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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・夏編
110/444

七ノ二十 「先へ」

 この日が来た。県大会一日目。

 花田高の出演する日で、すでに本番前のリハーサルを終え、部員は全員舞台裏に待機しているところだ。


 今は、一つ前の学校が演奏している。上手い。それしか、言葉が出ない。名古屋の有力校で、部員数が多いことで有名な学校だし、人数は上限の五十五人で出ているだろう。舞台裏にいてもその力強さが伝わってくる。


 県大会にもなれば、愛知県内の有力な高校全てが集まるのだから、どこも上手くて当たり前だ。


「花田高のほうが、上手い」


 誰かが、呟いた。演奏の音に飲み込まれて、その言葉はほとんどの部員には届いていなかったが、ひまりの耳には届いた。言ったのは、クラリネットの三年生の未来か。未来の肩に晴子が手を置いて、頷いている。

 三年生の九人にとっては、一回一回の本番が最後のコンクール舞台となるかもしれないのだ。かけている想いの質も、下級生とは違うだろう。


 二人から視線を外し、ひまりは深呼吸をした。ゆっくりと、気持ちを整えていく。

 地区大会以降、花田高は猛烈な練習を行ってきた。その結果、確実に地区大会より演奏は良くなっている。ひまりのソロも、格段にその質を磨き上げた。納得いっているわけではないが、現状で最善の演奏を、何度だって繰り返せるくらいに叩き込んである。


 この学校の演奏も未来の言う通り、花田高に比べれば、何てことは無いレベルだ。


「大丈夫。私なら、やれる」


 思わず、呟いていた。隣にいた星子が、ちらりと見上げてくる。けれど、何も言わず、星子はまた顔を前に戻した。


 前の学校の演奏が最高潮に達し、音の洪水が会場を満たしていく。圧倒的な音量と勢いで、終わりに向かって加速する。そして最後の一音が放たれ、その残響が静かに消え去った。

 拍手が鳴り響き、少しの間があって反響板扉が開けられる。


「入ってください」


 係員の声。


「行きますよ」


 丘の言葉に、小さく、部員全員で返事をした。並んで一人ずつ、舞台へと足を踏み入れていく。

 順番を待ちながら、ひまりは意識を全身に集中させた。緊張は無い。調子は抜群だ。良い具合の高揚感もある。体にも、問題は無い。

 行ける。今なら、最高の音を出せる。

 ひまりの頭の中は、これから奏でる音楽のことで満たされた。すべての雑念が、嘘のように消え去っている。


 サックスパートが舞台に入り、フルートとオーボエパートの番になった。星子が、反響板扉をくぐっていく。後に続いて舞台に入った瞬間、ひまりは上からの熱を感じた。スポットライトが舞台を照らしている。その熱が、ホールの中で唯一、舞台だけを暑くさせているのだ。


 設置された自分の椅子に座り、譜面台に楽譜を置く。それから、ちらっと客席に目を向けた。学生だけでなく、一般の客も大勢座っている。地区大会の時と比べて、聴衆の数が段違いだ。ここにいる全員が、これからひまりのソロを聴くことになる。


 コンクール運営を手伝っている舞台係の学生が、舞台上をせわしなく動いて足りない椅子や譜面台を部員に渡している。丘は、指揮台の隣に立ってそれを指示している。

 準備はすぐに整い、舞台上から部員と丘以外の全員がはけていった。反響板扉が閉められ、会場が徐々に静まっていく。


 丘が、一人一人と目を合わせた。ひまりも、丘と視線を交わし、頷いた。

 アナウンスが入り、花田高の演奏曲が会場に告げられる。拍手の後、丘は落ち着いた動作で指揮台の上に上がった。


 いよいよ、長くて短い十二分間が、始まる。












 全ての学校の演奏が終わり、大会は結果発表の時間になっていた。花田高はホール二階席の、一番後ろの座席群に固まって座っている。

 すでに七番までの発表が終わり、花田高の結果発表まで、すぐだった。舞台端に置かれたマイクの前に立つ司会者が、次の学校の名前を読み上げていく。


「八番。愛知県立安川高等学校。ゴールド金賞」


 会場中から拍手が巻き起こる。声を上げることもなく、安川高校は当然のようにその結果を受け入れている。

 安川高校の演奏の時はリハーサル中だったため、聴けていない。けれど、きっと地区大会より仕上げてきただろう。安川高校は毎年そうだ。上位大会に進むほどに演奏の質を跳ね上げてくる。


