ヤクザは困り、そしてストーカーは暗躍する (8)
結局、真咲はプールに入らなかった。
よくよく思い出すと、幼稚園のん時も小学校の時もコイツが泳いでいる所を見たことがない。何か泳げない理由があるのだろうか。
そんな事を考えつつ身体を浮かべる。
同時にそれとなく周囲も監視する。注目を浴びている間は妙な事をされる心配はないとはいえ、相手は宇宙人だ。何処から何をしてくるか分からない。
だが閉館間際になり水泳部が引き上げても特に変わった事は起きず、午後7時になると天窓から見える空は既に黒く染まり始めた。
「あたしちょっとトイレ。千秋覗かないでよ」「あ、ちーくん。私も行ってきます」
キイと真咲が更衣室の方へと歩いていく。
「レニャ。更衣室の方は何か変わったことはあったか?」
俺はプール際に立つレニャに尋ねた。
彼女が宙に人差しをスライドさせると幾つかの映像が表示される。人差し指と中指を器用に動かし確認すると、それらを消した。
「何もないのう。別の場所から映像記録を行ってる気配もない」
「やっぱ警戒してるか……」
「だの。如何せん罠臭いのは見え見えだし」
「だが真咲は水を怖がる。だから学校で水着になることは滅多にない。相手が特殊な性癖のコレクターであればこのチャンスを逃さず狙ってくるはずだ」
「ふぅん。男とは分からんものじゃが……つまり、旦那様もああいうのが好きってこと?」
「いや? 俺は別にスクール水着に興味はないぞ」
「いやそうじゃなく……こうもっと大きい方が……あーもう!」
「?」
レニャは口ごもると飛び込み台から勢い良く飛び込んだ。
何だ? 疑問に思うも2人が更衣室から戻ってきたのでそちらに目をやる。
キイは先ほどまで真咲が座っていたベンチに座り、真咲はプールサイドに座って足をばしゃばしゃさせた。
……今日は何も起こらないか。
来る確信はあるがそれが今日だとは限らない。何日か試みる必要がありそうだが……。
明日以降のプランを考えようとした時だった。
「旦那様! 更衣室に反応ありじゃ! 引っ掛かったの!」
レニャが叫んだ。獣のような俊敏さでプールから上がると、更衣室がある通路へと走って行く。キイもハッとしたように立ち上がりると、少し慌てたように走り去っていった。
「真咲はここにいろ。俺も行ってくる!」
だが俺が駆け出したのと屋内の照明が落ちたのはほぼ同時だった。明るかった部屋は、一瞬にして真っ暗な空間へと変わる。
陽動!? そう思った瞬間、暗闇の中で影が蠢いた!
「きゃあ!」
真咲の悲鳴。慌てて向き直り未だ慣れない目を凝らす。
彼女の前に立つそれは身の丈2、いや3メートルはあろうかという巨大な影。蛭とも蛇とも言えぬその巨躯から腕が伸び、真咲の身体を捕えていた。
彼女を脇に抱えた巨躯は、ぬるりと出口へ向かう。
だが何かに気が付いたかのように立ち止まると、抱えた荷物を見て「グゥ⁉」とくぐもった声を出した。
「胸ノ……大キサ違ウ……! オマエ誰ダ……⁉」
「わ、悪かったわね! あんなに大きくなくて!」
真咲は叫ぶと宙に指を滑らせ自らを掴んでいる影の腕に手を当てると、同時に遠目でも分る程の大きな衝撃が起こった。
巨体が揺れ、難から逃れ着地した彼女に変化が起きた。周りの空気が揺れたかと思うと、黒いセミロングの髪が金髪の長い髪へと変化したのだ。
「ああもう! 体形まで変えるのはフラクタルの無駄だと思ったのに! こんなことなら変えておけばよかったわ!」
キイ――――ほんの数秒前まで真咲の姿だった――――は忌々し気に舌打ちした。
そう。実はもう一つ、罠を仕掛けておいたのだ。
途中でキイと真咲と入れ替わる案は、どちらかという保険の意味合いが強かったが、今回はそれが功を奏した形になった。
「……オノレ! 小サキ者メ!」
「だ、誰が小さいってですって⁉ 言っておくけど、あれがちょっと異常なだけだからね!」
「グォォ!」
獲物を失った怒りの咆哮と共に、触手のような腕が薙ぎ払われた。
キイはそれを跳躍で回避つつ、空中でコマンドを発動させる。
「アウターコマンド! 戦術の鎖!」
彼女の両手の指から蒼白い糸が発せられると、巨躯の影に向かって――――行かず、何故か後方にいた俺の身体に絡みついた。
「んな⁉」
「ええい!」
驚愕する俺を無視して彼女は織られた糸を振り回し、その先端にある凶器――――いや何というかもしかしたら狂気かもしれないが、つまり俺――――を、影の巨躯に投げつけた。
ドゴゥン!
