第一章 魔境ポポロ村の狂った算盤と、常識人管理人のハリセン無双
前村長が公金を持って駆け落ちした村に、俺のハリセンが唸る
世の中には『理不尽』という言葉がある。
だが、俺の身に起きた出来事は、そんな生ぬるい四文字で片付けていいものじゃない。
俺の名前は佐藤悠人、二十五歳。
前世では日本の大手エンタメ制作会社で、炎上事案の火消しや我儘放題な大物タレントの手綱を握る『危機管理室長兼ディレクター』として、胃に穴を開けながら泥水を啜るような日々を送っていた。
徹夜続きの現場で過労死し、気がついた時には――小豆色の芋ジャージを着て、こたつでみかんを剥いている自称・女神の部屋に放り出されていたのである。
『あ、悠人くん? お疲れ〜! 君の次の現場決まったから! 三大国の真ん中にある長閑な農村で、のんびりスローライフ送ってね〜! 詳しいことは現地の可愛い村長さんに聞いて! じゃ、転移いきまーす☆』
缶ビール片手のダメ神によって、ろくな説明もなしに光の渦へ蹴り落とされてから一ヶ月。
俺が送り込まれた異世界マンルシア大陸の中央部――『ポポロ村』の現状を、俺は毎朝、フライパンを握りながら神に呪詛を吐く思いで噛み締めていた。
「……どこが長閑な農村だ、ふざけんなあの芋ジャージ神」
ため息と共に、台所の小窓から外を眺める。
そこには人口千人足らずの限界集落とは思えない光景が広がっていた。
青い看板を掲げた二十四時間営業のコンビニ『タローソン』、主婦たちの怒号が飛び交う生鮮スーパー『タローマート』、作業着から最新魔導工具まで揃う大型ホームセンター『タローマン』、さらにはファミレスチェーン『ルナミスキング(通称ルナキン)』が煌々と光を放っている。
それだけならまだ「便利な田舎」で済む。
問題は、村の周囲を覆う分厚い対魔防空ドームと、自警団の詰め所に平然と配備されている二両の魔導中型戦車、そして対空魔導機関砲座だ。
三大国(人間族のルナミス帝国、獣人族のレオンハート王国、魔族のアバロン魔皇国)の境界線に位置する緩衝地帯とはいえ、地下帝国ドンガンとの密輸同盟によって最新鋭の兵器を買い漁り、村全体が核シェルター並みの地下要塞と化している。
ここは農村の皮を被った、大陸一危険な超重武装の要塞都市だった。
そして――何より最悪だったのが、俺が着任した直後に起きた、村史最大の横領スキャンダルである。
事件の名は『前村長ロップの高飛びラビリンス』。
前村長を務めていたロップという七十歳の爺さんが、隣町で開催された『親善ゲートボール大会』に出場した際、対戦相手だった妖艶な魔族の未亡人と電撃的に恋に落ちた。
爺さんは何をトチ狂ったのか、村の金庫から数千万円相当の公金を全額着服。新聞記者に疑惑を突撃取材されるや、明後日の空を見上げながら「ピピ〜ピピピ〜♪ ワシは知らんよ〜」とシラを切って口笛を吹き、そのわずか三時間後に魔導飛行船のファーストクラスへ未亡人と手を取り合って乗り込み、雲の上へと高飛びしやがったのだ。
現在、村内自治警察およびゴルド商会から特A級指名手配中。
その持ち逃げされた金の中には、近隣の山賊団が「今月この券を買えば襲撃しない」と押し付けてくる悪魔のみかじめ料――強盗サブスク『暴行しない券』の積立金まで含まれていた。
金庫はすっからかん、治安は崩壊寸前。
そんな修羅場中の修羅場に、俺は村長公邸の『管理人兼家政夫』、そして自警団の『現場監督(コンプライアンス室長)』という名のトラブル処理係として就任させられたのである。
「……まあ、愚痴っても飯は勝手にでき上がらんしな」
俺は思考を切り替え、フライパンの火加減を調節した。
ジュワァアッ――と、香ばしい醤油草のタレが焦げる極上の匂いが立ち込める。
ポポロ村の霊土で採れる怪奇食材の一つ、『肉椎茸』。肉のように分厚く、ステーキにすれば肉汁と茸の旨味が溢れ出す特級品だ。これを薄切りにしてサッと炙り、炊きたての『サンライス(米麦草のご飯)』に乗せる。
