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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・夏編
112/444

七ノ二十二 「晴子と摩耶」

「それじゃあ、まずは一分間、奏馬先輩はこのボールペンの粗探しをしてください」

「粗探し?」

「はい。悪い所、気になる点。そういった所を、一分間ひたすら挙げてください。いくつでも。手に持っても良いですから」

「……分かった」

「じゃあ、計りますね」


 どこにでもある、ただのボールペンだ。これの悪い所を探すと言うのは、中々難しいように思う。


「よーい、スタート」


 すぐに、ボールペンを持ち上げて眺めまわした。使い古してあるのか、持ち手のゴムが少し裂けている。


「ゴムが劣化してるな。手触りが悪い」


 印字されていたであろうボールペンの名称も、剥げかけてはっきりとは分からない。


「商品名が分からないから、買い替えようと思っても同じのが探しにくそう」


 気になる点を挙げていくと、意外なことに次から次へと目についた。芯のインクが残り少なくなっている。細すぎて持ちにくい。ペン先が細く、字が綺麗に書けなそう。


 一つずつ上げているうちに、コウキが終わりです、と言った。


「どうです、難しかったですか」

「うーん。いや、粗を探そうと思って見てみると、意外と気になるところって見つかる」

「ですよね。じゃあ次に、また一分間、今度はこのボールペンの良い所を見つけてください」

「何?」

 

 今、悪い所を上げたばかりだ。良い所なんて見つかるわけがない、と奏馬は思った。他のリーダーも、無理でしょ、と苦笑いしている。


「じゃあ、いきますよ。よーい、スタート」


 始まってしまった。仕方なく、奏馬はまたボールペンを眺めた。隅から隅まで眺め、手で触っていく。


「ん……ああ、この引っ掛ける部分、指で押すと開くようになってる。片手でポケットとかノートに止められるのは、良いじゃん。開くやつじゃないと、両手使わないと差せないし」


 ペン先を、カチカチと何度か出し入れする。それから、くるくるとペンを回転させてみた。


「ノックの感触も、結構良いかも。軽くて使いやすい。それと細すぎて持ちにくいって言ったけど、ペン回しにはちょうど良いな。俺、考え事する時に結構ペン回しすることあるから、使えるかも」


 次に、かすれ気味の文字に目を凝らしてみた。値段が書いてある。


「これ百円なんだ。安い。学生にはありがたいな。安いし軽いし引っ掛け部分が使いやすいとなると、筆箱にしまっておくより携帯するのに向いてるな。失くしても痛くないし。あと、ペン先が外しやすい。意外とここが小さすぎて上手く外せないやつとかあるんだよ。これは芯を替える時、楽で良い」

「はい、そこまでです」


 コウキに、ペンを返す。


「……で、これをやった意味は?」

「これは、自分が対象をどういう風に見るかによって、その印象も、自分の気持ちも変わる、ってことを知ってもらうワークでした。実際、両方やってみてどうでしたか?」


 聞かれて、奏馬は腕を組んだ。


「そうだな……悪い所を探そうとすると、なんか穿った見方をしちゃうな。今まで気にならなかった所が気になってくる。良い所を探そうとすると、今度は悪いと思ってた所は気にならなくなって、このペンが意外と良い物に思えてきたな」

「ですよね。人間関係も、同じだと思います。相手の悪い所ばかりを見ていると、次から次に目について、その人が嫌いになる。逆に良い所を探そうとすると、その人が好きになる。一緒に演奏する仲間の良い所を探すと、仲間に対する気持ちも変わるし、良い所を口にして伝えれば、この人はこんな風に思ってくれてるんだって相手も知れる。たったそれだけで、これまで感じてた心の壁みたいなものが、ふっと消えるんですよね。だから、部員同士でお互いの良い所を言い合うワーク、とか良いんじゃないですか?」


 リーダー達が、互いに顔を見合わせる。


「今の花田高の演奏に足りないのは、一体感だと思います。演奏してる時に、あ、今皆の音が一つになってるとか、凄く気持ちが合ってる気がするって感じたことないですか。それがあると、俺達の演奏はもっと良くなると思います。そのためには、もっと部員同士が心を通わせる必要がある」

「……言ってることは分かったけど、効果、あるのかなぁ」


 二年の部長の摩耶が言った。


「そんなに、皆素直に相手の良い所とか言えるかな」

「じゃあ摩耶先輩、実際に試してみましょうよ」

「え、私?」

「はい。相手は、そうだなぁ……晴子先輩とかどうですか?」


 名指しされて、晴子の身体がびくっと動いた。自分を指さして、晴子が首を傾げる。コウキが頷いた。


「晴子先輩と摩耶先輩で、実際にやってみましょう。相手の良い所を言い合うんです」


 摩耶が、強張った表情をしながら喉を鳴らした。眼鏡の奥の瞳が、揺れている。


「やらなきゃ、駄目?」

「実際に体感してもらうほうが良いでしょ?」

「私は、良いよ。摩耶ちゃんの良い所、いっぱい言えるから」

「ぐ」


 晴子に真っすぐに見つめられて、摩耶がわずかに身体をのけ反らせた。しばらくすると、観念したようにため息をついた。


「分かりました。やります」

「じゃあ、とりあえず時間は二分くらいにしてみましょう。よーい、スタート」

「えっ、あ、もう!?」

「はい、始まりました」

「ふふ、じゃ、私から言うよ。摩耶ちゃんは、部の将来を誰よりも考えてる。部長サブとして、自分に出来ることを必死にやってくれてる」

「う……」

「それと、普段は静かだけど、演奏になった時の迫力は凄い。この部の人数の少なさをカバーしてくれてるよね。純也君とのアンサンブルは、うちの演奏のカラーの一つになってると思う。あとね、好物のカレーを食べてる時の顔が可愛い!」


