第十九章
第十九章
「僕が余計な事を言わなければ、彼女は…」
「いい、済んだ事だ。君は知らなかったんだからな」
「しかし…」
「遅かれ早かれ、カナは思い出さねばならなかったんだ。いつまでも偽りの平穏の中で暮らすのはカナ自身の為にならない、それは判っていた事なんだ」
沈みきった顔で傍らに立つ憲一を振り返ることもせず、恒彦はICUに横たわる娘の姿を凝視していた。
固く握られた拳がミシミシと音を立てる。
「私は… このままでもいいんじゃないかと何度も思ったよ。加夏子があの事件を忘れているなら、不自由な躯のままでも、私や紗季子が一生、あの子の支えになってやればそれでいいと… だがな、ひとひとり生きてゆかねばならないんだ。あの子の一生が終るその日まで、私達が付き添っていてやる訳にはいかないんだよ。いつかは先に逝かねばならないんだ」
ゴンッ!
右の拳がICUのぶ厚いガラスを叩いた。
「それでも、これ程の結果を招くとは… 。君の帰国は速水君から聞いて知っていた。止めるべきだった。甘かった…」
後悔と懺悔の入り混じった、血を吐くようなひと言だった。
暫くして医師が一人、ICUから出てきてマスクを外した。
「先生、娘は…」
感情を押し殺した声で、恒彦は医師に尋ねた。
「既に三回、蘇生処置を施しています。残念ですが、この様なケースは現代医学では対処し切れません。最悪の事態も覚悟しておいて下さい」
沈痛そうな顔に、お手上げの四文字を張り付けた医師が告げる。
「オマエ! それが医者の言うセリフかぁ! 何とかせんか、娘を助けろ! 助けるんだぁ!!」
抑えていた感情が一気に爆発した。
絞め殺さんばかりの勢いで恒彦が白衣の襟を絞め上げる。
止めに入った憲一を跳ね飛ばした彼はまさに鬼の形相であった。
ヤメテッ!
うつ向き、待ち合いのソファに座ったままだった紗季子が叫んだ。
「止めてください、アナタ…」
幽鬼のような顔のまま、ジッと恒彦の顔を見る。
彼の動きが止まった。
その時、恒彦の背後から銀さんに支えられた殉が現れた。
「僕に… ボクにやらせて下さい」
全員が殉を見た。
そうではなかった。
紗季子の虚ろな目が大きく見開かれた。
殉の隣りで、銀さんもまた凍りついたように立ちすくんでいた。
(続く)