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第79話 異界との接触

 ――転移ゲート起動。

 白銀の渦が巻き、視界が一瞬だけ裏返る。


 次の瞬間、灼熱の暴風が横殴りに吹きつけた。


「うわっ……っつい! いや、私が燃えるわけじゃないけど! 熱風で髪がパサパサになるのがイヤなんだけど……!」


 莉理香の叫びは、熱風に半分さらわれながらも確かだった。

 その声音の裏には、灼熱の地獄を前にしても日常を崩さない、妙な強さがあった。


『髪が傷むのは確かに問題だな。後でオイルを使うといい』


 肩にとまる白銀の竜――ラギルが、当然のように返す。

 どれほどの環境でも“平常運転”を崩さない二人は、ある意味で最強コンビだった。


「環境の心配より髪の心配してる竜神ってどうなの……?」


《この状況で髪を気にする竜神》

《また髪の話してる》

《地獄の美容配信》


 コメント欄がもう大騒ぎである。

 視聴者は地獄の景色より、竜神ペアの日常会話の方が面白いらしい。


 ――ここはダンジョン深層に新たに出現した“過酷環境域”。

 推定温度千五百度。地表は半溶融状態。

 普通の探索者なら息をした瞬間に死亡。ドローンは三分で溶け、装甲車ですら一分保たない。


 そんな地獄の只中に、莉理香は“いつもの救護課ジャケット姿”で立っていた。


 彼女の衣服は竜核の調整により完全に安定化しており――焦げない。変形しない。揺れるだけ。

 この世で最も似合わない「カジュアルな服装」が、地獄の風景の中で毅然と揺れていた。


「ほんとに……溶けてない? 大丈夫?」


『ほら、触ってみろ。温度はお前に合わせて一定だ』


 ラギルが袖をちょん、と突く。

 触れた部分はほんのり温かいだけで、とても外界が灼熱地獄とは思えなかった。


(……この人、いや竜といると温度の概念が迷子になる)


「……旅行先の気温違うな~くらいの感覚で地獄歩いてるのヤバいよね、これ」


《#日常感 is どこ》

《#竜神の旅行感覚》

《#地獄観光ツアー》


 視界はすでに“自然”の範疇を逸脱していた。

 溶岩のように脈打つ地表、浮かぶ結晶柱、天井に漂う灰色の稲妻。

 呼吸すらできないはずの空気は、竜神ペアの周囲だけ、まるで別物のように整っている。


 ラギルがぴょん、と軽く跳ねる。

 銀の毛並みが熱気に揺らめき、光の粒を反射してきらきらと輝いた。


『莉理香、あそこを見ろ。地表の継ぎ目が膨張している』


「ほんとだ……あれ、火山の心臓みたい」


『良い例えだ。脈動があるということは、生きているということだ』


 地獄の中心が、生き物のように息づいている。

 そう思うと胸がざわついたが、同時に決意も固まる。


「じゃあ今から“健康診断”って感じかぁ」


《#竜神医の健康診断》

《#地球の診察》

《#医療行為?》


 地表の継ぎ目から、ぼこ、と盛り上がる物体。

 灰色の泥とも、金属ともつかない奇妙な塊が脈打ち、次の瞬間――


 ばちんっ!


