食について
「人ってなんでご飯を食べると思う?」
「どうした?急に」
「…いやぁ。俺って好き嫌い多いじゃん」
「そうなん」
「そうなんだけど。今日さ、弁当に嫌いな食べ物入ってたんだよ」
「それで?」
「なんか、食べなくてよくね?って。
好きな物もさ、結局はその味か食感が欲しいわけで、別に食べなくてよくね?って思ったんだよね。どう思う?」
「いやぁ。まぁ。ねぇ。うーん。じゃあ、何でその、味だとか食感を得るの?」
「味はなんとでもなるでしょ。消しゴムで匂いを表現できるくらいだからね。食感も大豆を肉に似せれるくらいだから何かしら方法はあるんじゃないか?」
「つまり、それらがあれば、他の栄養素は点滴でいいってこと?」
「まぁ、そうなるね。…点滴のメリットは、単純に隙間時間が増える。それに、好き嫌いがあってもバランス良く栄養素を取れる。しかも吸収率100%で即効性がある。な?別に何かを特定して食べなきゃいけないことにはならなくない?」
「うーん。じゃあつまり、食ってのは味や食感を楽しむことでも、栄養を摂るためでも、身体を作るためでもないってことか」
「そういうこと」
「でもさ、普通に考えて、点滴と料理だったらさ、料理の方が欲しくならない?なんか言い方がいずいけど。まぁつまり、料理の方がそそられる。だって、なんか点滴ってさ、病院のイメージ強くない?」
「じゃあ、食のそそられるとかって感情はイメージってこと?…なら、もしかしたら食ってのは物を食べるんじゃなく、自分で作り上げたイメージを確かめるってことなんじゃないか?知らんけど」
「あー。なるほど。てことは、料理人の気持ちを受け取るってことでもあるんじゃないかな。
だって、自分が作り上げたイメージって言わば期待でしょ?その期待を超えるも、裏切るも、作り手次第。
それは良くも悪くも料理人の今までの経験とか、思いとか、そういう概念的なものを受け取るってことなんじゃないか?」
「いや、そんなこと考えないわ。正直なところ、テレビとかで出てるとか、そういう人じゃない限り、この人が作った!すげえ!ありがたくいただこう!ってなんなくない?特に何も思わず、出されたものを食べて終わりになると思う」
「いや、それは気づいてないだけだよ。ずっと触れてはいるんだ。気付けないのは、料理が出てくることを当たり前だと勝手に認識しているだけ」
「じゃあ、尚更、気持ちを食べてるとはいえない。いや、食べてたとしても気づいてないのならないのと一緒だ。点滴と変わらん」
「酷いこと言うなあ。料理人の気持ち、考えたことないのかよ」
「TPO」
「だる。逃げやん。いや、気持ち汲めよ。こんなやつ、点滴でいいだろ。まぁ、まだ対抗するけど。
気持ちってさ、色々あると思うんだよ。憎いとか、頑張れとか諸々。それを簡単に表せるのはさ、色だと思うんだよね。馬鹿でもわかるじゃん。
だから、人は色を取り入れるために、飯を食う」
「どういうこと?」
「色には、気持ちが出る。緑だと、ヘルシーだとかフレッシュだとか、健康なイメージが出る。黄色だと酸っぱいとか?その色の使い方ってのもまた、料理人の腕。もうお分かりか。やはり、料理は料理人の心を食うんだ」
「点滴に色素突っ込めばいい」
「うざ」
「ほら、飯を食う必要なんてない。
逆に今度はこっちからいかせてもらうぜ。結局、飯ってさぁ、命奪ってるし、環境破壊してるよね。その割にバズだの好き嫌いだのなんだのって残してるよね。でも点滴はそれがない」
「…確かに。残してる。食べ物を、命を無駄にしてる。…ただ、そいつらは馬鹿だ。(特別な事情がない限り)
…俺の預かり知るところじゃない。自己管理ができないやつをわざわざ誰かが管理するのは理に適ってない。だから、残すやつはイレギュラー。さらに言うと、多分、そういう奴らって、点滴は摂らないぞ。痩せたいときとかは摂るだろうけど。なぜかって、そういう奴ってのは結局のとこ、傲慢なんだよ。美味しいものは食べたいんだ。まぁ、それで言えば、好き嫌いどうこうのやつは消しゴム食っときゃなんとかならかもしんないけど。
でも、バズは飯じゃないとだめだね。ああいうのは見た目が100%の選択材料。な?分かるだろ」
「じゃあ結局、なんで人はご飯を食べるの?」
「今、思いついたんだけど、ご飯って手軽な芸術なんじゃないか?さっきの見た目から連想したんだけどさ。例えば…ステーキ!あれってめちゃくちゃ美味そうに見えない?本能がそうしてるっていうか。そういう作用を持った芸術ってことなんじゃ?
あとは、カプレーゼとかピザってすごいカラフルだし、均整が整ってて美しい。他の料理も全部だ。全部、芸術。食べれる芸術が料理。だから人は飯を食う。芸術は心を満たす。つまり、飯を食うって行為は腹だけじゃなくて、心を満たすってことなんじゃないか」
「おお。なんかそれっぽい。でもさ、もし何か、したいこととか用事、しなきゃいけないことがあったとして、悠長にその芸術とやらを食べてる暇なんてないんじゃないか?みんなゼリーとかだろ。もっと効率化するなら、やっぱ点滴になる。それに、忙しかったり、したいことを阻害されるなら、心は欠けてく。これに通じて、食事を効率化すれば仕事が早く終わる。つまり、自由時間が増える。その自由時間でYouTube見たり、ゲームしたりする方が心は満ちると思うけどね」
「随分と限定的だが。まぁつまり、食事を効率化した方が人生が豊かになるって言いたいんだな。それ故、おおよその人が思う食事はいらないと」
「そう!」
「まず、芸術に効率って野暮だと思うんだけど…」
「置いといて!」
「じゃあ、俺は日本史が大得意だから過去から食について学んでみよう。まず、旧石器時代では、大型動物を狩ってた。狩るために槍とかで攻撃してたわけだ。縄文時代になると、あったかくなってきたから中小動物が増えた。だから弓矢が出てきた。弥生時代になると水稲耕作が渡来した。最初、稲を作るために湿田を使った。が、失敗した。そこで乾田に移動した。ちょっと飛ばして江戸時代。ここでは様々な工夫を凝らして今もなお愛される食を作り出した。分かるか?過去を覗くと、昔の人は食の為に工夫を凝らして、いわゆる効率化をしてきた。それなのに、江戸時代では、食べ物に対し効率化なんてせず、凝りに凝った。おそらく、昔でも食べ物を効率化しようと思えば出来たんだ。けど、効率化したのはソースの過程だった。それは今も変わらない。そりゃ多少は文明の機器とかで時短するとかはあるよ。でも、食べるという本質において、効率化はしていない。それだけ、食ってのは人を支えるような、なくてはならないようなものなんだと思う。人に食は必要だよ。食とは、今を生きる者のみが味わえる芸術だ。芸術ってのは非効率の象徴だろ?ゆっくり味合わなきゃ損だ」
「結局、芸術かよ」




