第二十二話 恋は盲目
全く何だ。
フェリの思考は今それに尽きていた。
昨日の夜からヴァイゼ様の様子が可笑しい。人前ではこちらを見るが2人ときはこちらを見ようとしない。いつもはこっちが嫌がろう何だろうが構ってくる癖に。
…そういうゲームなのか。見られないようにするとかの…という思考が駆け巡り、我に還る。ヴァイゼは確かに変わった男ではあるが、頓珍漢な男ではない。
では、何故と目の前で必死に自分の視線を合わせないようにしている主を見つめた。
「ヴァイゼ様、失礼しますね。」
「へ?」
「やっぱり」
いつもより紅く上気した頬。いつもならこれでもかというぐらいに構うのに素っ気ない態度。合わない視線。これらから導きられる答えはただ一つ。
「風邪ですね。はぁ、言ってください。」
全くもう…とフェリは軽くため息を吐いた。ヴァイゼは一瞬何を言われたのか分からなかった。ヴァイゼが混乱していく中でフェリは成る程と頷いた。ヴァイゼ様は変に我慢する所がある。そして、今回は風邪を引いたのを私にバレたくなくて視線をずらしていたのだろう。…全く。次の停留場所まであとどの位だろう。次の馬車に医者のバーラがいたから、そのときに体調を見て貰って…馬車のスケジュールずらした方がいいか。頭の中で高速で今回のスケジュールを変更していく。
「意地張っても、意味がないのに」
「え?」
「とぼける振りですか?…バーラ先生に声を掛けますね。ヴァイゼ様が体調崩すなんて珍しい。」
何かありましたか?と首を傾げるフェリとヴァイゼの目が合う。ヴァイゼは心中で言えないと呟く。何故だかフェリの昨夜の笑顔が新聞記事のように何回もそこだけリピートされて眠れなかった。…それで風邪引くとか。やることが何処ぞの青二才じゃないか。
「何でもない。」
「何でもないっていう顔じゃありませんけど…何か大きな問題になる前に言って下さいよ。」
ヴァイゼの様子が気になりながらも、一旦フェリは見守ることにした。こういうときに、しつこく聞いても言ってくれないし、変に頑固意地になって益々何も聞かなくなってしまうということは長い付き合いの中でわかっているからだ。…それしても、何だろうか。
心当たりはなくはないが、女性問題か。
ヴァイゼ様って遊び慣れているから余り腐れ縁みたいな関係はない筈だけど。偶に、相手側が本気になってややこしいことになることもあるけどね。フェリはふと数年前の大事件に思い出した。あれは本当に大変だった。
数年前。
まだフェリが学生だった頃である。
常時は学校に通いながら、休日は第二王子殿下付き秘書官見習いとして、忙しい日々を送っていた。第二王子付きと言っても、ヴァイゼ殿下に直接会うことははかった。あくまでも、フェリは補佐だったので秘書官達が行う業務の資料作りや環境作りなどの雑務を行っていた。その頃から、彼の脱走話は良く聞いた。いつも誰かが彼を探していた。当時は城で大体会う人皆が開口1番が「ヴァイゼ殿下を見掛けませんでしたか?」だった。秘書官が代わり過ぎるとそれはそれで第二王子としての面子や王族としての権威にも支障が出ると判断した陛下は私がヴァイゼ様付き秘書官になるまでは、交代制でヴァイゼ様に秘書官を付けてやり過ごしていた。見習いではあったが、そういう特殊な状況も相まって、私はヴァイゼ様の交代秘書官の補佐に正式に繰り上げという形になった。実質2人体制にしたのだ。
私は勿論嬉しかった。嬉しかったけど同時に。
―新人かつ見習いの私に白羽の矢が立った感じ?