「わああっ!? 飛んでくる!? ラギルよけて!!」


『安心せよ』


 ラギルが片翼を広げ、飛来する破片をやわらかく受け止める。

 触れた破片は高熱のまま溶けて滴となり、地に落ちただけで周囲の空気を歪ませた。


「いやいやいや、服は無事でも心臓に悪いよ……!」


『むしろ抑えすぎると“迫力不足”と文句が来るのではないか?』


「うちの視聴者、耐久力高すぎでしょ……」


《#迫力不足とは》

《#もっと地獄を》

《#竜神は今日も安全第一》


 莉理香は深く息を吸い、周囲の空気を感じ取った。

 空気そのものが“重い”。魔素が粒子のように混ざり、触れたものの形を変える。

 普通なら呼吸すらできない環境だが、竜核の適応により何の問題もない。


「ん、でも足元の温度は上がってきてる。ラギル、やっぱりこの先に何かある?」


『ああ。……この“熱の偏り”、中心に向かって集まっている。下層が地上へ押し出されているのだろう』


「つまり今日の目的地、だね」


『その通りだ』


 すると前方のカメラに、巨大な光柱が映り込んだ。

 地面の裂け目から天へ向けて噴き上がる魔素の柱。稲妻のような閃光が絶え間なく弾けている。


 視聴者チャットは一気に加速した。


《#出た》

《#竜神vs光柱》

《#これほんとに生放送していいやつ?》

《#散歩してる場合じゃない》


「さて……到着しました。ここが問題の“噴出口”らしいです」


 莉理香はひょいと片手を上げ、カメラに笑顔を向けた。

 笑顔の裏に、強い意志が宿っている。


「でもね、まず大事なのは──」


 彼女は胸元のジャケットをつまみ、ひらりと揺らした。


「私の服が無事であることです。これ、大事!」


『そこは本気で譲らぬのだな』


「そりゃ譲らないよ! 服が溶けたら世界規模の炎上じゃ済まないんだから!」


《#竜神の優先順位》

《#服>灼熱》


 そして、ゆっくりと光柱に歩み寄る。


 熱風は吹き荒れ、魔素が耳鳴りのように周囲を満たす。

 だが莉理香の衣服は、竜核の淡い光に守られ、揺れすらしない。

 ラギルは彼女の肩に乗り、しっかり前を向いた。


『……莉理香。お前が触れれば、この暴走も鎮まるだろう』


「触れたくないけど……いくよ」


 短くため息をつき、右手を伸ばした。


「せーのっ──」


 触れた瞬間、世界が――音を失った。


 光が収束し、熱が引く。

 空気が澄み渡り、騒がしい世界が一瞬だけ“静謐な湖”に変わった。


 ――莉理香の竜核が応じたのだ。


《#左手は添えるだけ》

《#竜神すごすぎ》

《#今の何?》


 ラギルが満足そうに目を細めた。


『やはり、竜神の調律は完璧だな』


「だといいけどねー……さて、みんな。調査開始しますよ!」


 竜神と半神の“地獄散歩”は、まだ始まったばかりだった。


***


 光柱が静まった中心部へ足を踏み入れると、少しだけ空気が重くなった。

 灼熱と冷気が混ざった混沌の境目がほどけ、まるで「何かが生まれる直前の胎内」といった雰囲気が広がる。


(息苦しくはないけど……違和感がすごい)


 莉理香は、竜核がかすかにざわつくのを感じた。

 体調不良ではない。ただ、“何者か”に反応している感覚だ。


『莉理香。前方に、気配がある。……生き物、ではないな。もっと未熟だ』


「未熟?」


『存在が未熟で、形が定まりきっていないのだ。上位ではないが……神性の端を持つ』


《神性ってなによ》

《危険度未知数ってこと?》

《え?これもしかして危ないやつ?》


 ゆらり、と視界が揺れた。

 光の粒が集まって凝縮され、空中に球体のようなものが生まれる。


 続いて、粘土細工のように“手足らしきもの”が生えていった。

 影は不定形で、背丈はせいぜい一メートル。

 だが“存在圧”だけは、低級とはいえ紛れもない“異界の神種”だった。


「……うわ、かわ……いや、怖……いや、かわ……?」


『はっきりせよ』


《かわ怖い》

《怖かわいい》

《新種のマスコット?》


 その存在はふらふらと揺れながら近づいてきた。

 足は地に触れておらず、手は形すら曖昧だ。

 ただ、目の部分だけははっきりしていて、光の双眸が莉理香をじっと見つめている。


(敵意は……ない。むしろ“興味”を持ってる感じ?)


 彼女がそう思うと、かすかに頭に声が響いた。


 ――……だれ……?


 問いは曖昧で、幼い。

 自我が育ちきっていない、まるで子どものようだった。


(あ、これ……言語じゃなくて、存在の震えで意思疎通してるやつだ)