鈍く大きな音が室内に響き、巨体が揺れた。接触する際に目を瞑って衝撃に備えたが、予想に反して俺の身体に衝撃はなかった。
「グゥゥウウ……!」
だがぶつけられた対象の方は苦しみの声を漏らしている。理屈は分からないがこの纏っている蒼白い糸が衝撃を吸収したのだろう……っていうか!
「何しやがる!」
着地した俺が振り返ると、金髪の少女はペロッと舌を出した。
「ゴメン。でもあたしが単独で使えるコマンドは殆ど千秋に移譲させてるから仕方ないしー? 最近何かあたし以外の女の子と楽しくしてるしー?」
「はぁ? 別にしてないだろ。ていうか前半の主張はともかく、後半は単なる気の所為じゃないですかね……」
「ふぅん……どうだか。ほら次、来たわよ!」
「うぉっと⁉」
キイが蒼白い糸を引くと俺の身体が勢いよく宙に舞う。直後、その場に鞭のようにしなる腕が叩き下ろされていた。
「剣士の担い手!」
彼女が新たなコマンドを発すると、蒼白い糸が俺の両手に集まり光る剣を生み出した。
おお、何だかファンタジーっぽい。つまりこの剣でアイツを切り刻めって事だな⁉
戦いの最中だが思わず感嘆の声を漏らす。高まる高揚感の中、俺は剣を握りしめ――――たのだが、身体が全く動かない。
あれぇ?
「ぇい!」
キイが手にした糸を振った。そして俺の身体は意思と関係なく、影の巨躯に向かって剣をクロスさせて突進していく。
「ってその剣を俺に持たせた意味は⁉」
「あ、ごめん。それ持たせてぶつけた方が威力高いんだ」
ガンダムハンマーのトゲトゲかよ! 心の中で非難したのと、身体が影にヒットしたのは同時だった。
二本の触手でガードしたが、威力を増した体当たりの直撃は、その巨躯でも完全に受け切ることはできなかったようだ。
影が勢いよく壁に叩きつけられ、コンクリートに大きなひびが入る。
明日犯人捜しが大変だろうな……などとどうでもいい事を考えつつ、目の前に迫った地面に着地した。
「やった?」
おっと。キイさん。それは大体やって無い奴が発するセリフだから止めた方がいいぞと言いかけた時、
「グウォォォー!!」
巨躯は壁にめり込んだまま、空気を震わせる叫び声をあげた。
直後訪れた衝撃波に思わず身を竦ませる。
同時に両手に持っていた剣が砕け散り、身体を包んでいた光とキイの手から伸びた蒼白い糸が消え去った。
「そんな⁉ 消去コマンド⁉」
金髪の少女に一瞬の隙ができた。
その隙を逃さず、巨躯が猛然と体当たりを仕掛けた。もろに受けたキイはプールへ吹き飛ばされ、派手な着水音を立てる。
「ぷはぁ!」
縁を掴んで水面に顔を出した彼女は、一瞬後に顔をしかめた。
水際から這い上がろうとした彼女はハッとして顔あげる。驚愕の表情の先にあるのは月明かりが照らし出す巨躯の影。そして振り上げた腕は今まさに振り下ろされようとしていた。
マズい!
彼女までの距離は10メートル。俺は咄嗟に走り出すが、キイが俺に与えた強化は既に無く、普通の人間が走る速度では到底間に合わない。
大木の様な腕がキイの細い身体を押しつぶさんとした、まさにその時。突如、彼女の周りの水が巻き上げられ、迫りくる腕に叩きつけた。
バン! 金属の板に重い物を当てたような音が響く。それを皮切りにしたかのように、何本もの渦が――――腕だけではなく身体にも――――連続で叩きつけられる。
一発では止まらなかった巨躯だったがも、連続には耐えられず大きく身体をのけ反らせた。
「まったく。創造系コマンドは消去系に滅法弱いと教わらなかったのかの? お嬢様は」
慌てて声をした方へ視線をやると、そこにはレニャが腕を突き出して立っていた。隣には真咲もいる。
「まさか使うとは思わなかったの! 大体消去系なんてマニアックなコマンドで珍しいし!」
「おやや。旦那様の前で言い訳とはみっともない。それでも宇宙最強の宇宙船を持つマリード家の一員?」
「ふんだ。今は宇宙船にコマンド能力が移譲されてるからあたしが出来ることが限られてるの!」
強気な文句にも聞こえるが、実際彼女はこの僅かな時間で息切れをするほど疲弊している。俺に移譲させているのが原因であるのは間違いないだろう。
「ていうかあなたに助けられるとはね」
「ほう。助けて貰ったのにお礼の一言も無いのかの? お嬢様?」
「それもそうね。レニャありがとう」
「い、意外に素直じゃの……」
茶化したつもりが、逆に拍子抜けして毒を抜かれてしまった形になる。
「でも一体どういう風の吹き回しかしら?」
「ふん。どうもこうもないわ。貸しを作っておくのも悪くないし……それに旦那様の目の前で元カノの人死を見せるのも後味悪いしの」