さらに、刻んだ『たまんネギ』と豆腐を合わせた具だくさんの味噌汁、ふんわり巻き上げた甘い出汁巻き卵、そしてシャキシャキの『人参マンドラ』のきんぴらを小鉢に盛る。
前世で培った「気難しい芸能人を胃袋から手懐ける賄い飯スキル」は、この異世界でも十二分に威力を発揮していた。
パタパタパタ――ッ。
廊下の向こうから、軽やかな足音が駆けてくる。
「悠人くぅーーん! おっはよ〜〜っ!!」
勢いよく公邸リビングの引き戸が開き、朝の光と共に一人の美少女が飛び込んできた。
銀白色のさらりとしたショートボブに、透き通るようなルビーの瞳。頭頂部には感情に合わせてピコピコと愛らしく揺れる純白の兎耳。
ラフなオーバーサイズのパーカーにショートパンツ、引き締まった健康的な太ももを包む黒のスパッツ。足元にはホームセンター『タローマン』で特注したという、超硬度ミスリル芯入りのゴツい安全靴を履いている。
逃亡したロップ爺さんの代わりに、元・姫君としての統率力と手厚い治癒力を買われて祭り上げられた新村長。
月兎族の英傑、キャルル・ムーンハート(二十歳)だ。
「ふわぁああっ……! すっごくいい匂い! 今日のご飯は何!? もしかして肉椎茸の丼!?」
「ああ、おはようキャルル。肉椎茸の生姜醤油炒め丼と、人参マンドラのきんぴらだ。顔洗って席に着け」
「わぁい、人参もあるんだ! 悠人くん大好きっ!」
満面の笑みで駆け寄ってくるキャルルは、小動物のように無邪気で、絵に描いたような美少女村長だった。
――そう、ここまでは完全に『癒やし系スローライフ』のテンプレなのだ。
だが、問題はここからである。
キャルルは俺の腰あたりにギュッと抱きつくと、スンスンとわざとらしく鼻を鳴らした。
そして、その長い兎耳がピクンとアンテナのように立ち上がり、俺の胸元――心臓の位置へとピタリと向けられる。
「……ん? あれぇ……? ねぇ、悠人くん?」
「なんだよ」
「今朝の悠人くん……平熱時より、心拍数が毎分四回跳ね上がってるよ……?」
「朝からフライパン振って火の前に立ってりゃ、心拍数の四回や五回くらい上がるだろ」
「ううん、違うね。血流のノイズが『動揺』の波形を描いてるもん」
キャルルのルビーの瞳から、スーッと光が消え去った。
背後に立ち込めるのは、冷気すら感じる禍々しいヤンデレオーラ。
普段は優しく慈愛に満ちた名村長なのだが、こと恋愛感情が絡むと、月兎族特有の過剰な独占欲と執着心が限界突破する悪癖があった。
「ねぇ……昨夜、誰の夢を見てたの……? 私以外の女のこと考えてドキドキしてたのかな……?」
「見てねえよ。今日の献立の仕込みのこと考えてただけだ」
「嘘だぁ。まさか、客間に居候してるあの寄生魚? それとも二階の手羽先天使……? 浮気はダメだよ? もし他の女に目移りしたら……」
キャルルが腰のホルスターに手を伸ばす。
そこには、一撃で城門を粉砕する超硬質ミスリル製のダブルトンファーが鈍く輝いていた。
「逃げても無駄だからね? 悠人くんのポケットには、私の体臭をたっぷり染み込ませた『特製人参柄GPSハンカチ』が入ってるんだから……大陸の果てまで追いつめて、安全靴で足を複雑骨折させてから、私の手で毎日優しく全回復してあげるんだからね……♡」
「朝から重いわ!!」
俺は迷うことなく、テーブルの上に置かれていた今朝の朝刊『ルナミス新聞』を手に取った。
前世のディレクター時代に何万回とこなした手つきで、新聞紙を素早く細長く三つ折りにし、手元に常備してある布ガムテープで持ち手をキュキュッと固定する。
――完成。
俺の固有スキルを宿す最強の武器、『常識人の特製新聞ハリセン』だ。
俺は腕をしならせ、瞳孔が開きかけた美少女村長の後頭部を目掛けて、フルスイングで一閃した。
「いや、ストーカー規制法違反および重大な人権侵害だろ! 目を覚ませッ!!」
――パァアアアアアンッ!!!
