第三十章
第三十章
ひとしきり強く吹いた冷たい風が、まだ幾らかは残っていた木々の葉を散らす。
斜めに降りしきる赤茶色の落葉が、車椅子の少女を覆い包んでいた。
薄い毛布のかかった膝には詩集が一冊。
ページは閉じられたままだ。
彼女の目もまた開く気配は無かった。
舞い散る落葉以外、静止した世界に足を踏み入れてくる者がいた。
「ヤァ」
穏やかな声に、微かな緊張が隠れている。
「なんだか、ひさしぶりに会ったみたいだな。おかしいよね、ずっとおなじ病院に居るのにさ」
劇場の幕があくように、少女の瞳がゆっくりと開いた。
詩集の上に重ねられていた両の手がスゥーと車椅子のホイールにかかると、落葉を踏む音も立てぬかのように、ゆるりと彼のほうへ向きを変えた。
「…ひさしぶりよ、殉君。ここであなたと会うのは」
少女… 清水加夏子が低く答える。
「………」
言葉は、そこで途切れてしまう。
向かい合ったまま、気まずさとも緊張ともつかぬ時間が流れていった。
風がまたひとつ、二人の間を抜けてゆく。
「ワタシ知ってる。あの夜、あなたがワタシを助けてくれたこと。良くは覚えていないけど、たぶんワタシ死んでた、あなたが来なかったら。感謝してる」
淡々と、事実だけを読みあげるように加夏子が言った。
「感謝だなんて」
殉は何と言っていいか判らなかった。
加夏子は変わってしまった。
それは判っていた事だったが、改めて触れる現実は止めどない脱力感を殉にもたらした。
「ステキな声だ。初めて聞いたよ、カナちゃんの声。やっぱり耳で聴く声はいいな、ボクは…」
「信じられない、あなたが」
会話を繋ごうとする殉の言葉を、加夏子は断固とした口調で遮った。
「あなたは隠している。多分、ワタシをこんな目に合わせたあの男と、あなたは関係がある。それだけはハッキリ判る、覚えていなくても判る」
「カナちゃん」
「お願い、もう気安く呼ばないで。私も辛い、でも… でも… 駄目なの! 私の中の何かがあなたを拒むの! 近寄るなって叫ぶのよ! だから来ないでっ!!」
「カナちゃん!!」
殉は思わず加夏子の肩を掴んだ。
その時…
「…ッルセェ、殺すぞこの糞ガキぃ〜!」
変貌は一瞬だった。
(続く)