食について
部活終わり、二人はマックに来た。
他にも一人、後輩がいた。
「これ美味あ!!」
「お前、飯いらないんじゃなかったっけ?」
「いらないとは言ってない。なんでなのかな?っていう疑問だよー。ただの好奇心!
いやー、飯って必要だわ。うめえもん」
「先輩。なんの話ですか?」
「いや、こいつが昼休みに、急に、なんで人って飯食うんだろう?とか言い出したんだよ」
「スピってるんすか?」
「スピってねえよ」
「まあでも、マックの前には無力だったな。呆気ない」
「いやー。美味い。部活終わりってのがいいよね」
「はい。心、癒えたね。つまり、満たされたわけだ」
「はい。幸せです。幸せなので、もう一個買ってきまーす」
「騒がしいやつだな」
「うーん」
「どうした?将吾」
「いやー先輩。先輩は、なんて言ったんです?その…飯食うんだろう?になんて答えたのかなぁって」
「うーん。食ってのは、非効率を楽しんで心を癒す芸術だ。だから大事。みたいなことを言った」
「なるほど。言い得て妙っすね。うーん。マックを芸術で例えるなら、ラッセンかな?」
ポテトをつまみながら言った。
「ジャンクフードが芸術って、なんかおもろいな」
「なんか今、ネットでパパッと調べたんすけど、ソクラテスがこんなこと言ってますよ。
Thou shouldst eat to live; not live to eat.
生きるために食べよ。食べるために生きるな。ですって。これって人間の本質は食じゃないってことなんじゃないっすかね?
あと、思い出したんすけど、七つの大罪ってあるじゃないっすか。それに暴食ってありまして。The Sow of Gluttony、暴食の雌豚。また、蝿の王、糞の王。これらの名は意地汚く飯を貪る姿から付けられたらしいっす。(ネットをざっと見た感じ)ただ、俺が思うに、暴食が罪に問われたのって自律を越えてしまったからだと思うんです。そうじゃなきゃおかしい。別に周りで人が捨てられた物を貪ってても、ホンモノ扱いして冷笑して、ネットに上がって終わりっすもん。ただ、周りに構わず、食べることだけにフォーカスを当てるのが良くない。それがいきすぎたら大罪になるのも頷ける。食=芸術だとして、食=心の癒しだとして、食=人との繋がりだとして、それを得るために自分、いや、社会のルールから外れてしまってはいけないと思うんです。自律し、自立した者のみが恣にできるのが食。他律の人間、もしくは自律がぶっ壊れてる人間が飯を食らっても、それは単なる摂取だ。食を分からずに食べている。そんなの、虚しいだけだ。食ってのは本当に芸術ですか?俺は、食=一番身近な自分という存在の確立方法だと思います」
「じゃあ飯を食うと、俺は俺であることが分かるってこと?」
「そうです。分からなくなったらそれは他律、もしくは自律できていないということです」
「でも、本当にそうか?飯食ったら自分の存在わかるとか言われても、俺は俺だ。生まれてこの方、ずっと俺は俺で、俺という存在は自律してる。それにお前の理論で行くと、飯食ったら逆に萎えるかもよ」
「?」
「例えば、運動終わり、ジャンクフードを食べに来たとする。勿論、お腹はペコペコ。そいつはハンバーガーにがっつき、コーラをすごい勢いで飲む。ポテトも片手で鷲掴み食べる。そいつはさ、自律できてないのかな?」
「できてないっすね。ポテト鷲掴みとか、汚いっす」
「負けた」
「ただいまー」
ハンバーガーのセットを抱えて和田が戻ってきた。
「何してんの?」
「別になにも」




