139.アド・ルーメンの光と影
アド・ルーメンの集会です。
アド・ルーメンは信者数2.5億人を擁する宗教である。
「22世紀の冷戦」と「第四次世界大戦」の混乱のただなかで、爆発的に信者数を伸ばした。
統合戦線の国内では、およそ3人に1人がアド・ルーメンを信じている。
その主な教義は、次のようなものだ。
光は時の矢よりも前にあった。
星々とその子らは時の息吹に従い、
人々はその影をかたどり、
父なる神はその時その上の座にいました。
模造はその鏡にすぎぬ。
されど鏡に映る光もまた光である。
アド・ルーメンにとって、光とは形態ではない。現象である。
アド・ルーメンの教義は、キリスト教、イスラム教、そしてアフリカの土着の地母神的な信仰を混ぜ合わせたものだと言えた。
そのトップには、三賢人と呼ばれる次の面々が在している。
アルハジ・ムタリブ。
最高賢者であり、かつては数学者として教壇に立っていたが、41歳のときに神の啓示をうけたとして出家した。「神の光は人類とAIとネオスすべてに等しく届く」と説き、アド・ルーメンのなかでは最左派である。
彼は、アド・ルーメンの実質的な創始者とも言え、近代的な宗教のなんたるかを分かっていた。
すなわち、信仰を強制しない。しかし、恩恵は与える、という態度である。
アド・ルーメンは、彼の温和な姿勢によって成り立っていると言っても良かった。
そして、ミリアム・エスカローナ。
彼女もまた、アド・ルーメンの三賢者のうちの1人だ。
64歳であり、プロテスタントの出身だが、「神の愛=光」をより広い枠で伝えるために背信的にこの宗教に参加した。
反AI、親ネオスである。それによって、アド・ルーメンのなかではタカ派の急先鋒でもある。
次期の最高賢者は彼女だと目されていたが、アルハジ・ムタリブには頭が上がらないという現状も抱えている。
最後に、テンベ・ンジョロ。
アフリカのモザンビーク出身で、65歳。
父親がモザンビーク内戦を経験していたため、強い反戦思想を持っている。
親AI、親ネオス主義者。
比較的、アルハジ・ムタリブの思想と近い考えを持っている。
統合戦線の対ジェマナイ戦争すら快く思っておらず、たびたび戦争終結を訴える。
このように、三賢人は三者三様のやり方で協会を運営しているのだった。
統合戦線という国にとって、アド・ルーメンはほとんど国教と言っても良い宗教である。
ために、三賢人は政治家たちとのつながりも深い。
とくにアルハジ・ムタリブは、統合軍長官のアマドゥ・カセムや、大統領のメイサ・ヤハンとも親しく接している。
カドリール・ヴァレンタインが彼を狙う理由も、これでいくらかわかるだろう……
その日の集会で最初に登壇したのは、ミリアム・エスカローナだった。
アルハジ・ムタリブより、14歳も年下である。しかし、舌鋒は鋭い。
「皆さんもご存じの通り、統合戦線は苦しい戦いを強いられています。衛星国であるイラクは、ジェマナイの爆撃を受け、今もビッグマンの脅威にさらされています。いつ、粒子気化爆弾が使用されるかもわかりません。われわれの戦力のなかで、唯一ビッグマンを……いや、ロボですね。ロボを操縦しているのは、ミューナイトというネオスの少女です。まだ、15歳にすぎません。ネオスとは言え、このような女性が戦場において、しかも前線において、主力として活動しなくてはいけないという現状は、とても苦々しいものです。ですが、ここには1つの罠があるのです。ネオスが前線で主力を占めるという事態そのものが、まず第一に変えなくてはいけないものなのではないかと……」
ミリアムの言葉は、だいたいそんなものである。
それに対して、檀上左手の椅子に座っていたテンベ・ンジョロが反対の声を上げる。
「あなたはそういうが……それは、あなたが反ネオス主義者だからでは? 我々統合戦線という国は、人間とネオス、そしてAIとがともに等しく手を取り合うことによって成り立ってきた。この国の13年の歴史をごらんなさい? そこには、深刻な人間とネオスの対立がありましたか? ありません。あなたはどうも、まっさきにネオスをこの国から排したいというお考えのようだ。それでは、最高賢者であるアルハジ・ムタリブ氏も、決してあなたの意見に同意はしますまい」
