 ――フリーダ・クレヴィング



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