 莉理香はしゃがみ込み、そっと手を差し出した。


「私は、桐嶋莉理香。あなたが何者かはまだわからないけど……敵ではないよ?」


 光の影は、ぷに、とした動きで手に触れたようだった。

 瞬間、微弱な共鳴が生じ、空気が震える。


『……触れても害はなさそうだな』


「うん、むしろ“さわりたい”って顔してる」


『顔などあるのか?』


「感覚でわかるでしょ?」


《触れ合いタイム、いい話かなー》

《この生物?大丈夫?》

《竜神に懐く下級神》


 視聴者も謎のかわいさにざわついている。


 しかし、次に起こった現象は――「神性の反応」として世界を震撼させる。


 光の影が、ゆっくりと莉理香の周りを旋回した。

 その軌跡を追うたびに、周囲の魔素濃度が急速に均一化していく。


「……え、なにこれ、私に合わせてる?」


『可能性は高い。“上位存在”の近くにいると、下位の者は同調を起こしやすい。』


「つまり、これ……私達に近づくことで安定した?」


『そうだ。お前を“従うべきモノ”として認識したのだろう』


《#竜神の子分誕生?》

《#神格の序列》

《#軽率に眷属入りしそう》


 光の影は、しばらく周囲を漂ったあと、ふと形を変えた。

 ゆるい球体が細く伸び、耳のようなものが生え、尻尾のようなものまで揺れている。


「あっ……ラギルに似てる……!」


『ふむ、我の形を模倣したな。下位神にしては筋が良い』


《ラギル似》

《下級神のファンアート》

《神々の親子》


 さらに、光の影はひょこっと莉理香の肩に乗った。

 軽い。重さはほとんど感じない。


「うわ、乗った! かわ……いや、重くないけど!」


『それは“従属のサイン”だ。完全に懐かれておる』


「いやいやいや、私ペット増やす気ないからね!? ラギルひとりで十分だからね!?」


『何故我を数に入れた?』


《ラギルはペット?》

《半神の自覚》

《竜神保護者説》


 その時だった。


 光の影が急に震えた。

 大地の奥から、低い唸りのような音が響く。


『……莉理香、離れろ!』


「えっ?」


 影の身体に亀裂が走り、光が漏れる。

 まるでこの世に存在してはいけない“圧”が上からかぶさってくるような感覚だ。


(まずい……この子、存在が崩れかけてる!)


『おそらく、魔素流と干渉したのだ。形を保てない!』


「できるかな……いや、やるしかない!」


 莉理香は両手を伸ばし、光の影をそっと包み込んだ。

 竜核が脈動し、淡い金色の光が広がる。


 光――止まる。


 影の亀裂が、ゆっくりと閉じていく。


 まるで“赤子をあやす”ような穏やかさで。

 異界の下級神は、再び丸い形に戻り、莉理香の手のなかで微かに震えた。


――静寂。


 風が止み、空間そのものが息をひそめた。

 凍結された光の亀裂は、まるで時間の狭間で眠るように静まり返っている。


 莉理香は深く息を吐いた。

 額に浮かぶ汗をぬぐいながら、掌に残る淡いぬくもりを見つめる。

 そこには、さっきまで暴走していた“光の影”――異界の幼き神が、

 穏やかな呼吸のように脈打っていた。


「……本当に、助かったのかな」


『助けたとも。だが……少しばかり“余計なこと”をしたな。』


 ラギルの声が、夜気の中に低く響いた。

 その金の瞳には、いつもの柔らかさと違う、わずかな緊張が宿っている。


「余計なこと?」


『ああ。――神を救うという行いは、“神々の秩序”そのものに触れる。

 この子の存在が異界でどう受け止められるか……それは、我にも読めぬよ』


 莉理香は小さく息を呑んだ。

 掌の中の弱神は、まるで安心したように目を閉じている。

 けれど、その小さな光が放つ波動は、

 確かにどこかへ――いや、“誰か”のもとへ届いていた。


 遠く、夜空の向こう。

 空間の深層で、見えない網の目がざわめく。

 異界の上層、名を持たぬ上位神たちの視線が、わずかに揺れた。


 光を通じて伝わる“干渉”。

 それは、神々にとって禁忌の領域――“こちら側”に手が伸びた証。


 莉理香はその感覚に気づかないまま、

 掌の光を胸に抱き、そっと微笑んだ。


「……この子は、守らなきゃ。誰に何を言われても」


 ラギルは静かに目を閉じた。


『ああ。ならば我も共に背負おう。

 だが――覚悟しておけ、リリカ。

 この救いは、“神の世界”に波紋を呼ぶぞ』


 その声は穏やかだったが、

 空の奥底から微かに聞こえた、誰かの怒りにも似た震えを

 莉理香はまだ知らなかった。


 ――その夜、見えぬ空の彼方で。

 一柱の上位神が目を開けた。


 その瞬きが、世界の境界をわずかに震わせた。


 こうして、ひとつの“救い”は、

 新たな“神々の波紋”を生むことになる。


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