そして着席する。
集会堂のあちこちから、声高な意見が漏れた。
アド・ルーメンの信者の8割ほどは、親ネオス主義者であり、AIにも寛容な信仰をもっている。
しかし、残りの2割はミリアムと同じく過激な反ネオス思想を持っていた。
その不満が、このとき一斉に会場から上がったのだった。
アルハジ・ムタリブは、手を挙げて集会堂にいる信者たちを制した。
彼自身は、先ほども述べたようにアド・ルーメンのなかでの最左派である。
その言葉が、聴衆から注目された。
ゆっくりと祭壇に近づいていく。
その衣が、さらさらと絹ずれの音を立てた。
そして、手にもっている儀式用の杖を、おごそかに教壇の上においた。
その様子は、78歳となってまだ矍鑠である彼の体力を思わせた。
こうしたところ、アド・ルーメンはこれまでの既存の宗教、偉大な宗教にとてもよく似ている。
信者たちは、反対意見もあるとは言え、最高賢者の言葉をじっと待っているのだ。
アルハジ・ムタリブは、さらにゆっくりと口を開く。
「皆さんもご存じの通り。今、バグダッドではまさに戦争が行われております。先日は、アルスレーテへの空爆もありました。その際、我々アド・ルーメンはジェマナイに対して抗議の意思を示しましたが、ジェマナイから返ってきた答えはありませんでした。わたしは、これをとても悲しいことだと考えています。皆さんもよくお考えになってください。家のなかで、夫婦が争いごとを起こし、一方が一方にその考えを具体的に示すことを求めたとする。夫婦として、至極適切な行為です。しかし、他方からは一切の答えが返ってこない。今の我々とジェマナイとの関係が、これと似たようなものなのです。世界における国家や宗教というものも、家庭とまた似たものでしょう……」
聴衆はほうっと息をついた。
家庭内の事情、夫婦生活といった比喩で語られたことで、今の統合戦線とジェマナイとの状況が、よりはっきりと飲み込めたのだ。
そうしたところは、アルハジ・ムタリブの優れた指導力だと言えた。
ミリアム・エスカローナに賛意を示していた、アド・ルーメンのなかのタカ派の信者たちも、すっかり息をひそめている。
もちろんだ。彼らにも、理性的な話を理性的に聞くという精神性は備わっているのだ。
そんな彼らに対して、アルハジ・ムタリブは話を続けていく……
実は、アルハジ・ムタリブは親ネオス・親AI主義者だとは言っても、ジェマナイに対してはかなり強い違和感を持っている。
かつて存在した、マザー・セントラルのような温和な統合意識体とは、ジェマナイはどこかが違っている。いや、違ってしまった。というのが、アルハジ・ムタリブの考えである。
だから、この日の集会でも人々のネオスやAIに対する敵愾心はなだめつつ、ジェマナイにたいしては強い口調の比喩で語っていった。
それだからだ、アド・ルーメンの右派の信者たちの心もなごんだのは。
彼らは、アルハジ・ムタリブという指導者を完全に信用している、信頼している、と言って良かった。
彼の、最高賢者としての地位は盤石だったのである。そのころまでは……。
──
アルハジ・ムタリブはただ理性的に、真に理性的に人々の心を導こうとしていた。
その日の集会の最後、ミリアム・エスカローナはムタリブに1つの質問をした。
それは、このようなものだ。
「アルハジ・ムタリブ最高賢者。あなたの温和な思想はここにいる人々すべての胸に伝わったと思う。しかし、この戦争の現状について、わたしたちは再度ジェマナイに通告あるいは質問をしなくてはいけないのではないか?」
ムタリブは沈黙した。
そして、しばらく黙っていた後、こう言った。
「それは、メイサ・ヤハン女史に任せましょう。わたしたちは、今は再び心の平安を取り戻すときです」
全員闇キャラぽいですね。^^