ダイニングルームに、小気味よく、しかし雷鳴のように鋭い快音が炸裂した。
俺のユニークスキル『常識人のハリセン(コンプライアンス・ブレイカー)』。
倫理観、経済原則、物理法則を無視した相手の暴走やスキルを、「いや、コンプラ違反だろ!」というツッコミと共に概念必中で強制キャンセルする、絶対的な制圧術式である。
「ふぇぎゃんっ!?」
快音と共に、キャルルの全身を覆っていたドス黒いヤンデレオーラが一瞬で霧散した。
ダメージはない。ただ心地よい衝撃とツッコミの言霊が、狂気に傾いた脳のシナプスを強制的に正常値へ引き戻すのだ。
「あうぅっ……!? は、ハッ!? わ、私ったらまたトンファーを……!?」
「また、じゃねえよ! 毎朝毎朝、人の心音を盗聴してGPS付きの生乾きハンカチを押し付けようとするな! 公権力のトップが私生活でストーカー事案起こしてどうすんだ!」
「だ、だってぇ……! ハンカチは生乾きじゃないもん、人参のいい匂いだし、悠人くんが他の子に取られたら嫌なんだもん……!」
キャルルは兎耳をへにゃりと垂らし、頭を押さえながら涙目で上目遣いに睨んでくる。
くそっ、可愛いのがまた腹立たしい。
「飯が冷めるぞ。早く座れ」
「はぁい……いただきます……」
しょんぼりとパイプ椅子に腰掛けたキャルルは、両手を合わせてスプーンを手に取った。
肉椎茸とご飯を一口パクリと頬張った瞬間、その表情がパッと華やぐ。
「んん〜〜〜っっ♡ おいひい〜〜〜っ! お肉みたいにジューシーなのに、キノコの香りとタレの甘辛さがご飯に染みてて……あぁ、生きててよかったぁ……!」
「だろ。しっかり食え」
「うんっ! 悠人くんのご飯は世界一だよ!」
先ほどまでの暗殺者じみた空気はどこへやら、耳をピコピコと幸せそうに揺らしながらハフハフと丼をかき込んでいる。
この無防備な笑顔を守るためなら、多少の苦労も報われるというものだ。
……まあ、その苦労の九割はこの村の住人たちが勝手に引き起こしているのだが。
俺が新聞を広げながらお茶を啜っていると、ふと、玄関の郵便受けから回収した執事リバロンのメモ書きが目に入った。
そこには、冷徹な筆跡でこう記されていた。
『村長、悠人殿。例の強盗サブスク「暴行しない券」の更新期限が今夜に迫っております。山賊連合の取り立て部隊が、滞納を理由に村へ焼き討ちのデモンストレーションを仕掛けてくる模様。金庫残高:ゼロ。早急な対応を具申いたします』
メモを読んだ瞬間、俺の胃がきりきりと痛み出した。
「……おいキャルル」
「んぐっ? なに、悠人くん? もぐもぐ」
「ロップのクソジジイが解約して逃げた『暴行しない券』の取り立て屋、今夜来るらしいぞ。金庫に金は残ってないんだろ?」
キャルルはピタリと咀嚼を止め、ゴクリとご飯を飲み込んだ。
そして――すっと目を細め、静かにスプーンを置いた。
「……うん。わかってるよ、悠人くん」
「なんだ、妙に落ち着いてるな」
「うん。もう腹を括ったの」
キャルルは席を立ち、タローマン特注の安全靴を踏み鳴らした。
その瞳の奥に、通常時百二十馬力、満月時には一万馬力オーバーを叩き出す『月兎族の英傑』としての血が滾り始めている。
「私が、自警団を率いて先手を打ちます」
「……は?」
「今夜奴らが来る前に、アジトへカチコミをかけるの。私がマッハの踏み込みで山賊の要塞の門を蹴破って、中にいる幹部全員の顎をトンファーで粉砕します。死なないように私の治癒魔法で全回復させて、もう一回顎を砕けば、暴行しない券の違約金も全部チャラになるはずです!」
「物騒極まりねえわ!!」
再び手にした新聞ハリセンが、風を切り裂いて唸りを上げた。
――パパァァアアンッッ!!!