 にこにこしながら、恥ずかしがる様子もなく晴子が言ったため、摩耶の頬がぼっと赤くなった。


「か、カレーは関係ないじゃないですか!」

「なんで? 良い所でしょ? 摩耶ちゃんが美味しそうに食べてる顔、可愛いよ」

「ははは、ほら、摩耶先輩も言ってください」


 コウキが促すと、摩耶は目線を逸らしながら、両手の人差し指をもぞもぞと絡ませだした。


「は、晴子先輩は……部員一人一人を、良く見てます。私は気づかないような細かな所まで、ちゃんと」


 眉を下げて頬をかきながら、晴子が笑った。


「それは、私、それくらいしか出来ないし」

「そんなことないです。晴子先輩はコンサートの時の司会も凄く上手です。あんな風にスラスラ言えて、お客さんを笑顔に出来て。あれは才能だと思います」

「そう、かな。なんか、連続で言われると恥ずかしいね……えっと、摩耶ちゃんは、私情を部活に持ち込まない。感情で動いたりしないで、いつも部長らしくあろうとしてる」

「晴子先輩だって! 去年までは、ずっと 部長を辞めたい辞めたいって言ってた。でも、今は誰よりも部長らしくなって、この部を引っ張ってくれてます」

「それは、皆が支えてくれるからだよ」

「ううん、晴子先輩が、支えたくなるような部長だから周りが動けるんです。それは、晴子先輩の人望です」


 目を伏せ気味にしていた摩耶が、ぐっと顔をあげて晴子を見据えた。二人の視線が交わる。


「正直に言うと……ごめんなさい、前まで晴子先輩は全然部長らしくないのに、なんでこの人がやってるんだろうって思ってました。でも、今は違います。晴子先輩だから、皆がついてきてる。晴子先輩だからこの部はまとまってるって……そう思います。私とは全然タイプの違う部長像だけど、晴子先輩から学ぶことが凄く多い。私には無い部長としての力が、晴子先輩にはあります。だから、私は晴子先輩が部長で良かった、って今は思います」


 摩耶は言い終えると、また恥ずかしそうにうつむいた。

 晴子は、何も言わない。

 部室に、静寂が訪れた。そっと、晴子の様子を見る。その瞳が、ゆらゆらと波のように揺れていて、涙が出そうになっているのだ、と奏馬は気づいた。


「摩耶ちゃん」

「……はい」

「ありがとね。私、ずっと摩耶ちゃんには嫌われてるのかなって思ってた。頼りない部長だし、摩耶ちゃんの言う通り、辞めたい辞めたいばっかり言ってたし。でも、摩耶ちゃんの思ってることを聞けて……嬉しかったよ。初めて、摩耶ちゃんの気持ちに触れられた気がする。こんな私を、認めてくれてありがとう」

「わ、私は嫌ってなんてないです」

「うん……嬉しい」


 これまで、奏馬から見ても、晴子と摩耶はあまりうまくいっていなかった。仲が悪いわけではないが、学生指導者の奏馬と正孝の関係に比べると、二人の間には壁のようなものがあった。

 晴子が人には言わないでも、それを気にしていたことも察していた。

 今、二人の間にあったその壁は、なくなったのだろうか。


「時間です」


 コウキの声で、部室内の張りつめていた空気が緩んだ。

 動きを止めていたリーダー達が身を動かし、何となくそわそわとした表情をしている。


「摩耶先輩、どうでしたか」

「自分の気持ちを人に話すっていう経験が初めてだったから、まだよく分からない。でも……晴子先輩の言葉は嬉しかった」


 満足そうに、コウキが頷いた。


「その気持ちが、相手に対する接し方を変え、音にも表れます。一緒にやってく仲間同士なのに、嫌ってたって何も良いこと無いです。良い所を見ながら、お互いに歩み寄る。時にはぶつかりながら。それが、部訓の調和にも繋がると、俺は思います」

「その通りだと思う。俺はこのワークっていうの、やっても良いと思う。何だかんだ言って、こうやって部員同士で気持ちを話し合うっていうのはしたことがなかったしな」

「私も、奏馬に賛成。皆にもやってほしい」


 晴子が言った。

 

「他の皆はどう?」


 リーダーの中から、異を唱えるものは誰もいなかった。


「じゃあ、早速取り入れてもらうために、丘先生に話に行くか。会議は終わりで良いか、晴子?」

「うん、集まってくれてありがとね皆。お疲れさまでした」

「お疲れさまでしたー」


 ぞろぞろと立ち上がって、部室を出て行く。


「じゃあ、俺と晴子と摩耶ちゃんと、あとコウキ君も来てくれるか」

「え、俺ですか?」

「提案者じゃん。先生に説明するのに、居てくれた方が良い」

「そういうことなら、わかりました」


 晴子と摩耶には、部長と部長サブという濃い関係性があった。だから、コウキの提案したワークも大きな効果があったのだろう。

 これが部員全体で行った時にどういう影響になるのか、奏馬には分からない。ただ、すでに奏馬は、これを取り入れる気になっていた。


 晴子と摩耶の顔を見たら、やらないほうが勿体ない。上手く行けば、きっと良い影響が出るはずだ。他のリーダーも、自分で経験はしていなくても、さっきの様子を見て思う所はあっただろう。


 四人で階段を下りていく。八足のスリッパが立てるぺたぺたという音が、空間に響いている。

 ふと顔を上げると、天井付近の窓から、明るく輝く三日月が見えていた。雲一つない。明日は晴れかもしれないな、と奏馬は思った。

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