私の心
私の父は、百万年もの間、転生を繰り返し生き続けている人類の神だ。
今から三千年ほど前。
私はそんな父の子供としてーー生まれ損ねた。
死に体として、生を受けずにこの世へ出されたのだ。
しかし、父の持つ膨大な力の痕跡が私の魂には宿っていた。
肉体から解き離たれた魂は、長いこと現世をさまよい、人間の怨念を集めながら強大な思念体となっていった。
そして、千五百年もの時を経て、最凶の邪神としてこの世に顕現する。
その時の私はまだ意識もなく、呪いそのものとして命あるものすべてを襲った。
世界最強である父と、世界最恐の龍を巻き込んだ戦いは、一つの大陸を滅ぼすほどの規模で行われた。
結果、父は私という存在に気づき、命を懸けて救ってくれた。
そして、私に“蛭子”という名を与え、私たち命なき者が住める場所、“幽世”を創造してくれたのだ。
そこはダンジョンの原型ともいえる場所。
現世とは切り離された異界。
鬼や亡者など、怪異と呼ばれる化物たちの暮らす世界となった。
私は父の役に立ちたくて、幽世を治めようと強い覚悟を抱いた。
そして彼らとまとめ上げるためにルールを課し、力であの世を平定した。
だが、怨念渦巻く幽世の生活は、ようやく生まれた心を冷やすものだった。
意思が通じる者は稀で、ほとんどは呻き声を上げながら呪いをまき散らすだけの存在。
父の光によって愛を知ってしまった身には、その世界は冷たすぎた。
時折、父にのもとに行くことだけを楽しみに暮らす日々。
でも、私が現世に赴くのはほんの一瞬。
長いこと留まってしまえば、強力な瘴気で世界が穢されてしまうから。
父のぬくもりと触れ合えることだけを希望とし、千年を超える時を孤独に過ごした。
私に取り込まれた膨大な怨念は、人の醜さや憎しみの塊。
だけど、父から救われたことで、私の中にあった悲しみや慈しみ、そして様々な情にも気づけた。
誰かを強く想い命を懸けた魂。
極限まで己を鍛え研ぎ澄まされた魂。
愛のためだけに身を投げ出した魂。
それらは、時に憎しみよりも強い魂としてこの身に吸収されていた。
父の愛する人類は、確かにとても素晴らしかった。
だが、それらは私自身が得られなかった人生だった。
私はただ彼らの想いに、ほんの少しだけ触れることしかできない。
気づけば焦がれていた。
彼らのように生きることを。
魂を輝かせる生き様に。
だけどそれは命のない私にとって、永遠に叶わない夢。
そんな私の生活に転機が訪れたのは十数年ほど前。
父がいつものように、新しい体へ転生を果たした時だ。
私には、私と同じ母から生まれた妹がいる。
私とは違い、三千年前に健やかに生まれ育った子だ。
だが、彼女は父の宿敵である龍のせいで深いトラウマを抱え、三千年もの長い間、暗い洞窟で引き籠っていた。
そんな妹を救う手伝いをした結果、父から御褒美をもらえた。
それは対になった黒いリボン。
これがあれば、現世にいくら留まっても穢れをまき散らさずに済むという、破格の性能を持った神器だった。
その出来事で今までの生活が一気に変わった。
父にも気軽に会いに来られるし、妹や他の人間との交流も増えた。
だが、そのことで人のぬくもりに触れる機会も増えてしまった。
特に父の奥さんは、私を実の娘のように愛してくれた。
父と彼女の仲睦まじさを見るたびに、どうしても羨ましくなってしまう。
でも、それは私が決して手に入ることのないもの。
人の身ならざる存在では、結婚はおろか恋愛すらできないだろう。
なにより本当の私を知って、それでも愛してくれる人など現れるはずもない。
半年ほど前、父にお願いされてダンジョンというものをつくることになった。
かなり大変だったが、もともとゲームは好きだったので、せっかくだから細部までこだわってみた。
そして人間の進化をうながす施設は、父の描いた計画に必要な場所として機能し始める。
ほどなくダンジョンは世間に公開され、大変な評判となった。
当然だろう、科学だけでは到底つくれない場所だ。
そこに挑む人間たちの魂はとても輝いていた。
心を燃やし、先に進もうという強い意志を持ち、困難に向かい全力で戦う。
命の鼓動を感じられる姿を見るのが好きだった。
そして彼と出会った。
白く丸々としていて、おまんじゅうのような見た目の人間。
思えば、彼には最初からペースを乱されていた。
私の殺気をものともせず、真っ直ぐに歩く姿から普通の人間ではないのがわかった。
その身から香る瘴気は、幽世の者とは違う匂いを発していた。
呪術師かとも思ったが、彼ら特有の陰鬱さを感じない。
むしろ、それとは真逆の存在に思えた。
