第17話3編:叩き直される意思(影を風で包め)
第17話3編:叩き直される意思(影を風で包め)
【ルシフェル視点】
武闘都市バルカンの東外れにある、不毛の岩山に囲まれた荒地。 早朝の冷たい風が吹き抜け、荒々しい砂塵を巻き上げていた。
「よし……そこまでだ、ノエル。ありがとうな」
包帯を巻いた両手を軽く動かしながら、リンが優しく声をかけた。その傍らでは、ノエルが額の汗を袖で拭いながら、安堵の笑みを浮かべていた。
「はい! 『特級浄化の聖薬』の効果もあって、リンさんの砕かれていた骨の接合は順調です! まだ強い衝撃に耐えるのは無理ですが、日常の動作や指導程度なら、もう痛みも出ないはずです!」
「助かったよ、ノエル。お前のおかげで、こうしてまた土の上に立てている」
リンはノエルに深く感謝を伝えると、ぐるりと首を鳴らし、真剣な眼差しで俺に向き直った。その背後には、赤銅色の戦斧を地に突き立てて腕を組むブラッドと、重厚な大盾を構えて周囲を警戒するシバリアが立っている。
「さて……ルシフェル。早速始めるぞ」
「ああ、頼む、リン」
俺は腰の刀の柄に右手を添え、呼吸を整えた。
リンは歪んだ右拳を胸の前に構え、素足でしっかりと荒地の土を踏みしめた。
「俺がかつて武闘都市バルカンで『流星拳』と呼ばれていた所以……それは単に拳が速いからじゃねえ。敵との『間合い』を極限まで押し潰し、一切の隙を与えずに空間を滑走して繰り出す『連続密着突き』にあった」
「空間の……滑走……?」
俺の問いかけに、リンは満足そうに頷いた。
「そうだ。お前が使っている沖田総司の踏み込み……そして最下位風魔法『ラ・ラルド』による摩擦ゼロの滑走。あれは確かに素晴らしい。速さだけで言えば、かつての俺の全盛期をも上回る切れ味だ」
リンの瞳が、ふっと鋭さを増した。
「だがな、ルシフェル。お前のその踏み込みには、致命的な『力み』と『隙』がある。……なぜか分かるか?」
「俺の踏み込みに……力みと隙……?」
俺は己の左腕を見つめた。 皮帯で固く縛り上げられた左腕の裏側では、今も冷たい不気味な脈動が続いている。
「分かっていないようだな」 リンは一歩歩み寄り、俺の左肩を力強く叩いた。
「お前はな……その左腕に潜む『黒い影』を恐れるあまり、全身の筋肉を強張らせ、力任せに影を拒絶し、抑え込もうとしているんだ」
「っ……!」
リンの言葉が、鋭い針のように俺の胸を突き刺した。
「影が暴れるのを恐れ、呼吸を止め、力でねじ伏せようとしながら刀を振るっている。だからお前の風魔法『ラ・ラルド』は、疾走の瞬間に一瞬だけ威力が跳ね上がり、その直後に途切れる。一撃離脱ならそれでも通用するだろうが……それではサルガタナスの『邪爪』を破るための連続密着突きは叩き込めん」
「俺が……影を恐れて……力んでいる……」
俺は言葉を失った。 図星だった。俺はいつだって、この左腕の影が暴走して仲間を傷つける恐怖に苛まれていた。影が脈動するたびに歯を食いしばり、必死に全身に力を込めて「出てくるな」と押し込めていたのだ。
「へっ、さすがは流星拳のオッサンだな」
後ろで聞いていたブラッドが、戦斧を肩に担ぎ直しながら口を挟んだ。
「俺もずっと思ってたんだよ。ルシフェル、お前は真面目すぎるんだよ。影を拒絶すればするほど、お前の中のバケモノは『寂しがって』余計に暴れ出すんだ。……その点、俺なんか悪魔だからな、危険な魔気なんて『あーハイハイ』って適当にいなすぜ?」
「ブラッドくん、言い方はアレですが……一理ありますね」 ノエルが苦笑しながら頷く。
「シバリアさんも、そう思われますか?」
「……ふむ」 シバリアは大剣の柄を撫でながら、深く頷いた。 「騎士の剣術においても同じだ。恐れや拒絶によって身体を硬直させれば、刃の走りに滞りが生まれる。闇を敵として力で押さえつけるのではなく、どう扱うかが問われているのだな」
仲間たちの言葉が、俺の頭の中に温かく染み込んでいく。
リンは俺の目の前で、ゆっくりと手を開いてみせた。