「九番。……高等学校。銀賞」


 うなだれる、ブレザー姿の一群。花田高のひとつ前の学校だ。十分に上手かった。それでも、銀という結果しかもらえない。


「花田高は」


 隣に座っていたアルトサックスの栞が、低く言った。

 拍手もそこそこに、ひまりの周りの部員は両手を組みだした。祈るような恰好で、結果を待ち構えている。

 会場が静まり、司会者の次の言葉が放たれた。


「十番。愛知県立花田高等学校……ゴールド金賞」


 部員から発せられた、歓喜の叫び。栞が、座席の上で腰を飛び跳ねさせた。前の席に座っていたクラリネットの梨奈が、振り向いて満面の笑みを送ってくる。ひまりは頷き返して、小さく息を吐いた。


 あとは、代表選考会へ進む学校の発表を待つだけ。一日目と二日目、どちらも代表枠は七校。合わせて十四校が代表選考会に進む。そして、東海大会への代表を決める。

 今年の花田高は県大会程度で終わるレベルではないと、ひまりは確信している。必ず、代表選考会に行ける。それに、今日の演奏は文句無しだった。今出来る最高の演奏だったはずだ。


 会場の熱はどんどん上がっていき、ついに代表選考会へ進む七校の発表になった。司会者が、書類を手に読み上げていく。


「それでは発表します。二番。愛知県立光陽高等学校」


 大きな拍手。合宿で指導に来てくれた王子の率いる高校だ。光陽高校は、東海大会常連である。県大会を通った程度で、部員が叫び声を上げることは無かった。


「四番……」


 番号が呼ばれると、壮絶な叫び声が放たれ、司会者の後の言葉はかき消された。一階席の舞台前付近に座っていた四番の学校の生徒達が、興奮して抱き合っている。

 金賞を得たり、代表に選ばれた瞬間の反応で、その学校の結果に対する向き合い方が分かる。普通の学校は、金賞や代表になると恥も忘れて叫び喜ぶ。上位大会へ当然のように進出する学校は、決して県大会程度で騒いだりしない。彼らにとって、先に進むことは当然の事だからだ。

 強豪校と、そうでない学校の違い。心持ちの、差。


「八番。愛知県立安川高等学校」


 拍手。ここも、当然の結果だった。叫び声も上がらない。

 

 次は、何番だ。ひまりには、言葉を待つ一瞬の間が、永遠にも感じられた。

 十番。その数字が呼ばれなかったら、花田高の今年のコンクールは、ここで終わる。


 司会者が、口を開いた。


「十番……」


 その瞬間、部員が、鋭く耳に突き刺さるような歓喜の声を上げた。隣の栞が、思わずと言った様子で立ち上がって、両手を握りしめた。

 静粛に、と司会者のたしなめる声が会場に響いて、部員は急速に声を抑えた。けれどその喜びは収まらず、部員は小声で今聞いたばかりの結果を喜びあっている。


「やったね、ひまり」


 栞が言った。


「うん、やった」


 短く答えて、ひまりは身体を座席に沈めた。

 いくら自信があっても、結果を聞くまではどこか不安もあった。無事に進出できた安堵感で、身体の力が抜けていく。


 終わらなかった。まだ、続けられる。もっと先を目指せる。

 全国大会。ひまりが目指すのは、そこだ。部内で、具体的にどこまで行こうと話し合ったことは無い。だから、ひまり個人の目標だ。けれど今年の花田高なら、決して不可能な目標ではない、とひまりは思っている。