父が彼に私との結婚を打診したが、とんでもないと思った。
どれだけ力があろうとも、たかが人と結婚などできない。
父が望むのは魂の強い子供、今の人類より進化した子孫だ。
それを、この身では産むことができないのだから。
あくまで、この体は呪力によってつくられたもの。
そこに生命は宿らない。
それに、父のように私のすべてを知って愛してくれる人でなければ無理だ。
あの醜い姿ごと、受け入れてくれるような人でなければ愛せない。
そんな人、父しかいない。
いるはずがない。
そう、思っていたーー。
成男は、確かに興味深い人間だった。
尋常じゃない強さ、揺らがない意思、ふてぶてしい態度。
そして、私でも測れない呪いを宿している。
普通ならとっくに命を落とすほどの呪怨。
それをむしろ、自らの力としているようにすら見えた。
『優しいな』
彼を見る目が変わってしまったのは、きっとあの時からだろう。
曇り一つない笑顔。
そこに父を映してしまった。
『人間らしいものよ』
自分と同じ人なのだと言われ、心が揺れてしまった。
頭を撫でられ、あるはずのない心臓が鳴るのを感じてしまう。
話せば話すほど感情が揺さぶられていく。
苛立ちがつのり言葉も荒くなってしまう。
『大好きだ』
私に言った言葉じゃない。
このダンジョンに向けた言葉。
それでも嬉しくなってしまった。
だからだろうか。
いつもは気にもしない最深部にいる存在への評価が気になってしまった。
そこにいるのは、最古の邪神と呼ばれた私の本当の姿。
ダンジョンの核として、どうしてもあの姿で作らなければならなかった。
この美しく愛らしい姿は、父に恥をかかさないためにつくった仮初のもの。
だけど、アレこそが蛭子という私そのもの。
産まれても成長できなかった私が、人の怨念によって育った姿。
彼がそれを見て固まってしまった。
その姿に私が感じたのは、落胆。
きっと期待してしまったのだろう。
私を人だと言ったその言葉を。
実際の私を見ても、同じことを言うわけがないのに。
あの眩しい笑顔に、少しだけ心が焼かれてしまっていたから。
彼は本当の私を見て、心臓を激しく動悸させていた。
きっと恐怖と嫌悪によるものだろう。
それを知り、私は八つ当たりのような怒りを彼に向け、意識を共有してしまった巨体が彼を殴る。
彼は避けなかった。
彼の強さならば、避けることも、切り払うこともできたというのに。
まるでその体に触れたいとでもいうように、ただ愛おしそうに受け入れた。
そして、意識を共有した拳で触れた瞬間、指に感じたのは彼の体が放つ熱。
腰の中心が、鋼鉄のように固く灼熱を帯びていた。
その時の私の気持ちがわかるだろうか?
混乱、羞恥、嫌悪、そしてーー喜び。
ごちゃ混ぜとなった感情を叫びながら、向かって来る彼に追撃をしてしまう。
それでも彼は、私の乳房とも呼べない爛れた肉塊からずっと目を離さなかった。
思えば先ほども、美しいモデルの女を押しのけてまで私の体を見たがったのだ。
それは今まで向けられたことのない、あまりにも熱烈な視線だった。
生れて初めて、私を女として見てくれた人。
この偽りの体ではない。
本当の私を欲しがってくれた男。
彼は私の胸に、恋をしてくれた。
そして彼は乳房を通して、私を理解する。
あの醜い姿に閉じ込められた、私の心を。
寂しさや孤独、人の愛に焦がれていたことを知り、涙を流してくれた。
私の心に寄り添ってくれる姿は、あの時、私を救ってくれた父と同じ姿だった。
さらには、本人と気づかずにプロポーズをされた。
その言葉は、この身が焼けるほど熱く情熱的でまともに顔も見られなかった。
返事なんてできるわけない。
あの状況で、私がアレですなんて言えやしない。
なにより彼に裸を見られたという恥ずかしさで、どうにかなってしまいそうだった。
今までは、気にしたことすらなかったというのに。
茹だった頭でなんとか口にしたのは、時間が欲しいという情けない言葉。
きっと彼は駆けあがっていくだろう。
私のもとまで、あっという間に。
準備が必要だ。
心も、体も。
私はあの姿で現世に現れることを、父から許されていない。
先ほどまでいたアレは、あくまでマナを使い自分を模したもの。
私が本体を幽世から出せば、この世が滅びかねないからだ。
だけど、生れて初めて父の言い付けを破ってしまうかもしれない。
彼と直接向き合う、そのためだけに。
私は世界を、天秤に乗せてしまったーー。
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