第四十七章
第四十七章
父親としては当然の困惑であった。
原因不明のまま死にかかった一人娘が昏睡状態から目覚め、同時に失語症からも回復したと喜んだのもつかの間、相対した彼女は何処か薄ら寒い目をして自分を睨みつける、彼の知らない別人のような存在になってしまっていた。
それでも暫くの間はよかった。
違和感を残しながらも、少なくとも外見上は従順な反応しかみせなかったから。
そのうちに…始まった。
何の予兆もなく、見境いも無く、誰かれ構わず暴力を振るうようになったのだ。それも尋常な暴れ方ではない。
殴る叩く、それだけでは済まない。
手近な物はすべて凶器に変わり、止めようと近づく者には頭突きに掻きむしり、あげく噛みついた。
恒彦の両手にも、既に幾つもの噛み跡が深々と刻まれていた。
左の頬には爪で抉られた三条の筋がピンク色の傷跡として残っている。身を反らすのがあと少し遅ければ、左目をやられていただろう。
それでも週に三回は見舞いを欠かさなかった。
こんな状態だからこそ、他の者に娘を任せ切る事は彼には出来なかったのだ。
「今日は良い知らせがありますよ、清水さん」
院長室のソファーに座った恒彦に、ピシリと糊の利いた白衣を纏った病院長が葉巻を勧めた。
「イヤ、私はけっこう。それよりも良い知らせとは何でしょう。『今日は機嫌もよく一度も暴れませんでした』などという話はいい加減聞き飽きましたぞ」
「いやいや、これは手厳しいですな」
悪びれた様子もなく、彼の向かいに腰を降ろした病院長はカッターで吸い口を挟みながら言った。
「笑いましたよ、お嬢さんが」
「わらった…加夏子が…それは本当か?」
「はい。そのように報告を受けております。お嬢さんの状態は当院の治療チームの尽力により着実に改善へと向かっておりますよ、御喜び下さい」
病院長が人を呼び、清水氏を病室までご案内なさいといいつける。
院長室を後にしながら、恒彦は走りだしてしまいそうな自分を抑えるのに必死だった。
加夏子
カナコ
やっとだ
これで紗季子も呼べる…
「…清水さん、お話があります…」
先に立って歩いていた男が振り返り、恒彦の顔をじっと覗き込んだ。
銀さんだった。
(続く)