「いいか、ルシフェル。よく聞け」 リンの声には、幾多の死線をくぐり抜けてきた師としての深い重みが宿っていた。
「お前は左腕の影を『外部の敵』として排除しようとしている。だがな、その影はすでに……お前の肉体に宿り、お前の血を吸い、お前の感情と連動して動いている『お前自身の一部』なんだ」
「俺自身の一部分……『魔王の半身』が……?」
「そうだ」リンは力強く断言した。
「影を恐れて力むな。力を込めて拒絶しようとするから、影はお前の肉体を喰い破ろうと反発する。そうじゃない……『包む』んだよ」
「包む……?」
「己の澄んだ風魔法『ラ・ラルド』でな」
リンは俺の左腕を指さした。
「不吉な影が蠢き始めたら、それを力任せに押し戻そうとするな。お前自身の風魔法『ラ・ラルド』の魔力を優しく巡らせ、その影ごと自分の風で包み込め。影の暴虐な勢いを、お前の風の滑走の『動力』として流すように制御するんだ」
「影の魔気を……風で包み込み……流す……!」
電撃が走ったかのような衝撃が、俺の全身を駆け抜けた。
目から鱗が落ちるとは、まさにこのことだった。 俺は今まで、「光」である自分の剣士としての意志と、「闇」である左腕の影を、水と油のように完全に分断し、力で抑え込むことばかり考えていた。 だが……拒絶するのではなく、己の風で影を包み込み、その莫大な魔気を自らの滑走の流れへと昇華させる――!
♪〜僕は君 君は僕……〜♪
脳裏をかすめる、あの悪魔の歌声。 いつもなら激痛と恐怖で歯を食いしばるところだ。だが、俺はリンの言葉を思い出し、深く、深く息を吐き出した。全身の力を抜き、肩の強張りを解く。
(恐怖を捨てろ……力むな……。俺の風になれ……『ラ・ラルド』……!)
足元に、澄んだ風の魔力が湧き上がる。 それと同時に、左腕の皮帯の裏側から蠢き出そうとした「黒い影」の熱気を、俺は力で押し戻さず、自分の風魔法の粒子でふんわりと包み込むように意識を巡らせた。
(拒絶しない……。俺の風の滑走と……一つになれ……!)
シュッと、不気味な黒い魔気が風の粒子と混ざり合い、渦を巻いて俺の足元へと流れ落ちていく。
「なに……ッ!?」
後ろで見守っていたブラッドが、驚愕の声を上げた。
「おい見ろよ、シバリア! ルシフェルの足元の風……! 黒い魔気が混ざってんのに、暴走してねえ! 滑走の速度が……今までと桁違いだぞ!?」
「なんという吸収の速さだ……!」 シバリアも目を見張り、大盾を握り直す。「影を風で包み込むことで、摩擦ゼロの滑走が、より密密で滑らかな流動へと変化している……!」
スゥッ――。
俺の身体が、一瞬で音もなく十メートル先の岩場の前へと移動していた。 砂煙すら立たない。まるで影そのものが滑ったかのような、完璧な空間の滑走。
「ハァ……ハァ……っ!」
俺は刀を構えたまま立ち尽くし、己の左手を見つめた。 いつもなら全身を襲う激痛も、頭裏を苛む狂った歌声も……不思議と静まり返っていた。影の魔気が、俺の風の制御下で心地よく静伏している。
「ハハハッ! 見事だ、ルシフェル!」
リンが手を叩きながら、豪快な笑い声を上げた。
「飲み込みが早すぎるぞ、小僧! そうだよ……影を恐れず、風で包み込む。それができれば、お前の『沖田総司の踏み込み』は、隙のない完全な連続密着突きへと進化する!」
「リン……ありがとう!」
俺は胸の中に湧き上がる熱い感謝とともに、深々と頭を下げた。
「まだ完全じゃない。だが……感覚は掴めた! これなら……ブラッドの炎と完全に噛み合わせられる!」
「へっ、格好つけやがって!」 ブラッドが照れくさそうに八重歯を覗かせ、戦斧をぶんぶんと振り回した。「よし、次は俺の番だ! ルシフェル、その進化した風に、俺の『ラ・ルビ』の炎をぶち込ませろ!!」
「いつでも来い、ブラッド!」
朝日に照らされるバルカンの荒地で、俺たちの叫びが響き渡る。 『影を風で包む』という極意を得た俺の刃は、サルガタナスの『邪爪』を打ち破るための確かな第一歩を踏み出していたのだった。
第17話3編はここで終わりです!