「ぎゃふんっ!?」
「公権力の首長が朝の七時から先制テロ予告すんな! 器物損壊罪と傷害罪のフルコンボだろ! だいたい『殴打即全回復』の無限ヤキ入れ地獄なんて国際法および人道に対する罪で即刻アウトだ!!」
「だ、だってぇええ! お金がないんだもん! 私が身体を張って解決しなきゃ、村長失格だし……村のみんなが襲われちゃうよぉ……!」
キャルルは頭を押さえ、涙をポロポロと零しながら叫んだ。
無茶苦茶な暴論だが、その根底にあるのは「民を守らなければならない」という、不器用で痛々しいほどの責任感だ。王族の身分を捨て、この限界集落の村長に祭り上げられて、彼女はずっと一人で重圧と戦ってきたのだろう。
俺は深くため息をつき、ハリセンをテーブルに置いた。
そして、キャルルの銀髪の頭にポンと手を乗せ、優しく撫でてやる。
「悠人くん……?」
「バカ言え。そんな血生臭いカチコミなんかしなくても、俺がいるだろ」
「え……?」
「俺の前職を何だと思ってんだ。ヤクザなスポンサーも、炎上狂いのインフルエンサーも、全部綺麗に丸め込んできた『危機管理』のプロだぞ。山賊の取り立てくらい、俺と……あと村の有能な連中で、合法的に料理してやるよ」
キャルルは目を丸くし、それから頬をぽっと赤らめて、フニャッと顔を綻ばせた。
「……うんっ! 悠人くん、頼りにしてるね!」
「おう。だからもう二度と顎砕きツアーを企画するなよ」
一件落着――と、言いたいところだったが。
公邸の平和な朝は、そう長くは続かない。
ズザザザザ……ッ!!
突如、廊下の向こうから『何かが床を這いずり回る不気味な音』が響いてきた。
『うぅ……お腹空きましたわぁ……! 雑草とパンの耳以外の、文明の匂いがしますわぁ……! 恵んでくださぁい……!』
客間のドアが開き、小豆色の芋ジャージを着た絶世の美少女――深海王国の王女にして極貧地下アイドルのリーザが、飢餓に狂った野獣のような目で床を這い寄ってくる。
さらに、二階の階段からは優雅な足音と共に、おっとりとした声が降ってきた。
『皆様、ごきげんよう♡ 朝の散歩ついでに、道端の小石を純金に変えて持ってまいりましたわ。これで山賊の方々に示談金を払えば解決ですわよね?(※三日後に石に戻る)』
世界樹の次期女王候補にして、歩く天災ハイエルフ令嬢のルナが、満面の笑みで違法錬金インゴットを抱えて降りてくる。
そして極めつけに、リビングの隅の特設デスクから、けたたましい魔導通信のアラームが鳴り響いた。
『ハ〜イみんなおはきゅら〜☆ GodTube登録者八千万人突破記念! 今日はポポロ村の貧乏朝ごはんを全世界に生配信しちゃいまぁす! カメラ回すから悠人、カンペよろしくね〜♡』
純白の翼をパタパタさせながら、月収二億円のメガゴッドチューバー天使キュララが、眩しいカメラライトを点灯させる。
「ぎゃああああっ!? リーザちゃんが床に魚汁こぼしてるし、ルナちゃんはまた詐欺金塊作ってるし、キュララちゃんは勝手に配信始めてるぅうう!!」
キャルルが両耳を振り乱して絶叫する。
阿鼻叫喚のリビング。
俺は深く、本日何度目になるかわからない盛大なため息を吐き出した。
「……やれやれ」
俺はテーブルの上の新聞ハリセンを手に取り、パチンと手のひらで鳴らした。
「全員、席について大人しく朝飯を食え! コンプラ違反者は全員ハリセンでお仕置きだ!!」
限界集落ポポロ村、村長公邸。
神話級の猛獣たちと、常識人管理人の騒がしい一日が、今ここに幕を開けた。
読んでいただきありがとうございます。
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