と、不安を覚えた。ヴァイゼ様の脱走話と女に節操無い話は見習いになってからよく聞きていたし、実際にその片鱗…問題児の片鱗はここ来てから幾度となく見て来た。覚悟はしていたが、結局私の嫌な予感は的中した。
「ムスケルイディオ譲っ!ヴァイゼ殿下が見たか?」
「い、いえ」
「そうか…まったく…悪いが探してくれるか?」
「勿論です。」
そうして探し回って、1日が終了した。…そして、2日目も。段々腹が立って来ていることが自分で分かってきていた。私が嫌いとする言葉、「非効率」「給料泥棒」が頭によぎった時には私は自室の机に向かっていた。そして、びっしりと文字が羅列したノートが広がっていた。全648通り。あの問題児が起こしそうなパターンを全て考えその対策を練った。そして、陛下の許可、当時の相手秘書官に確認や許可など四方八方に書き上げた書類を見せるのと頭を下げることを繰り返して許可をもぎ取った。それが確か、5日目のことだった。
うん、あの時の私は冷静じゃなかった。
「何で、離せっ!」
「申し訳ありません!でも、離しません!これでいいですか、ムスケルイディオ譲っ!」
許可を貰った翌日。早速実行に移し、成功を収めた。
「大丈夫です。ありがとうございます。えーと、まず初めまして。フェリシテ・ムスケルイディオです。よろしくお願いします。ヴァイゼ殿下…そして、これ今日中にやりたい仕事や書類類です。」
ヴァイゼ殿下は「もう逃げる気ないから離してくれないか」と言うので、押さえていた騎士達に合図して拘束を解いて貰った。これで第一段階はクリアだ。
「…別にいいけど、挨拶を簡略し過ぎてないか?」
「これ以上は時間を無駄にしたくないので。」
「…それって嫌味?」
「そこまで頭がお花畑じゃなくて良かったです。」
そう言うと、彼は少し目を丸くして「ははは」と凄く大爆笑して目尻に浮かんでいた涙を軽く拭き取っていた。
「俺を捕まえたのって君?」
「作戦を立てたことを言うなら、私です。」
「へぇ…何でこんなこと?」
「給料泥棒になりたくなかったので。」
「…給料泥棒?」
「はい。殿下の仕事をサポートするのが秘書官の仕事です。そして、私はその秘書官の補佐です。なのに、この数日、私は貴方様を探すことでほぼ1日が終わってます。事務処理はほぼせずに、殿下探しです。これを給料泥棒と言わずして何と言いますか。」
一瞬、ポカンとした顔をしたヴァイゼ殿下はまたすぐにケラケラと笑い出した。
「給料泥棒ね。はは、まだ笑える。お腹痛い。」
「笑ってていいですが、仕事お願いします。」
「こんな麗しな子に言われちゃ、やらないとな。」
その時の私の顔を面白いことになっていたようだ。殿下曰く「苦薬を飲んだ時のような顔だった」とそうだ。当時の殿下も「本当、君面白い子だね。」とずっと笑っていた。これがヴァイゼ殿下との初対面であった。
実はこの後が本当に大変だった。
ヴァイゼ殿下は、その捕獲以降は逃げ出すことをしなくなったのだ。「あの麗しの補佐を困らせる訳にはいかないからな」と笑いながら呟いていたようだ。それを聞いた陛下はその前の捕獲の功績も讃えて、私を正式ヴァイゼ殿下の秘書官にした。まだ私は学生だったので、私が入らない時は代わりに別の秘書官が担当する形となった。…そういう経緯だったので、その話を聞いた一部の貴族やメイドたちから曲がり曲がりに話が回っていき、一時は私が殿下の恋人なんじゃないかとか本命とかというとんでもない噂話になってしまったのだ。その噂を聞きつけた1人の令嬢、つまり殿下と関係を持った令嬢が王城に乗り込んで私に刃を向けたのだ。
「あの方の特別になりたかった訳じゃないけど!特別な方を作ることは私が許さないわ!」
今すぐ別れなさいっ!さもないと、「私死ぬわっ!」と私に向けていたナイフを自分の首に持ってて私に向けて叫んだのだ。あ、私を殺すとかそういう発想じゃなかったのね。そういう所に育ちの良さが現れているな。とあまりに目の前の現実から目を逸らしたくて頓珍漢な感想を心中で呟きながら、ナイフを首に当てた泣き腫らす令嬢を必死に説得したのだ。いや、かなり骨が折れた。
恋は盲目。人を狂わせる。
誰が言い出した言葉かは知らないが。昔人は的を得ている。恋とは、ここまで人を狂わすことができるのかと妙に感心してしまったことは覚えている。