レニャは口の端を僅かにあげると、起き上がり攻撃態勢を取ろうとしていた巨躯へ指を突き出した。
横へヒュッと振るうと同時に、飛び散って出来ていた水溜まりの一つから、レーザーのような細い線が飛び出し巨躯の肩を穿つ。
「グァァ⁉」
同時に苦痛の声があがった。ピッと周囲に飛沫が飛び散る。レーザーの正体は高圧縮した水か。そういえば母星は89%が水だと言っていたのを思い出した。もしかしたら水系のコマンドが得意なのかもしれない。であればプールは彼女にとってみれば最高の舞台に違いない。
レニャが指を振るうたび、水のある場所から高水圧のレーザーが放たれる。1本、2本、3本……彼女の指が指揮棒となり、巨躯を襲っていく。
それでも力でねじ伏せようとしているのか、右の触手を押さえつけていた水圧を弾き返すと、その隙に薙ぎ払いをレニャに向ける。
「おっと」
しかしレニャが片腕を振り上げると、腰を穿っていた水のレーザーの一つがその腕を縦に凪ぎ……「ピンッ」というハープが切れたような音と同時に触手が切断された。
「ガァァァ!」
だが巨躯はそのまま切れた右腕を振りぬく。
「!」
相手の止まらない勢いに、レニャは攻撃を一旦中止し後方へ飛びのいた。
床に落ちた触手は塵のように霧散したが、本体の方に残った根元からは新たな触手が生まれていた。
「思ったよりやる。しかしこの能力はもしかして……」
青い髪を片手でかき上げ呟いたレニャは目を細めた。
「ま、どちらでもいいか。おい、お嬢様よ。早速だがさっきの借りを返してもらおうか」
「何よ?」
「アレをやるのに協力しろって事じゃ」
「何だ、そんなこと。あたしは無事平穏に宇宙船を返してもらうのが目的なんだから、言われなくてもやるわよ。それよりそんな眉間に皺を寄せてたら、不細工が更に不細工になるわよ?」
「だ、誰が不細工じゃ! このビッチ!」
抗議しつつレニャは放たれた触手の突きを、バックステップで器用に躱す。だがもう一方の触手による第二波が体勢不十分な少女に向けられ――――何かが砕ける派手な音が響いた。
しかしそれは直撃によるものではない。寸前、小さな身体に光の鎖が巻き付き空中へと放り上げていたからだ。
「はい。これでチャラね」
戦術の鎖を器用に振り着地させると、キイは勝ち誇ったような笑顔をレニャに向けた。
「ていうか別に躱せてましたしー? それでチャラとか安すぎるしー」
「お礼くらい素直に言いなさいよ……。ほら次が来たわよ!」
「分かっとる! 上空へ飛ばせ!」
言われる前に鎖を振っていた。一瞬前にいた場所を触手が叩く。
「グウォォォー!!」
空気を震わせる雄叫びが室内を激しく叩く。戦術の鎖を消す消去コマンド。既に一度、キイのコマンドは砕かれている。であれば結果は同じになるはずであったが、しかし雄叫びは光の鎖を砕くことはできなかった。
正確にはいつの間にか張られた水の網が、光の鎖に向かった衝撃波をかき消していた。
「⁉」
「水閃。振動でコマンドを砕くタイプは分散させてやるだけでいい」
宙に舞ったレニャが光の鎖のバックアップを受けた強力な蹴りを見舞う。咄嗟に逆に触手で直撃は防いだようだが、巨躯が大きく揺れる。
「やるじゃん!」
「ふん。『コート』の能力で得た即席のコマンドなぞ恐れるに足らん。タイミングさえ計ればすぐに対応も出来る」
「コート?」
「あの影自体が強化系コマンドを内蔵したオーバーコートじゃ。幾重も巻いておるのか、もはや原形を留めておらぬがな。中にいるのは恐らく……おっと!」
苦し紛れに巨躯。レニャは避けつつ右手に出現させたバールをでカウンターを浴びせる。
ボゥン! 胴体に当たった場所に爆発音が響く。
「グオオオオお!」
巨躯が苦し紛れに触手を振り回す。だが光の鎖で移動性能が増しているレニャには当たらない。逆にレニャの的確なカウンターを受ける形となる。攻撃が当たる度、巨躯の影がまるで血のように飛び散っていく。
暫く言葉も無く見ていた俺だが、ハッと気が付くと真咲に駆け寄った。
「おい!」
「え、あ、はい」
「狙いはお前だ。悪いがここはあいつらに任せて一旦外に出るぞ。アレも人目が多い場所に行けば、流石に手は出してこないだろう」
戦闘力がない俺たち(真咲は女子高生としては規格外の能力を持っているがそれは対人間相手だ)がいても邪魔になるだけだ。
出口は……あっちか。真咲の手を取りキイたちとは逆方向へ走り出す。
だがそれに気が付いたのか、影は大きく跳躍すると俺たちの頭上を飛び越え先へと回り込んできた。
目の前に現れた巨躯は、いつの間にか人と同じくらいの大きさになっていた。