 その後も代表校が告げられ、七校全てが発表された。こまごまとした話の後、長かった一日はその幕を閉じた。会場の使用期限の時間が迫っているため速やかな退場を、と司会者が促している。


 部長サブの摩耶の指示で、まとまって会場を出た。外の広場の適当な空いている場所で、賞状とトロフィーを受け取っていた部長の晴子と副部長の都を待つ。その間、部員は思い思いに喜びを口にしあっていた。


「ひまり先輩、やりましたね!」


 星子が、ぴょん、と跳ねるようにそばに来て言った。自分のオーボエが入ったケースを大事そうに抱えている。


「うん、良かった。これで、また上を目指せるね」

「はい! 先輩の今日のソロ、今までで一番良かったです。素敵でした!」

「……ありがと。でも、もっと良くするよ」

「私も、頑張ります。先輩に追いつけるように、もっと」


 頷いて、星子と視線を交わした。

 この子は、さらに成長するだろう。地区大会から今日までの間にも、その腕を上げていた。ひまりに追いつくどころか、追い越される日もそう遠くないかもしれない。


 ひまりのソロが、どんどんとその質を向上させられている理由の一つは、星子の存在だった。星子に抜かれたくない。その気持ちが、ひまりを貪欲にさせている。星子がいたから、ひまりは立ち止まることが無かった。


 たった一年の差など、すぐに埋まってしまう。ひまりが慢心や油断をすれば、ソロの座も星子に奪われるかもしれない。だから、片時も気を抜けない。

 星子は、自宅でも練習しているという。楽器も、自前だ。ひまりには無い優れた環境で、星子は自身と音楽に向き合っている。

 その星子に、限られた環境の中で抜かれないようにするためには、ひまりに手を抜いている暇など無かった。


「お待たせー!」


 手を振りながら、晴子と都が駆けてきた。クラリネットパートや三年生が駆け寄って、二人を取り囲む。部員が騒ぎだしたところで、パンッ、と大きな音が響き、全員の眼がそちらに注がれた。丘だった。


「皆さん、喜びたいのはやまやまですが、会場をすぐに出なければいけません。細かな話は、バスの中でしましょう。まずは、演奏させていただいた会場にお礼を」


 全員で、施設のほうへ身体を向ける。晴子の、ありがとうございました、の声に続いて、全員で復唱した。


「さあ、ではバスへ」


 駐車場に待機していたバスに、パート毎に乗り込んでいく。フルートオーボエパートは、後方の席だった。隣に、星子が座ってくる。

 全員の乗車が確認され、バスが発車した。


 ふと窓の外に目を向けると、まだ会場に残っている他の学校の生徒の姿が見えた。彼女達は、涙を流していた。うつむいて、唇を噛んでいた。

 代表になれなかった学校だろう。


「私達、愛知県の代表になるかもしれないんですよね」


 隣に座っている星子が言った。


「うん、そうだね」

「私、県大会も初めてだったけど、ここまで来たら代表選考会も抜けて、東海大会も行きたいです」


 県代表選考会は、六日後に開催される。そこに集う十四校のうち、六校だけが全国大会に繋がる東海大会大編成への代表権を獲得できる。

 愛知県吹奏楽コンクールに参加している高校は、百七十近い。その中の、たったの六校。それは、コンクールに敗れて涙した何百人という高校生の代表になるということだ。

 そう考えると、東海大会を目指すというのは、自分達だけの問題ではないのだと今更ながらに思ってしまう。


「私は、全国大会を目指してる」


 ひまりが言うと、星子が目を見開いて何度か瞬きした。


「全国なんて、想像がつかないです」

「私も、まだ行ったことがないけど。でも、今年は行けそうな気がする。私達の演奏、どんどん良くなってるし」

「行けたら、良いですね! 私も頑張ります」


 可愛らしくガッツポーズを作りながら笑う星子。動きの一つ一つが、女の子らしい可愛さがある。計算されたものなのかは分からないけれど、それはひまりには無い星子の魅力だ。


「私も、頑張るよ」


 ひまりが言うと、星子は笑いながら頷いた。

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